第4話 太陽を射抜く
私が放った緑を避け、ルシエルがすっと横へと身を滑らせる。
狙いは最初から身体ではない。セレンが弓の加護を調べられる距離まで近づく時間を稼ぐためだ。
しかし、ルシエルは即座にその意図を察知したようだった。視線を私から外し、斜め前方へ出ようとするセレンへ弓を向ける。
「セレン!」
「分かってる!」
ルシエルが弦を引く。
私は迷わず、ルシエルの手元より少し前へ緑を撃つ。
射線を塞ぐように緑が走り、ルシエルは矢を放つことを諦め、やむなく横へかわす。セレンがその間に数歩前へ出る。
「もう少し近づきたい。ユイナ、あと少しだけ頼める?」
「やります」
一発で当てなくていい。
倒そうとする必要もない。
ただ、セレンに狙いを定めさせなければいいのだ。
そう考え方を切り替えた途端、緊張していた身体の動きが軽くなった。
ルシエルが次に移動する先を予想し、細く絞った緑を次々と放っていく。狙いは重心ではないから、正確に当てる必要はない。ただ弓を引く動作を阻むことさえできれば、それでいい。
「セラフィン! 何をしているの!」
ルシエルが苛立ちを滲ませて叫んだ。 少し離れた位置では、加護を失った槍を提げたまま、セラフィンが立ちすくんでいる。
「俺にだって分からない!」
「分からないわけないでしょう、命令を受けたはずよ!」
「だから、その命令がなんなのか聞いてるんだ!俺は……一体、誰に命じられている!?」
ルシエルの追撃の動作が、わずかに鈍った。
けれど、弓を下ろそうとはしない。
「今は、そんな話をしている時じゃない!」
話を打ち切るように、ルシエルは再び矢をつがえる。
腑に落ちない表情のまま、セラフィンはその場から動かない。
――確信が深まる。
加護を失ったセラフィンと、今なお黄を纏っているルシエル。二人の状態は根本から違っている。ルシエルに迷いはない。私たちを敵とみなし、ためらわず戦い続けている。
「ユイナ、右!」
セレンの叫び声に反応し、とっさに身体をずらす。
風切り音とともに服の脇をすり抜けた矢が、宿の外壁に突き立った。
間髪を容れず、ルシエルは背の矢筒から二本目を引き抜く。
速すぎる。
私が牽制の緑を撃つより早く、もう次の矢を放てる構えが整っている。
このままセレンが前へ出れば、今度は避けきれないかもしれない。
「セレン、無理に距離を詰めないでください!」
「あと少しなんだ。ここまで来た以上、なんとしても調べる」
「ですが――」
「君がルシエルの弓を揺さぶってくれているおかげで、黄の流れが掴めてきたんだ!」
セレンの足は止まらなかった。
弓を動かしているから?
私は反射的にルシエルの手元へ目を凝らす。
確かに、私の放つ緑の牽制を避けるたびに、彼女の弓は大きく軌道を変えている。無理な体勢で矢をつがえ、弦を引き、また位置を変える――。
止まっている弓を見るより、動いているときの方が黄の流れは見えやすいのかもしれない。ルシエルが苛立ったように、もう一度私へ弓を向けた。
――だったら、撃たせる。
私は一気に横方向へ疾走した。
弦が鋭く鳴り、恐ろしい速さで矢が放たれる。
身体を低くしながら進む方向を大きく変える。矢はすぐ脇を通り抜け、そのまま背後へ飛んでいった。避けた勢いのまま、手元のガラスペンを切り返した。
次の矢をつがえようとするルシエルの足元へ、狙いを定めて緑を撃ち込む。
「くっ……!」
足元を塞がれたルシエルが、たまらず後方へ身を退いた。
バランスを崩し、握られた弓が大きく弧を描いて揺れる。
「見つけた!」
セレンが声を上げた。
「弓の中央だ! 太陽みたいな紋章があるだろう。その中心に重心がある!」
狙うべき場所は見えた。
弓の中央に刻まれた、太陽を模した紋章。その中心が重心だ。
だが、槍に比べて弓はあまりに華奢で細い。ましてやルシエルは、一瞬たりとも的を絞らせてくれないのだ。
私はガラスペンを構え直した。
「もっと細く絞った方がいいですか?」
「今のままでいい。絞りすぎて外すより、あの紋章の中心を通すことに集中して」
「……了解です」
ルシエルがこちらへ向き直る。
弓が掲げられ、流れるように矢がつがえられる。
胸の前へと上がってくる、太陽の紋章。
まだ引きつけろ。
弓が持ち上がり、狙いが私へ定まる。
まだ撃つな。
弦が限界まで引き絞られ、ルシエルの身体の動きがぴたりと止まる。
完全に狙いが定まり、静止した瞬間。
――ここだ!
紋章の中心へ狙いを絞り、緑を撃ち放つ。
「ルシエル!」
不意にレグルスの声が割り込んだ。
その声に反応したルシエルが、身体ごと弓の向きをずらした。
私の放った緑は、太陽の紋章のすぐ脇をかすめ、虚空へ抜けていく。
外れた。
そして――ルシエルの弓弦が鋭く鳴った。
とっさに地を蹴ったが、緑を放った直後で動き出しがわずかに遅れた。
右腕に、焼け付くような痛みが走った。
「ユイナ!」
「大丈夫、かすり傷です!」
突き刺さってはいない。鏃が皮膚を浅く裂いていっただけだ。
血が滲み、熱を帯びた痛みが脈打つ。だが、まだ動く。
ここで引けば、重心を狙える瞬間をもう一度最初から作らなければならない。 ルシエルはすでに次の矢へと手を伸ばしていた。
痛む腕を押さえながらも、私の頭は急速に冴えていく。一度の失敗が、むしろ明確な答えを運んできてくれた。
弓を引き絞って止まる瞬間だけを狙ってもだめだ。レグルスに声をかけられただけで、ルシエルはすぐに身を躱した。私がガラスペンを向ける動きだけでも避けるきっかけを与えてしまう。「相手が止まってから撃つ」では間に合わないのだ。
だったら、ルシエル自身を私が撃つべき場所へと誘導すればいい。
セラフィンの槍に当てたときと同じだ。
一発で重心に当てようと気負わなくていいのだ。
私はまず、ルシエルの右側を塞ぐように緑を放った。
緑を避け、ルシエルが左へ身を躱す。
着地するところへ、逃げ道を塞ぐように間髪を容れず二発目を撃ち込んだ。
「くっ……!」
連続した牽制を避け、ルシエルは弓をかばうように後ろへ跳んだ。
後ろへ跳ぶ動きに合わせ、弓の中央にある太陽の紋章が大きく弧を描いた。
次に紋章が通る位置が分かった。
私はガラスペンを構えたまま、その位置を見定めた。
姿勢を立て直したルシエルが、反撃のために弓を掲げた。
太陽の紋章が、私の狙っていた位置へ入る。
――今。
ガラスペンを素早く切り返し、三発目の緑を放つ。
細く絞った緑が、太陽の紋章の中心にある重心を真っ直ぐ捉えた。
「何――」
ルシエルが目を見開くのと同時に、弓全体を覆っていた黄が大きく揺らいだ。 重心を起点に黄が崩れ始め、弓全体へ一気に広がっていく。
ルシエルは弓を構え直そうとするが、その間にも黄の崩れは止まらない。
やがて最後に残った黄も消え、ルシエルの手には灰色の弓だけが残った。
「……できた」
今度は、間違いなく通った。
ルシエルの弓を覆っていた加護を、完全に壊した。
「弓の加護は消えた」
セレンがルシエルを見ながら言った。
けれど、ルシエル本人の身体にはまだ黄が残っている。
セラフィンも、槍の加護を失っただけでは戦うのをやめなかった。
ルシエルは加護を失った弓を一度確かめると、ためらわず私へ向け直した。
「まだ、戦うの……?」
自分でも、声がかすれているのが分かった。
「当然でしょう。弓の加護を失っても、私の任務は変わらないわ」
ルシエルはすぐに次の矢をつがえる。
弓の加護は消えても、あの矢が危険なことに変わりはない。
さっきまでと同じように、矢先がこちらへ向けられた。
「やっぱり、ルシエル本人の加護が残っているから……」
「ああ」
セレンが答える。
「セラフィンもそうだったけど、武器の加護を破壊しただけでは正気に戻らないみたいだ」
セラフィンは自分がなぜここに立っているのかさえ分からなくなっている。
けれど、目の前のルシエルは揺るがない。
ルシエルは私たちに弓を向け、命令どおり次の矢を放とうとしている。
「ルシエル、撤退しろ!」
ロアと剣を交えていたレグルスが、切迫した声で命じた。
「けれど、レグルス――」
「セラフィンの状態が明らかにおかしい。これ以上戦って、お前の加護まで失うわけにはいかない!」
レグルスはロアの短剣を長剣でいなし、間合いを確保する。
「ここは俺が引き受ける。お前は城に戻り、状況を報告しろ」
ルシエルはすぐには動かなかった。
弓を握りしめたまま、私たちとレグルスを交互に見ている。
「早く行け!」
「……分かりました」
ルシエルが弓を下ろし、そのまま後方へ走り出した。
「ルシエル!」
セラフィンが呼び止める。
「待ってくれ、どこへ行くんだ!?一体、誰に報告するつもりだ!」
返事もないまま、ルシエルは通りの先へ走り去っていく。その背中には、まだ黄の加護が残っている。私はガラスペンを向けかけたが、途中で手を止めた。
ルシエル本人の加護の重心は、まだ分かっていない。がむしゃらに緑を撃ち込んだところで当たるとは思えなかった。
「行かせていい」
セレンが落ち着いた声で言った。
「今はレグルスに集中しよう」
剣が激しくぶつかる音がした。
振り返ると、ロアがレグルスの長剣を短剣で外し、そのまま懐へ入ろうとしていた。
けれど、レグルスは慌てる素振りすら見せず、ただ一歩下がっただけで間合いを取り直す。ロアの手は、またしても届かなかった。
ルシエルが離脱してもなお、レグルスの動きにはわずかな乱れもなかった。
残された敵は、もはやレグルスただ一人。
三対一になったというのに、少しも安心できない。
レグルスは今もロアを寄せつけない。私たち三人で挑んでも、あの間合いを崩せるかどうか分からなかった。
「セレン」
「ああ、分かっている」
セレンはロアと剣を交えるレグルスの動きを見ていた。
「次は、剣の加護じゃない。レグルス本人の重心を暴き出す」
レグルスが握る大振りの長剣には、まだ眩い黄の輝きが満ちている。それだけでなく、彼自身の身体にも黄が残っている。
私は傷ついた腕を確かめ、ガラスペンをしっかりと握り直した。
戦いは、まだ終わっていなかった。




