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「それで、良い練習になった?」
昼食を終えた後、ゲーセンでちょこちょこゲームをし、一曲あたり100円のカラオケをしたりした後、十九時頃に町に帰ってきた私は、麗華の部屋のベッドに寝転んでそう問いかけた。
中学の時と比べて本棚の本が多少増えたくらいだろうか。
それ以外はそこまで変わっていない、麗華の性格が良く現れた、本棚以外、特筆すべきものがあまりない部屋の中にぽつんとある、無機質なベッド。
問いかけられた麗華も、せっかくおしゃれした私服に皺がつくのも厭ず、私と同じように、そのベッドの上に仰向けに寝転がっている。
だいたい3回に1回ぐらいだろうか。
中学の頃はこうして、休日に遊んだ日の夜は、お互いの家のどちらかの家の自室に行って、語り合うのが恒例になっていた。
映画の感想だったり。
小さいカラオケのハコに二人で入ったものだからお互い密着してしまってちょっと恥ずかしかったり。
相変わらずちょっと音痴な麗華をからかったり。
逆にクイズゲームで大ポカする私がからかわれたり。
次はここに行きたい、ここはもう行きたくない、等々。
たぶん将棋で言う感想戦みたいなものだろう。
……にしても、感想戦って、何で感想を言い合うのに『戦』って文字が付いているのだろう。
将棋は戦いの世界だから、感想もあくまで戦いの一つだと、そういうことなんだろうか。
勝敗はもうついているのに戦わなくてはならないなんて、なんて世知辛い。私なら絶対そっとしておいてほしい。
「え? 何のこと?」
私の問いに麗華は、そんな素で驚いたような声を上げた。
帰って来るなり二人、電気もつけずベッドに倒れ込んだものだから窓の外の月明かりしか光源がないため、麗華の顔はぼんやりとしか見えないけれど、こっちを向いたのがシルエットと衣擦れの音で分かる。
私は思わず苦笑する。
「麗華、また忘れてるでしょ? 私が今日、新しくできた友達役だったってこと」
「……あ。い、いや、覚えてたわよ! ただ、まだ演技を続けてるのかなって思っただけよ!」
「もういいって。ほんとは私と普通に遊ぶ予定だったんでしょ? スケジュールも中学の頃と全く同じだったし、フードコートの席の場所まで同じだったし」
「違う!」
夜目にも慣れて来た。麗華が叫んでこちらに背中を向けたのが見える。
だが、その背中はすぐにまた、ごみ箱が置かれている壁側の方へ向けられ、代わりに切れ長の瞳とみずみずしい唇と筋の通った鼻を備えた小さな顔が現れる。
「だけど……そうね……藤愛も、ねぇ、楽しかった? その……一番仲の良い友達と、遊んだ時みたいに」
「……!」
——「そ。タイトルのリダクショニズムっていうのはまぁ、哲学用語みたいなものね。日本語では還元主義って言うんだけれど、例えばとある成人女性が一人いたとして、仮に別の人に、その女性と全く同じ経験と知識と外見を与えたら同じ女性になるのか、みたいな考え方らしいわ。要するに一個の複雑な物でも、その複雑な物を構成する個々の要素を全て理解し、分析し、要素を全て集めれば、その複雑な一つのものを再現できるんじゃないか、みたいな思想みたいよ」
別に、文脈はなかったはずだ。
まるでなかったはずなのに、そう訊かれた私は、映画の前に麗華が口にしていた、『還元主義』についての説明を思い出した。
……麗華が言う、『一番仲の良い友達』というのは、誰の事を指すのか、それはいくら馬鹿な私でもなんとなく察することができる。
そして、もし、その子と同じように、『その頃』の私と彼女のように、麗華と私が今日、遊ぶことができたのだとしたら、それは麗華の言った還元主義に基づけば、どういう結論になるのだろうか。
もし、あの頃の要素を完全に理解し、分析し、今日、再現できたのだとしたら、私達は――
「……うん。楽しかったよ」
私は、答えた。
嘘じゃない。本当に私は楽しかった。
そこに対して『だけ』は、私は嘘をついていない。
「………」
麗華の顔が目の前にある。
麗華は、私の顔を一生懸命見つめていて、麗華の目に映る私も、麗華の目を見ている。
時折、揺れながらも。
「………」
「………」
暫く無言で、私たちは見つめ合う。
徐に、麗華は猫のように両手の肘をたたむと、微笑と共に、両の掌を、こちらに向けてきた。
「じゃあ、私達、良い友達に、なれる、かもね」
「……っ!」
その言葉は、私がずっとずっと恋焦がれてきた言葉のはずだった。
あの時から。
中学の時、私が受験に失敗し、麗華が話してくれなくなった、あの日から。
ずっとずっと問うてきた、その答えのはずだった。
目の奥が、チカチカする。
その手を取りさえすれば、私はそれを文字通り、手にすることができる。
要素は揃った。
理解もできた。
再現も完了した。
だとすれば後は互いの『確認』を取るだけ。
私は月が照らす中、まさに月光のように白く淡く輝く美しいその手を取るため、白くも淡くも輝かしくも美しくもない、自分の手を伸ばしていく。
あとちょっと。
ほんの後数センチ。
ほんの後数センチ手を伸ばせば、私はそれに触れることができる。
だが、
「――――――」
よりにもよって、それに。
それに、気付いてしまって、月は、まるで本物がそうであるように、逃げて行ってしまった。
「……ねぇ、アレ、何?」
「あれ?」
「あのゴミ箱の中のアレ。——いっぱい入ってる原稿用紙」
そう。
私が見つけたのは、壁際に置かれた小さなゴミ箱、その中に入っている、原稿用紙だった。
いや、別に原稿用紙だけなら大した不思議はなかっただろう。
宿題で感想文を書いたり、何かの下書きに使ったりするだろう。
だから、疑問に感じたのはその量の方だった。
量。
優に50枚は超えていそうな原稿用紙が、ゴミ箱に突っ込まれていたのだ。
麗華は私の問いに、ゴミ箱の方を振り向く。
そしてなんてことないように、「ああ、あれ」と頷いて、まるで、そう、紙みたいに軽い口調で告げた。
「別に。ただの、小説の原稿よ」
「小、説……?」
この時ほど、私は自分の愚かさを呪ったことはない。
普段ちっとも働かないくせに、こういう時だけは余計に動いて迷惑をかける、窓際族の社員のような私の頭は、その言葉を聞き、勝手に一つの結論を導き出した。
苦手としていたはずのホラーに麗華が詳しくなっていた事。
今日無意識に感じていた違和感。
圧倒的な原稿用紙の束。
「……ねぇ、今日ホラー映画を見たのも、書店で新書を買ってたのも、昼ご飯にパスタを食べてたのも、全部取材みたいなものだったりする?」
違っていてほしかった。
そしてもし合っていたとしてもそれまでであってほしかった。
何か、ただの趣味で書いていて、でもやっぱり上手く書けなくて、それでやっぱり原稿用紙を放り捨てただけなんだと、思いたかった。
けど、
「ああ……たしかに、そうかも。あんまり意識してなかったけど、編集の人に、もっといろんなことに目を向けなさいって、そう言われてたから」
麗華はあっさりと私の想像を超えてくる台詞を、あっけらかんと告げた。編、集……?
「……編集……麗華は、小説家だったの?」
「ううん。違うわ。でも、去年の11月末くらいに新人賞に応募した小説が、えっと、ジュブナイルなんだけど……最終選考まで残って。それが編集の人の目に留まったらしくて、その人にメールでそういうアドバイスをもらったから」
「それ、どのぐらいの応募数だったの?」
「多分、1000くらいだったかしら?」
1000……。
それほどの作品が集まる賞の最終選考だ。
きっと一次審査がそっくりそのまま最終選考扱いとかそんなものじゃないだろう。詳しくはないが、二次、三次とかそういうのがあるはずだ。
「麗華は、小説家になりたいの?」
「……うん。今は、一応。いつか、自分の存在がずっと消されることのない、小説を作りたい」
自分の夢を知られたことが恥ずかしいのか、麗華はベッドに視線を落としながら、しかし、それでも力強く頷く。
そんな、傍から聞けばこっぱずかしいような、しかし、どこまでも熱い台詞を聞いて、私は。
私は。
「そっか、おめでとう」
唾を飲み込んで、そう言った。
「……別に受賞したわけでもないし、まだ、入口にすら立ててないわよ。でもありがとう。……それで、藤愛、さっきのことだけれど」
「ああ、うん」
そこでようやく私は、これまで交わしていた会話を思い出した。
そういえば、そんな話もしていた。
私は、笑う。
いや、違う。
笑うんじゃない。
笑っているはずだ。
だって、こんなセリフを言うのだ。
私は笑っているはずだ。笑っていなければ、いけない。
「もちろん、友達だよ」
刹那、月は雲隠れし、とうとう姿さえ追えなくなった。
ご一読ありがとうございました。




