第3話 崩れる加護
セラフィンの槍の穂先が、再びこちらを向いた。
さっきの失敗で分かった。見えている重心に向かってただ「緑」を撃ち込んでも、相手が動けば狙いはずれてしまう。これじゃ駄目だ。
私はガラスペンを構えたまま、槍の動きを見ることに集中した。一定の動きを繰り返すなら、重心の移動先を予測すればいい。
「ユイナ?」
「槍の動きから、重心の動きを予測します」
「分かった。重心は穂先の直下、翼を広げたような飾りの中心だ」
「はい」
槍を突き出した姿勢のまま、セラフィンが距離を詰めてくる。
私は間合いを保つよう慎重に下がりながら、撃つタイミングを計った。いま見えている重心を狙っても意味がない。緑が届くまでのタイムラグがある以上、見極めるべきは槍がどう動くかだ。
セラフィンがさらに距離を縮め、槍を後方へ引いて構え直す。
穂先の下にある翼の飾りが、引きの動作に合わせて弧を描いた。
そして、もう一度。
飾りが先ほどと寸分違わぬ軌道を描きながら通過していく。
――次も、間違いなくここを通る。
セラフィンが踏み込んだ。
槍を引き始める。
狙うのは、いまある場所ではなく「これから通る場所」。
私は装飾が次に通過する位置へ狙いを定め、細く絞り込んだ緑を撃ち放った。
セラフィンが槍をさらに後方へ引く。
翼状の飾りの中心が予測した位置へ入り、撃ち放った緑が重心を捉えた。
槍を覆っていた黄が、重心を中心に激しく揺らぐ。
「なっ――」
セラフィンが驚いて目を見張り、槍を引く。
だが、今回はこれまでのように表面が薄くなる程度では済まなかった。
黄は重心から一気に崩れ始め、槍全体へ広がるように消えていった。
セラフィンの握る槍から黄の輝きが完全に消え去った。
「何だと……」
離れたところで、レグルスが声を上げる。
ロアの短剣を長剣でいなしながら、レグルスはこちらを見た。
「槍の加護を破壊したのか……!?」
やっぱり、彼らもあの黄を加護と呼ぶんだ。
「ルミナ王から与えられた加護で間違いなさそうだね」
セレンの声が聞こえた。
確かに加護の破壊には成功した。加護を失い、セラフィンの手に残ったのはただの灰色の槍だ。けれど、武器そのものが壊れたわけではない。
カレンの馬車を覆っている黄も、使徒たちの黄とよく似ている。あれも同じ加護なのだろうか。でも、同じものかどうかは分からないし、今は、馬車のことを考えている場合じゃない。
セラフィンが槍を構え直す。
槍の加護はなくなったが、セラフィン自身を覆う黄はまだ残っている。
「まだ終わっていない――!」
槍を構えたまま、再びこちらへ距離を詰めてくる。
私は後ろへ下がりながら、ルシエルの位置を確かめた。
弓はすでにこちらへ向けられている。
私は横へ位置をずらし、ルシエルとの間にセラフィンが入るように動いた。これなら、ルシエルも簡単には矢を撃てない。
セラフィンが横へ動けば、私もそれに合わせて位置を変える。槍の間合いに入らないよう注意しながら、二人の位置関係を保った。
「ユイナ、やつの重心はみぞおちだ! 真ん中からわずかに右にある!」
重心の位置を知らせるセレンの声が届いた。
「分かりました!」
セラフィンがさらに距離を詰めてくる。
みぞおちの重心を見定めてから撃っていては、その隙に槍の間合いへ入られる。
私は咄嗟に、踏み込んでくるセラフィンの脚へ緑を放った。
狙ったのは重心ではなく、前に出ようとする脚だ。
重心じゃなくても、当たれば牽制にはなる。
セラフィンは緑を避けるために足を止め、そのまま後ろへ退く。
彼との間合いが再び開く。
これで、少しだけ重心を狙う時間ができた。
けれど、みぞおち付近の重心は、槍の重心のように同じ動きをしてくれない。
セラフィンが身体を動かせば、重心の位置もそのたびに変わる。
右側では、ロアが短剣で長剣をいなしつつ、レグルスの懐へ飛び込む隙を窺っている。しかし、短剣と長剣の間合いはまるで違う。
レグルスは自らの間合いを決して崩さず、ロアの短剣が届かない位置から剣を繰り出し、近づこうとすればすぐに次の斬撃で押し返してくる。
ロアは正面から受け止めず、短剣の側面で剣を滑らせ、最小限の力で太刀筋を外していた。そのまま一気に距離を詰め、空いた左手をレグルスの腕へ伸ばす。
あと少しで届く。
だが、レグルスは剣を引きながら後ろへ下がり、ロアの手が触れる前に間合いを取り直す。
「ちっ」
前へ追撃しようとしたロアの鼻先を、鋭い長剣の切っ先がかすめる。
レグルスが低い位置から長剣を斬り上げる。ロアは短剣でその軌道を横へ弾き、再び懐へ潜り込もうとした。
だが、レグルスはその動きすら完全に読んでいた。わずかに足を引いて間合いを保ち、ロアの左手が届く距離へ決して入らせない。
レグルスが長剣を振り上げる。
「ロア、危ない!」
振り下ろされた長剣を、ロアは短剣で受け流した。直撃こそ避けたものの、刃が上着の肩口を浅く裂いた。それでも退かず、剣が戻る前に踏み込んで左手を伸ばす。
レグルスはわずか半歩、身を引いた。
また、届かない。
ロアにとって短剣は、レグルスを斬るための武器ではない。長剣をかわして一度でも懐へ入り、相手に触れるために使っている。
レグルスは、その意図を悟っているかのように、その「一度」を許してくれない。
「ユイナ!」
セレンの緊迫した声で、私はセラフィンへ意識を戻した。
牽制の緑を避けて後ろへ退いたセラフィンは、すでに槍を構え直していた。重心は、みぞおちからわずかに右にある。
けれど、同じ動きを繰り返していた槍とは違い、一歩踏み出すだけでも身体の向きは変わるし、槍を引き戻せば重心の位置も動いてしまう。
セラフィンが再び距離を詰め始める。
私は下がりながら、みぞおちの重心へガラスペンの狙いを合わせる。
まだ遠い。
もう少しだけ引きつける必要がある。でも近づかせすぎれば、槍の間合いに入ってしまう。その前に撃たないといけない。
セラフィンが一歩踏み込んだ。
ここだ。
細く絞った緑を、みぞおちの右側へ放った。
セラフィンは迫る緑を見て、身体を横へずらす。
緑はセラフィンの脇をすり抜けていく。
「外した……」
狙った場所は間違っていない。撃った瞬間には、確かに重心がそこにあった。
当たり前だが、撃ってから緑が届くまでの間に身体を動かされれば、狙いは外れる。
この距離から一発ずつ撃っていても、当てられない。
だったら、一発で当てようとしなければいい。
一発目を避ければ、セラフィンの身体は避けた方向へ動く。その動きに合わせて、すぐに二発目を撃つ。
「セレン」
「何?」
「続けて二発撃ってみます。一発目を避けたところへ、二発目を撃ちます」
「二発続けて?」
「練習でもやったことはありません。でも、一発ずつじゃ永遠に当たりません」
セレンは少し考えたあと、セラフィンを見た。
「分かった。一発目を避けた方向をよく見て。身体を動かした直後なら、すぐ反対には動けないはずだ」
「はい!」
できるかどうかは分からない。細く絞った緑を、間を置かずに撃つのは初めてだ。
それでも、やるしかない。
セラフィンが槍の穂先を突き出し、再び間合いを詰めてくる。
私は下がりながら、みぞおちの右へガラスペンを向けた。
槍の間合いへ入られる前に撃つ。
一発目の緑を撃った。
セラフィンは即座に反応し、身体を左へ滑らせた。
緑は外れた。
けれど、今回はそれでいい。
セラフィンの身体は、左へと流れたままだ。
私はガラスペンの狙いをその流れに合わせてずらし、二発目の緑を撃った。
「――っ!」
二発目の緑が、みぞおちの右側へ当たる。
セレンに教えられた重心だ。
セラフィンが纏っていた黄が、大きく揺らいだ。
「セラフィン!」
ルシエルが叫ぶ。
黄はみぞおちの重心から崩れ始め、胸、腹、肩、腕へと一気に広がっていく。
セラフィンが後ろへ下がった。
しかし、重心を破壊された加護は、もう元には戻らなかった。
やがて、セラフィンの全身を覆っていた黄の加護が完全に消えた。
そしてセラフィンが動きを止めた。
「……?」
槍を構えたまま、戸惑ったように周囲を見回す。
「セラフィン?」
ルシエルが呼びかける。
セラフィンはルシエルの声に反応したあと、ロアと対峙していたレグルスを見る。
「……レグルス?」
「何を呆けている、セラフィン!」
レグルスがロアの短剣を警戒しながらも、苛立ちと訝しさの混じった声を返す。
だが、セラフィンは答えず、ゆっくりと私たち三人を見た。
「俺たちは……ここで何をしているんだ?」
「何?」
「レグルス、こいつらは誰なんだ?俺たちはなぜ、こいつらに武器を向けている?」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
「何を言っている。命令を忘れたのか?」
「……命令?」
セラフィンの顔は、本当に心当たりがないように見えた。
「セラフィン、この三人は――」
ルシエルが言葉を続けようとする。
「待って」
セレンがルシエルの言葉を遮った。
私もようやく、今起きていることに気づいた。
槍の加護を失ったとき、セラフィンの敵意や行動には何の変化もなかった。
けれど、身体を覆っていた加護が消えた途端、私たちを敵と認識しなくなった。
「……命令も、加護と一緒に消えた?」
私が呟くと、セレンがセラフィンから目を離さずに答えた。
「ああ、その可能性が高い。加護が思考を縛っていたのか、加護によって命令が定着していたのかは分からないが……少なくとも、私たちを殺しに来たことを覚えていないみたいだ」
加護を失ったセラフィンは呆然と立ち尽くし、レグルスとルシエルを交互に見つめていた。
「セラフィン! 何を遊んでいる、さっさと戦え!」
レグルスが苛立ちを爆発させる。
けれど、セラフィンは槍を構えたまま、動こうとしない。
「戦えって……なぜだ? こいつらが誰なのかも分からないのに」
「命令だ!」
「なら、誰の命令だ?」
レグルスの表情が変わる。
「セラフィン、横へ避けて!」
セラフィンが反射的に脇へ退いた。
その瞬間、弦の音が鳴る。
「ユイナ、避けて!」
セレンの声に反応して横へ動く。
直後、すぐ横の地面に矢が突き立った。
ルシエルはもう次の矢をつがえている。セラフィンの身に何が起きたのかは分かっていなくても、彼女の戦う意思は消えていない。
「次は、ルシエルの加護を壊せれば……」
「同じことが起きるかもしれない」
セレンが続ける。
「でも、あいつの重心はまだ分かってない。ユイナ、少し時間を稼いでほしい。もう少し近づければ、重心を探れる」
「分かりました!」
ルシエルが弓を引き絞る。
今は、重心を狙う必要はない。
セレンが重心を見つけるまで、私がルシエルの注意を引き付けておけばいい。
私はガラスペンを構え、ルシエルに向けて緑を撃った。




