第14話 消えた宰相
王都へ入るころには、黄に覆われた王城は建物の向こうに隠れたり、通りの先にまた現れたりするほど近くなっていた。
門の前で馬車が止まる。
私は少し身構えたまま、外の様子を伺った。
ここへ来る途中、何度も考えた。
セレンの家で待ち伏せていた槍の男は、私たちを狙っていた。最初に襲ってきたときも、二人は私たちを王国に敵対する者として討つと言っていた。
もし王国が私たちを捕まえようとしているなら、この門で止められてもおかしくない。
「行くよ」
カレンが馬車を進めた。
門兵がこちらを見る。
門兵が馬車の前に立ち、カレンと言葉を交わしている。どこから来たのか、何人乗っているのかを兵に伝えていた。
私は窓から顔を出さず、そのまま座って待った。
しばらくして馬車が動く。
「入れた?」
エマが聞いた。
「ああ。普通にね」
御者台からカレンが答えた。
私はロアを見る。
「止められなかったね」
「ああ」
「王国全土に話が行き渡っているわけじゃないのかな」
「分からない。入れたからって安心はできないだろ」
「そうだね」
セレンも窓の外を見ながら言った。
「とりあえず、私たちを見つけたらその場で捕まえろ、みたいな状態ではなさそうだね」
王からの命令なのか。
あの二人が独自に私たちを狙っているのか。
それを確かめるために戻ってきたのだから、今考えても答えは出ない。
馬車は王都の通りを進んだ。
建国祭のときとは違い、道を埋めるほどの人はいない。店先には祭りの飾りがまだ残っているところもあったが、通りを歩く人たちは荷物を運んだり、店へ入ったり、それぞれの日常に戻っている。
数日前、この町で私たちはルミナ王を見た。
あのとき王の隣にはエルディンがいた。
その日のうちに王城へ行き、同じ部屋で話もした。
今回は、城門でエルディンへの面会を頼むつもりだ。
数日前には、王城で宰相を名乗っていた。
「まず宿を取ろうか」
カレンが言った。
「この馬車で大勢でそろって城へ行ったら、向こうも驚くだろうしね」
「そうですね」
「それと、エマは城へは連れていかない」
エマがすぐに顔を上げた。
「なんで?」
「遊びに行くんじゃないから」
「私、静かにしてられるよ」
「そういう話じゃない」
カレンが即座に返した。
「この前、ユイナたちを襲った連中が王国の人間かもしれないんだ。そんなところへあんたを連れていけるわけないじゃないか」
エマは口を尖らせた。
「じゃあ、お母さんも行かないの?」
「行かないよ」
「え?」
私が声を出してしまった。
カレンが振り返る。
「何だい?」
「一緒に来るのかと思ってました」
「行ったところで、エルディンって男のことは知らないからね。あんたたち三人は前に会ってるんだろ?」
「はい」
そこでカレンに初めて会ったときから、ずっと気になっていたことを思い出した。この馬車のことだ。この馬車は灰色じゃない。
王城と同じ黄。
私たちを襲った槍の男や弓の女が纏っていたのも、同じ黄だ。
ロアの傷を手当てしてもらったばかりのときは、疑うようなことを聞くのはやめようと思った。
そのあと一緒に旅をすることになってからも、黄の使徒との戦いやセレンの解析が続いて、結局聞けないままだった。
でも、黄の王城がある王都まで来てしまった。
もう聞かないままにはしておけない。
「カレンさん。ずっと聞きたかったことがあるんですけど」
「何だい?」
「この馬車です」
「馬車?」
「どうして、この馬車は黄なんですか?」
カレンはすぐには答えなかった。
私は続ける。
「王城の色は黄です。私たちを襲った人たちも黄でした。それに、カレンさんの馬車も同じ色をしています」
ロアとセレンも黙ってカレンを見ている。
「ルミナ王と、何か関係があるんですか?」
「ああ。そのことか」
カレンは納得したように息を吐く。
「あるよ」
思っていたよりあっさりした返事だった。
「昔、商隊をやってたって話はしただろ?」
「はい」
「その頃、私は商隊長をしてた。何度も危ない道を通って荷を運び、その働きを認められてね。商隊長の称号をもらったんだ。そのとき、ルミナ王に直接会ってる」
「ルミナ王に?」
思わず聞き返した。
「ああ。そのとき王から下賜されたのが、この馬車だよ」
「じゃあ、この黄も……」
「ああ。そのときからだよ。あんたたちが黄って呼んでる色を纏ってた。黄が何なのかまでは知らなかったけど、普通の馬車より頑丈なのは昔から分かってた」
「たぶん、ルミナ王の加護だね」
セレンが言った。
カレンがそちらを見る。
「加護?」
「私たちを襲ったやつらや、その武器についてた黄と同じものだと思う。ルミナ王から与えられた黄が、外から守ってるんだよ」
「じゃあ、この馬車も?」
「うん。この馬車の黄が同じ加護なら、緑以外の色からはかなり守ってくれるはずだよ。逆に、緑を集中して当てれば加護そのものを削ることもできる」
カレンは少し驚いたように窓の外を見た。
「そんなものが、ずっと馬車についてたのか」
「だから普通の馬車より頑丈だったんだと思います」
私が言うと、カレンは小さく息を吐いた。
「王からもらったものだから特別なんだろうとは思ってたけど、そんな仕組みだったとはね」
「今でも、王国の仕事を受けることはあるんですか?」
聞いてから、少し直接的すぎたかなと思った。
けれど、カレンは気を悪くした様子もなかった。
「してないよ」
はっきり答える。
「エマが生まれたときに商隊は辞めた。商隊長の称号もそのとき返上している。今の私は王国の人間でもなければ、王から仕事を受けてるわけでもない」
「そうだったんですね」
胸の奥にあったもやもやしたものが、少しだけ晴れていった。
カレンは私を見て、眉を上げる。
「もしかして、ずっと私が王国の回し者か何かじゃないかって疑ってた?」
「そこまでは……」
言い切れずに言葉が詰まった。
カレンが笑った。
「まあ、あんたたちからしたら当然か。黄をまとった連中に追いかけられて、その直後に同じ黄の馬車を持った女が現れたんだからね」
「すみません」
「謝ることじゃないよ。これから一緒に旅をするんだ。気になることがあるならすぐに聞きな」
そう言われて、私は小さく頷いた。
「ただ、私が王城について知ってるのはその程度だよ。王に謁見したことはあるけど、城の内情には関わってない。エルディンって男のことも知らない」
「あんたたち三人は前に会ってるんだろ?」
「はい」
「だったら、三人で行った方が話が早い。それに、エマを一人で宿に置いていけないからね」
言われてみれば、その通りだ。
「何かあったら、すぐ戻ってきな」
「何かあったら戻れないかもしれないだろ」
ロアが言う。
カレンが苦笑いする。
「そういうことを今言うんじゃないよ」
「でも――」
「戻るつもりで行けって言ってるの」
ロアが黙った。
隣でエマが笑う。
「ロア、怒られた」
「うるさい」
少しして、カレンが馬車を停められる宿を見つけた。
部屋を取り、馬を預ける手続きを済ませる。
荷物を全部運び込む必要はないので、私たちは必要なものだけを持った。
エマは宿の部屋に入るなり、窓際の椅子へ座って紙を広げている。
「帰ってきたら見せるね」
「何を描くの?」
「まだ決めてない」
「そっか」
「帰ってくるまでに描くの」
エマは炭を一本取り出した。
カレンがその頭を軽く撫でる。
「ほら、三人とも行ってきな。暗くなる前には戻ってきなよ」
「はい」
私はロア、セレンと一緒に宿を出た。
◇
王城へ続く通りを歩く。
建国祭の日には人で埋まっていた広場も、今日は普通に横切ることができる。
通りを抜け、王城の前まで来る。
城壁は、顔を上げなければ上まで見えないほど高い。
城壁も、その奥の城も黄に染まっている。
遠くから見たときより、ずっと鮮やかだ。
あの日と変わっていない。
「行こう」
セレンが門へ向かった。
祭りのときに並んでいた陳情受け付けの机は、もうない。
城門の前には兵が立っている。
私たちが近づくと、兵がこちらへ歩いてくる。
「王城に何かご用ですか」
「エルディン・レイヴァに会いたい」
セレンが答えた。
「エルディン・レイヴァ?」
「ああ。宰相だよ」
兵はすぐに返事をしない。
「もう一度、お名前をよろしいですか」
「エルディン・レイヴァだ。数日前にも、ここで会ってる」
兵は隣にいたもう一人を見る。
その反応を見て、嫌な感じがした。
知らないふりをしているようには見えない。
本当に名前を聞いたことがないようだった。
「少々お待ちください」
一人が門の内側へ入っていく。
「何だ?」
ロアが小さな声で聞く。
「分からない」
セレンも兵が消えた方を見ていた。
しばらくして、兵が一人の男を連れて戻ってきた。
年齢はセレンより上に見える。兵と同じ装備ではなく、城で働く役人らしい服を着ていた。
「お待たせしました。エルディン・レイヴァという方への面会を希望されていると伺いました」
「ああ。王国宰相のエルディン・レイヴァに会いたい」
「申し訳ありませんが、そのような者は王城にはおりません」
セレンの表情が変わる。
「今はいない、という意味?」
「いえ。王城で働く者を確認しましたが、その名前の者はおりません」
「確認って、何を確認したの?」
「王城で働く者の名簿です。エルディン・レイヴァという名前はありません」
「いや、この国の宰相だよ?私たちは数日前に会ってるんだ。建国祭の日に、ルミナ王の隣でテラスにも立っていた」
男は答えなかった。
私が口を挟む。
「そのあと、私たち三人でこの城に入りました。エルディンさんと部屋で話をしてます」
「その方が、エルディン・レイヴァと名乗ったのですか?」
「そうです」
「王城の中で?」
「はい」
男はセレンを見る。
「その際、どの部署の者が案内したか、お分かりになりますか」
私は答えられなかった。
案内してくれた兵の顔は覚えているが、名前は聞いていない。
「名前までは聞いてない。でも、申立所から取り次いでもらった。宰相本人が会うと言って、兵が迎えに来たんだ」
「申立所から、ですか」
「ああ」
男は少し考えた。
「申し訳ありません。当日の記録については、担当に確認します。ただ――」
そこで言葉が止まった。
「何?」
「先ほどから『宰相』とおっしゃっていますが、それは何でしょうか」
セレンが何も言わなくなった。
私も、一瞬意味が分からなかった。
「……はい。王国の宰相です」
男は戸惑ったまま続ける。
「王国に、宰相という役職はありません」
今度は、誰もすぐには言葉を返せなかった。
風が門の前を吹き抜けた。
後ろの広場では人が歩いている。
王城の兵も、役人も、何も変わった様子はない。
でも、今の言葉だけは、どうしても受け入れられない。
「……ない?」
私が聞いた。
「はい」
「今は空いている、とかじゃなくて?」
「空いている?」
男が聞き返した。
「前はあったけど、今は誰も就いていないとか」
「いえ。誰も就いていないという意味ではありません」
セレンが一歩前へ出る。
「私たちは数日前、この城で王国宰相エルディン・レイヴァと会った。本人もそう名乗った。それでも、いないって言うの?」
「私には、その件についてお答えできることがありません」
「またか。じゃあ、建国祭の日の記録を調べてくれ」
「確認はいたします」
「私の名前も残ってるはずだ。セレン。この二人を連れて宰相に面会した」
男はセレンの名前を確認すると、近くの兵に担当へ伝えるよう頼んだ。
兵はうなずき、城の中へ入っていく。
セレンは少し待っていたが、やがて息を吐いた。
「分かった。今日はもういい」
「よろしいのですか?」
「今ここで待ってても、同じ答えしか返ってこなさそうだからね」
私たちは城門から離れた。
広場まで戻ったところで、ロアが口を開く。
「どういうことだ?」
「私にも分からないよ」
「でも、似たことは前にもあった」
「前?」
「文香がエルディンを調べたときだよ」
私は足を止めた。
「フィリナで聞いた話ですか?」
「ああ。文香は、私が王城で倒れたあとエルディンのことを調べた。ここにも来たけど、そんな人間はいないと言われたんだ」
「それと同じ……?」
「似てる。でも今回は、もっとおかしい」
セレンが王城を振り返った。
「私だけじゃない。君たちもエルディンには会ってる」
「ああ」
ロアが答える。
「それも数日前のことだ」
「私たち三人とも、あの城の中で話したんですよね」
「そうだよ」
「エルディンはいた。宰相を名乗っていた。それは間違いない」
私も覚えている。
机を挟んで座ったことも。
文香さんについて聞いたことも。
セレンの石化した腕を見て、解析を続けない方がいいと言ったことも。
全部、数日前のことだ。
「なのに、いない……」
私はもう一度王城を見た。
城は何も変わっていない。
黄の城壁も門も、建国祭の日と変わっていない。
でも王城では、エルディン・レイヴァという名前を誰も知らない。
それだけじゃない。
あの人が名乗っていた宰相という役職まで、最初から存在しないと言われた。
「セレン」
ロアが呼んだ。
「ああ」
セレンは来た道を戻り始めた。
「一度、宿へ戻ろう。カレンにも話した方がいい」
私たちもセレンのあとに続く。
私たちへの襲撃は王国の命令かどうか確かめるつもりでここに来た。
けれど、確かめるつもりだったエルディンに会うことができなかった。
エルディン・レイヴァ。
数日前まで王城にいたはずの男が、また消えてしまった。




