第12話 小さな手応え
「小さいよ」
セレンはそう答えた。
「どれくらいですか?」
「うまく言えないんだけど、境目がはっきり見えるものじゃないからね。ただ、広くはない。今日君が見せた緑だと、加護だけを狙うのは難しいと思う」
今日使った緑を思い出す。
ガラスペンから出た緑は、渦を巻くように広がって槍の男を覆った。黄は一度見えなくなったけれど、狙った場所だけに緑が当たったわけではない。
「もっと細くできればいいんですよね」
「できれば、だけどね」
セレンは眼鏡を押し上げる。
「まだ重心が何なのかも分かってない。細くできても、何が起きるかわからないよ」
「はい」
「でも試しておくのは悪くないと思う」
前の席からロアが振り返って言った。
緑はロアの中にあるから、試すことはできる。
ガラスペンを取り出しかけたところで、カレンがすぐに口を挟んだ。
「馬車の中ではやめてよ」
手が止まる。
「まだ何もしてません」
「今からする顔だったよ」
「顔で分かるんですか?」
「分かる」
エマまで頷いた。
「分かる」
「エマまで……」
「外に出てからにしな。馬を休ませるところまで、もうそんなにかからないから」
カレンはそう言って前を向いた。
仕方なくガラスペンをしまう。
向かいでは、エマがまた馬の脚を描いていた。
さっきより線は少ない。
一本で描けたところもあれば、途中から二本になっているところもある。
私はその紙を見ながら、自分の緑が細い一本の線になるところを想像してみた。
けれど、頭に浮かぶのは、今日何度も見た大きな緑の渦だ。
しばらくして、馬車が道の脇に止まった。
土を踏み固めた小さな広場の端には、馬を繋ぐための木の杭が並んでいる。屋根だけの簡単な小屋もあった。
カレンは馬の様子を見に行き、エマもその後ろについていった。
私は馬車から降りると、少し離れた場所まで歩いた。
ロアが付いてくる。
「ここならいいか」
「たぶん」
「たぶんじゃ困るんだけどね」
後ろからセレンが来る。
「人もいないし、道へ向けなければ大丈夫だろ」
ロアが言うと、セレンは周囲を見回す。
「まあ、そうだね。最初は遠くを狙わない方がいい」
「分かりました」
ガラスペンを取り出す。
ロアが私のすぐ横に立った。
意識を向けると、ロアの中に残っている緑が分かる。
ガラスペンを握り、その緑を少しだけ受け取る。
先端に緑が集まる。
いつもなら、ここから一気に外へ出す。
でも今日は違う。
細く。
エマが炭で引いた線を思い出す。
紙の上を一本だけ進んでいく線。
私はガラスペンを前へ向けた。
緑を放つ。
緑は目の前で大きく広がった。
「あっ」
慌てて止める。
足元に、緑が散って消えていった。
セレンが少し離れたところから見ている。
「いつもとあまり変わらないね」
「分かってます」
「責めてないよ」
「分かってますけど」
もう一度、ロアから緑を受け取る。
今度は量を減らした。
さっきより少なく。
少なくすれば、その分細くなるかもしれない。
ガラスペンを振る。
緑が出た。
さっきより短い。
でも、太さはほとんど変わらなかった。
「量じゃないのか……」
自分で呟く。
ロアが緑の消えた辺りを見た。
「短くなっただけだな」
「うん」
セレンも見ていた。
「出す量を減らすだけじゃ、形は変わらないみたいだね」
「じゃあ、どうすればいいんでしょう」
「それを今から探すんじゃないの?」
「そうでした」
三回目。
今度はガラスペンを強く握った。
広がらないように押さえるつもりで、先端へ意識を集中する。
細く。
一本だけ。
緑が出る。
さっきより勢いよく前へ伸び、そのまま横へ広がった。
「違う」
強く握ったせいで、指が少し痛い。
「力を入れても駄目か」
「むしろ勢いが増したね」
セレンの言葉に、私はガラスペンを見る。
「絵と同じにはいかないですね」
「炭とは違うからね」
それはそうだ。
分かっていたけれど、少し悔しい。
エマは何度か失敗しながら、それでも少しずつ細い線を描けるようになっていた。
私は三回やって、まだ一度もできていない。
「もう一回」
ロアから緑を受け取る。
「別に急がなくたっていいだろ」
「急いでないよ」
「今の言い方は急いでるけどな」
「……もう一回だけ」
ロアは何も言わなかった。
今度は、出す瞬間ではなく、その前から形をイメージしてみる。
緑を大きな塊として考えない。
ガラスペンの先から、細い一本が伸びているところを思い浮かべる。
エマの紙。
一本目は太かった。
二本目は途中だけ細かった。
三本目は最後に炭が折れた。
それでも何度も引いていた。
ガラスペンを前へ向ける。
緑が先端から出る。
最初のほんの少しだけ、細かったが、その直後広がった。
「あ」
今のは、さっきまでと違う。
「見ました?」
「ああ」
ロアが答える。
セレンもこちらへ歩いてきた。
「最初だけだったね」
「細かったですよね?」
「細かった。でも、すぐ広がった」
「それでも前よりいいです」
もう一度やろうとして、ガラスペンを構える。
「ユイナ」
ロアに止められた。
「何?」
「一回休め」
「まだ大丈夫だよ」
「手」
言われて、自分の右手を見る。
ガラスペンを強く握り続けていたせいで、指先が赤くなっていた。
握り直す。
少し痛い。
「これくらいなら」
「休め」
今度はカレンの声だった。
馬から戻ってきている。
その隣にはエマもいる。
「ロアが止めても続けるなら、あたしが止めるよ」
「そんなにやってませんよ」
「何回?」
「四回です」
「十分だよ。水飲んできな」
反論しようとしたが、エマが水筒を持ってこちらへ走ってきた。
「はい」
「ありがとう」
受け取る。
もう続けるとは言いにくくなった。みんな過保護だな。
屋根の下まで移動して腰を下ろす。
水を飲むと、思っていたより喉が渇いていた。
エマが私の隣に座った。
「できた?」
「まだ」
「全然?」
「……ちょっとだけ」
「じゃあできたじゃん」
「最初だけだよ。すぐ広がっちゃった」
エマは少し考えてから、自分の書いた絵を見せる。
さっき練習していた線が何本も書かれている。
「これも途中だけ細いよ」
エマが二本目に描いた線を指した。
確かに途中だけが細い。
「そのときは、できたねって言ってくれたでしょ?」
「言ったね」
「じゃあユイナも同じ」
「同じかな」
「同じだよ」
エマは迷わず言った。
私は紙を見る。
太い線の途中に、短い細い部分がある。
その隣には、途中で折れた炭の跡が残っている。
「丸つける?」
「え?」
「細くできたところ」
エマが炭を差し出してくる。
「私の緑には丸はつけられないよ」
「あ、そっか」
エマが笑った。
私も笑う。
さっきまで、できなかったことばかり考えていた。
でも、四回目の最初だけは違った。
どうして細くなったのかは、まだ分からない。
同じようにやって、もう一度できるかも分からない。
それでも、希望が持ててきた。
「次はもう少し長くできるかな」
「できるよ」
「簡単に言うね」
「だって、私だってできたもん」
エマが自分の細い線を指す。
「じゃあ負けられないね」
「また張り合ってる」
後ろからカレンに言われた。
「張り合ってません」
「昨日からそればっかりね」
「本当に張り合ってないですから」
エマが笑う。
少し離れたところで、ロアもこちらを見ていた。
セレンはその横で何か考えている。
「セレン?」
「ん?」
「どうしました?」
「いや。今の緑、最初だけ形が違ったからね。何が違ったのかなと思って」
「線をイメージしました」
「線?」
「出す前から、細い線が伸びるところを思い浮かべてたんです。エマが描いてたみたいに」
セレンがエマの紙を見る。
「なるほど」
「それで細くなったかは分かりませんけど」
「一回だけじゃ分からないね」
「はい」
「でも、次に試すことは決まったね?」
私はガラスペンを見る。
次も同じように細くなるとは限らない。
もっと太くなるかもしれないし、またいつものように広がるかもしれない。
でも、次に何を試せばいいのかは分かった。
「次の休憩所でもやっていいですか?」
私はカレンに聞いた。
「手が痛くなくなってたらね」
「分かりました」
「あと五回まで」
「四回じゃなくて?」
「増やしてやったんだから感謝しな」
「はい」
エマが指を五本開いた。
「五回」
「分かってるよ」
私も同じように手を開いた。
まだ少し指が痛かった。こんなに集中して色を使ったのは始めてだ。
馬を十分に休ませてから、私たちは馬車へ戻った。
ガラスペンは腰のケースにしまった。
緑を細くする方法は、まだ分からない。
重心に何の意味があるのかも分からない。
馬車が動き出す。
隣では、エマがまた絵を描き始めていた。
私はその紙に描かれた何本かの線を見ながら、次に緑を出すときの形を考えていた。




