第13話 流れを描く
次に馬車が止まったとき、エマは私に向かって指を五本立てて見せた。
「五回だからね」
「分かってるよ」
「さっきもそう言ってたけどやめなかったよね」
「今度はちゃんと五回でやめます」
エマに念を押されながら、私は馬車を降りた。
街道から少し外れたところに、馬車を停められる広さの空き地があった。カレンは四頭の馬の状態を順番に確かめ、水を飲ませている。ロアとセレンも馬車から降りてきた。
右手を開いたり閉じたりして、痛みが残っていないか確かめた。
前の休憩で感じた痛みは、もうほとんど残っていない。
「本当に痛くないんだろうね?」
馬のそばからカレンが聞いてきた。
「大丈夫です」
「痛くなったら五回やってなくても終わりにしなよ」
「はい」
私はガラスペンを取り出す。
ロアが隣に立つ。
「手は本当に、大丈夫か?」
「うん。もう痛くないよ」
「痛くなったら、すぐやめろよ」
「分かってる」
「さっきも止められるまで続けてただろ」
言い返せず、私は口を閉じる。
「……気をつけます」
少し離れたところから、セレンが声をかけてくる。
「さっき細くできたときと、同じやり方で試してみたら?」
「はい」
ロアから少量の緑を引き出す。
透明な軸の中へ緑が入ってきたところで、私はすぐにはペンを振らなかった。
前の休憩では、緑を出す前から一本の線を思い浮かべた。そのときだけ、最初のわずかな部分だけ細くなった。
だから今度も、ガラスペンの先から一本の細い線が伸びていく形を思い浮かべる。
「一回目」
エマの声が聞こえた。
「まだやってないよ」
「今からでしょ?」
「そうだけど」
笑いそうになって、いったんガラスペンを下ろした。
「エマ。少し静かにしてやんな」
「はーい」
カレンに言われ、今度こそエマが黙る。
もう一度、ペン先から伸びる細い緑を思い浮かべる。
細い線を意識したまま、ガラスペンを前へ振る。
緑が伸びる。
最初は細い。
けれど、私の手から少し離れたところで左右へ広がってしまった。
「前より細いまま維持できてたな」
ロアが言った。
「うん」
問題は、その流れを保てないことだ。
私はもう一度ロアから緑を受け取った。
「二回目」
今度は、細い線のまま伸びていく形を思い浮かべる。
ガラスペンを振った。
緑は先端から細く伸び、そのまま前へ進んだ。
「……いける」
けれど、緑は途中から大きく広がった。
「ああっ」
すぐに止める。
緑は空中で薄れ、消えていった。
「途中まではよかったね」
セレンがこちらへ歩いてくる。
「でも、急に広がりました」
「途中で何か変えた?」
「変えてないつもりです」
「じゃあ、もう一度同じようにやってみよう。無理に変えなくていいよ」
私は頷いた。
三回目は、二回目より早く広がった。
四回目は、出した直後からいつもの太さに広がった。
「あと一回」
エマがまた指を一本だけ立てている。
思っていたより難しい。
細くしようと意識しすぎると、ガラスペンを握る手に力が入る。
手の力を抜くと、今度は細い緑を意識できなくなる。
さっき描いたエマの線を思い出した。
エマも、最初は太い線を何度も引いていた。途中から太くなった線もあれば、最後まで細く引けた線もあった。
エマは、細い形を描いたんじゃない。
一本の線を、途切れずに引いていた。
私は右手の指を一度開き、ガラスペンを持ち直した。
「最後です」
「別に最後の一回で完成させなくてもいいんだよ」
セレンが言った。
「分かってます」
「本当に?」
「……できれば成功したいです」
「だと思った」
ロアが横で小さく息を吐いた。
「失敗しても六回目はないからな」
「ロアまで」
「五回って決めただろ」
「分かってるよ」
肩の力を抜く。
ロアから緑を引き出し、ガラスペンへ集めた。
ペン先に集まった緑を見る。
意識するのは、緑の形じゃない。
ペン先から、細い緑の流れを一本通す。
今まで意識していたのは、出す瞬間の細さだけだった。
出したあとも、その流れを途切れさせない。
私はガラスペンをまっすぐ前へ振った。
細い緑が伸びた。
広がらない。
緑は細い流れを保ったまま、その先へ伸びていった。
やがて薄くなり、その場で消える。
「……今の」
ガラスペンを下ろして、ロアを見る。
「ああ。最後まで細かった」
「セレン」
「見てたよ」
「今のは、途中で広がらなかったね」
「形じゃなくて、流れを意識したらできました」
「これなら、重心も狙えるでしょうか」
「狙いを重心に絞れるようにはなったと思う。でも、狙って当てるのはまた別だね」
分かってはいたけれど、少しだけ残念だった。
その横からエマが駆けてくる。
「でもできたよ」
「一回だけね」
「一回できたなら、次もできるよ」
「エマは簡単に言うなあ」
「私だってできたから」
また同じことを言っている。
「じゃあ、次はちゃんと狙ったところに出せるようにする」
「六回目?」
「今はやらないよ」
エマが笑った。
カレンも馬のそばから戻ってきた。
「ちゃんと五回で終わったね」
「私だって約束くらい守ります」
「前の休憩のときをみる限り、念を押しておいて正解だったと思うけどね」
私はガラスペンをケースへ戻した。
細い緑は一度だけ成功した。
まだ自在に使えるとは言えないし、動いている相手の小さな重心へ当てられるかも分からない。
でも、これまでのように広く放つ以外の使い方ができることは分かった。
「続きは、また次の休憩のときですね」
「ああ」
カレンが馬を十分に休ませてから、私たちは再び街道へ戻った。
◇
馬車が動き出してからも、私は何度か右手の感覚を確かめていた。
最後の一回だけは、細い流れのまま緑を伸ばすことができた。
形ではなく流れを意識したことが、今までとの違いだ。
同じようにやれば次もできるのか。
狙った場所に、細く流せるか。
分からないことが多い。
向かい側では、エマがさっきの続きを描いている。
細い線を何本か引いたあと、そのうちの一本を指でなぞっていた。
「それ、うまくいったやつ?」
「うん」
「残すんだ」
「残すよ」
エマは当然のように答えた。
「だって、後でできたって分かるから」
私は少し笑った。
最後に出した緑は、もう消えている。
炭のように残すことはできない。
それでも、最後の一回で何を意識すればいいかは分かった。
次も、あのときの流れを意識すればいい。
しばらくして、御者台からカレンの声がした。
「王都が見えてきたよ」
私は窓の外を見る。
街道の先、灰色の建物が集まるさらに向こうに、黄の王城が見えていた。
数日前、私たちはあの城でエルディンと話をした。
その翌日、黄をまとった二人に襲われた。
あの二人は、王国の命令で私たちを襲ったのか。
それとも、別の誰かがあの二人を動かしているのか。
確かめるために、もう一度あの城へ行く。
できれば、今度は戦わずに済ませたい。
遠くに黄の王城を見ながら、馬車は街道を進んでいった。




