5
「それで、これから見る映画ってどんな映画? この『リダクショニズム』っていう、意味は知らないけれど、物々しい響きのタイトルからはあんまりロマンスやアクションって感じがしないけど」
列に並びながら、私はもらったチケットをふりふり振りながら、隣に立っている麗華にそう尋ねた。
列というのはもちろん、私を見たければまずコレを買うことね、と今や賃貸で言う敷金礼金のような立ち位置になり果ててしまった、なんとも困ったちゃんの、とうもろこしの種を高温で熱しただけの食物の列である。
……ほんと、ポップコーンって普段食べないのに、映画を見る時だけは食べてしまうのは何故なんだろう。
是非とも暇な研究者がいれば研究していただきたい。『カレーに必ず福神漬けがついてくるのは何故か』も併せて。
「福神漬けは、元々はチャツネの代替品として使われたのが由来ね。ポップコーンは世界恐慌が原因。当時はお菓子とかは高級品で買えなくて、でもポップコーンは安価に購入できたから、その名残らしいわ」
どうやら暇人な研究者は隣にいたらしい。
麗華は気持ち早口でそうまくし立てると、
「……それにしても、ねぇ藤愛、映画を予約してたのは、本当に偶々だから。だから勝手にジャンルを決めつけないで」
そう、それこそ、福神漬けみたいに顔を赤くし、そっぽを向く。
どうやら、麗華が選びそうな映画をアクションかロマンスと決めつけてしまったことが、麗華には、『私と見るなら麗華はロマンスかアクションを選ぶだろう』と私が決めつけてしまったように聞こえたらしい。
……確かに中学生の間は、見る映画は、麗華が決めることがほとんどで、必然、私達が見る映画は、そのジャンルだけに絞られていたのだけれど。別に私にそんな意図は全くなかったのだが……。
が、面白そうなので乗ってみる。
「じゃあ、さぞかし違うジャンルなんでしょうね」
片目を閉じて問いかけてみた。
きっと麗華は頬を赤く染め、あの可愛い「うるさいわね」を披露し、白を切るだろう。
私の青写真はそんな光景を描いていた。
だが、
「ええ、ホラーよ」
私の青写真のフィルムは、そんな青天の霹靂を浴び、焦げてしまったことで感光し、使い物にならなくなった。
……ホラー?
「そ。タイトルのリダクショニズムっていうのはまぁ、哲学用語みたいなものね。日本語では還元主義って言うんだけれど、例えばとある成人女性が一人いたとして、仮に別の人に、その女性と全く同じ経験と知識と外見を与えたら同じ女性になるのか、みたいな考え方らしいわ。要するに一個の複雑な物でも、その複雑な物を構成する個々の要素を全て理解し、分析し、要素を全て集めれば、その複雑な一つのものを再現できるんじゃないか、みたいな思想みたいよ。この作品はホラーにその考え方を応用したものらしいわ。ホラーは『ちょっと』だけ苦手だけど、哲学とホラーのミックスって言うのが気になってね」
「…………」
私はきっと、ホラー映画に登場するような幽霊やゾンビよりも暗い表情をしていたに違いない。
いや、リダクショニズム云々が難しかったからだとか、麗華がホラーを『ちょっと』だけ苦手と言ったことを訝しんだからとか、そういうことだけではない。
私は自分が馬鹿なことは重々理解したくもないほど理解しているつもりだし、『ちょっと』の100倍くらい麗華がホラーを苦手としていることも知っている。今更ツッコむほどのことでもない。
だから、私が疑問に思ったのは……
「……? どうしたの藤愛ぼーっとして」
「あぁ、ごめん。なんでもないよ……ちょっとぼーっとしてただけ」
私は思考を振り払った。
なんとなく直感的に、この先は考えない方がいいと、そう思ったからだ。考えたくもないことなら、わざわざ考えなければいいだけの話だ。
それに——
「……そう? それならいいけど」
「うん。ていうか、それよりさ」
「?」
「その……私達、何で手を握り合ってるの?」
ーーそれよりこっちの方が気になっていて、私はそっち側に思考を割くことができなかったというのもあった。
「あ、えっと、その……」
瞬間湯沸かし器のように、麗華の顔が沸騰した。
あわあわと、何か、言いたいことでもあるのか、人間に橋の上から餌を与えられた鯉みたいに口をパクパク動かしている。
が、それは、喉で何者かの抵抗を受けて胃に落ちて溶かされたらしい。
「えっと……人、多いし……はぐれたら駄目かと思って」
やっと落ち着くと、代わりにそんな普通の言葉を吐きだした。
ああ、そういうことか。
たしかにさっき来た時でさえ客は相当な数だったのに、今では路上に落とした角砂糖に群がる蟻並みにはなっている。虫唾が走るほどの混雑だ。たしかにうっかりしているとはぐれてしまう危険性はある。
が、
「でも、別に大丈夫でしょ。これあるし。すーまーほー」
私は手を解くと、やや高い声を意識して、その手で自慢気にスマホを掲げた。
どこかしらからテレレテッテレーという効果音が聞こえてくるような掲げ方だが、しかし、それは置いておくとして、私達にはどらえ○んほど便利ではないが、文明の利器がある。仮にはぐれたとしても、こいつに仕事をさせればいいだけだ。
……あと、どうでもいいけれど、ドラ○もんがスマホ使ってたら滅茶苦茶嫌だなぁ。
「ああ、うん、まぁ、そうね」
下手な私の声真似も、意外にゲラな麗華には受けると思ったのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。麗華は愛想笑いを浮かべて(ちょっとショック)前を向いてしまう。
「あ、そうだ。ポップコーン、一個大きいサイズを頼んで二人で分け合わない? その方が注文楽だし」
が、すぐにそんな提案をしてくる。
「うーん。それだと映画中、もし同じタイミングで食べたくなったら、手が当たっちゃって、映画に集中できなくない?」
あ、ごめん。お先にどうぞとなり、映画の大事なシーンを見過ごす未来がありありと脳内に映し出される。
「……それが目的なんだけれど……藤愛って時々察しが悪いのよね」
「ん? 何か言った?」
「何でもないわよ。じゃあ、個別で好きな物を頼むってことで。個別で」
「……? うん、まぁ。何で二回言ったのかは分からないけど」
若干気になる点はあったものの、無事、私たちは場所と食料を確保。その後、私達は目的地である暗い場所へと向かう。
これだとまるだキャンプ場に行くみたいだな、なんてくだらないことを考えながら、シアタールームに入り、麗華いわく、『偶然にも』予約してくれていたおかげで、真ん中の一番後ろの席という、かなり良好な席に着く。
座ると、結構ギリギリの時間だったのか、毎度毎度逮捕されているにも関わらず、一切学ぼうとしない盗撮魔の映像がスクリーンに流れ始め、それからほどなくして本編が始まった。
この合間の時間は喋らなければ気まずいし、しかし、映画館というのは静かにするものだから大っぴらに喋れず調整が難しいからとても助かる。
いいスタートダッシュをきれたし、麗華の話だとまぁまぁ面白そうな映画みたいだから、これはいい時間を過ごせそうだ。
そう思って、期待に薄い胸をふくらませたいなぁなんて考えながら、本編が始まるのを楽しみに、そして実際に、序盤こそ綺麗な画質と、センスのあるカットを見て、見るからに高クオリティであることが分かる映像に目を奪われていたのだが……。
——「………!」
——「ヒッ………!」
——「キャ……ッ!」
「…………」
だいたい15分くらい経った頃だろうか。
私は恐怖に慄く麗華の方に完全に目を奪われるようになっていた。
……というのも、物語が進むにつれ、本領発揮と言わんばかりにホラーさんはホラー度をぐんぐん上げて来ていた。
当たり前だが、良質なホラー映画ほど観客は恐怖し、驚くものだ。
そして基本、ホラーを見るような客と言うのは、それが分かっていても尚楽しめる強心臓か、もしくは多少恐怖心は持ちながらも、わくわくの方が上回る観客が見に行くもののはずだ。
だが、麗華はどちらでもないのか、さっきから小さな物音が鳴る度、子ウサギみたいに体をびくつかせている。
「えっと、麗華、大丈夫?」
流石に見ていられず、私は周りの客の迷惑にならないように、小声で声をかけた。
「な、何が? 大丈夫に決まってるじゃない……キャ!」
……どう見ても丈夫じゃなさそうだった。どっちかって言うと成仏しそうだ。
何故、ここまで苦手なのにホラーを選んだのか。……ああ、いや、そう言えば哲学とホラーのミックスに興味があったって、さっき言ってたっけ。
にしても、チャレンジングが過ぎるような気がするけれど。本好きの麗華なら、好奇心が猫をも殺すということくらい知っているだろうに。
「………!」
……猫、もとい兎ちゃんは未だびくついている。
……確か、兎は寂しいと死ぬなんて言われてたっけ?
真っ赤な嘘だということは言われなくても分かっているけれど、こんな光景を見せられれば、あながち嘘でもないように思えてくる。
そしてもちろん、麗華が死んでしまうのは、嫌だ。
じゃあ彼女の寂しさを埋めてあげるためには私はどうすればいいのだろう?
「…………」
私は、麗華の席のトレーの上に置かれているポップコーンとお茶に目をやる。
お茶はもうほとんど空で、当然のことながらポップコーンは一切減っていない。おかげで行き場を無くした麗華の手は暇そうだ。
「……藤愛?」
「………」
私は、その内の片方、麗華の膝の上に置かれた左手に、自分の右手をそっと重ねた。
映画館なのでお静かにしなければならない。
私は、手短に告げた。
「手、寂しそうだから。暇だったら握っていいよ」
「…………!」
今、麗華はどんな顔をしているのだろう。
ちょうど場面が切り替わり、暗転したところなのか、ただでさえ薄暗い映画館では麗華の表情は分からない。
だけど、麗華は小さく「うん」と頷くと、細くすべすべした指先を私の指に絡ませてきた。
映画館では皆スクリーンの方を向いていて、私達を見る人達はいない。
だからまぁ、別に今ぐらいはいいだろう。
隣から、くすっ、と小さく笑みがこぼれる音が聞こえる。
「求めてたのはこういう感じのものじゃないんだけど……まぁ、いっか」
麗華が何か言ったような気がしたが、映画の効果音に紛れて、その声は聞こえなかった。
ご一読ありがとうございました。




