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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第10章 黄の王
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第12話 小さな手応え

「小さいよ」


 セレンはそう答えた。


「どれくらいですか?」

「うまく言えないんだけど、境目がはっきり見えるものじゃないからね。ただ、広くはない。今日君が見せた緑だと、加護だけを狙うのは難しいと思う」


 今日使った緑を思い出す。

 ガラスペンから出た緑は、渦を巻くように広がって槍の男を覆った。黄は一度見えなくなったけれど、狙った場所だけに緑が当たったわけではない。


「もっと細くできればいいんですよね」

「できれば、だけどね」


 セレンは眼鏡を押し上げる。


「まだ重心が何なのかも分かってない。細くできても、何が起きるかわからないよ」

「はい」


「でも試しておくのは悪くないと思う」


 前の席からロアが振り返って言った。

 緑はロアの中にあるから、試すことはできる。


 ガラスペンを取り出しかけたところで、カレンがすぐに口を挟んだ。


「馬車の中ではやめてよ」


 手が止まる。


「まだ何もしてません」

「今からする顔だったよ」


「顔で分かるんですか?」

「分かる」


 エマまで頷いた。


「分かる」

「エマまで……」


「外に出てからにしな。馬を休ませるところまで、もうそんなにかからないから」


 カレンはそう言って前を向いた。

 仕方なくガラスペンをしまう。


 向かいでは、エマがまた馬の脚を描いていた。

 さっきより線は少ない。


 一本で描けたところもあれば、途中から二本になっているところもある。

 私はその紙を見ながら、自分の緑が細い一本の線になるところを想像してみた。


 けれど、頭に浮かぶのは、今日何度も見た大きな緑の渦だ。

 しばらくして、馬車が道の脇に止まった。


 土を踏み固めた小さな広場の端には、馬を繋ぐための木の杭が並んでいる。屋根だけの簡単な小屋もあった。

 カレンは馬の様子を見に行き、エマもその後ろについていった。


 私は馬車から降りると、少し離れた場所まで歩いた。

 ロアが付いてくる。


「ここならいいか」

「たぶん」


「たぶんじゃ困るんだけどね」


 後ろからセレンが来る。


「人もいないし、道へ向けなければ大丈夫だろ」


 ロアが言うと、セレンは周囲を見回す。


「まあ、そうだね。最初は遠くを狙わない方がいい」

「分かりました」


 ガラスペンを取り出す。

 ロアが私のすぐ横に立った。


 意識を向けると、ロアの中に残っている緑が分かる。

 ガラスペンを握り、その緑を少しだけ受け取る。


 先端に緑が集まる。

 いつもなら、ここから一気に外へ出す。


 でも今日は違う。

 細く。


 エマが炭で引いた線を思い出す。

 紙の上を一本だけ進んでいく線。


 私はガラスペンを前へ向けた。

 緑を放つ。


 緑は目の前で大きく広がった。


「あっ」


 慌てて止める。

 足元に、緑が散って消えていった。


 セレンが少し離れたところから見ている。


「いつもとあまり変わらないね」

「分かってます」


「責めてないよ」

「分かってますけど」


 もう一度、ロアから緑を受け取る。

 今度は量を減らした。


 さっきより少なく。

 少なくすれば、その分細くなるかもしれない。


 ガラスペンを振る。

 緑が出た。


 さっきより短い。

 でも、太さはほとんど変わらなかった。


「量じゃないのか……」


 自分で呟く。

 ロアが緑の消えた辺りを見た。


「短くなっただけだな」

「うん」


 セレンも見ていた。


「出す量を減らすだけじゃ、形は変わらないみたいだね」

「じゃあ、どうすればいいんでしょう」


「それを今から探すんじゃないの?」

「そうでした」


 三回目。


 今度はガラスペンを強く握った。

 広がらないように押さえるつもりで、先端へ意識を集中する。


 細く。

 一本だけ。


 緑が出る。

 さっきより勢いよく前へ伸び、そのまま横へ広がった。


「違う」


 強く握ったせいで、指が少し痛い。


「力を入れても駄目か」

「むしろ勢いが増したね」


 セレンの言葉に、私はガラスペンを見る。


「絵と同じにはいかないですね」

「炭とは違うからね」


 それはそうだ。

 分かっていたけれど、少し悔しい。


 エマは何度か失敗しながら、それでも少しずつ細い線を描けるようになっていた。

 私は三回やって、まだ一度もできていない。


「もう一回」


 ロアから緑を受け取る。


「別に急がなくたっていいだろ」

「急いでないよ」


「今の言い方は急いでるけどな」

「……もう一回だけ」


 ロアは何も言わなかった。

 今度は、出す瞬間ではなく、その前から形をイメージしてみる。


 緑を大きな塊として考えない。

 ガラスペンの先から、細い一本が伸びているところを思い浮かべる。


 エマの紙。


 一本目は太かった。

 二本目は途中だけ細かった。

 三本目は最後に炭が折れた。


 それでも何度も引いていた。

 ガラスペンを前へ向ける。


 緑が先端から出る。

 最初のほんの少しだけ、細かったが、その直後広がった。


「あ」


挿絵(By みてみん)


 今のは、さっきまでと違う。


「見ました?」

「ああ」


 ロアが答える。

 セレンもこちらへ歩いてきた。


「最初だけだったね」

「細かったですよね?」


「細かった。でも、すぐ広がった」

「それでも前よりいいです」


 もう一度やろうとして、ガラスペンを構える。


「ユイナ」


 ロアに止められた。


「何?」

「一回休め」


「まだ大丈夫だよ」

「手」


 言われて、自分の右手を見る。

 ガラスペンを強く握り続けていたせいで、指先が赤くなっていた。


 握り直す。

 少し痛い。


「これくらいなら」

「休め」


 今度はカレンの声だった。


 馬から戻ってきている。

 その隣にはエマもいる。


「ロアが止めても続けるなら、あたしが止めるよ」

「そんなにやってませんよ」


「何回?」

「四回です」


「十分だよ。水飲んできな」


 反論しようとしたが、エマが水筒を持ってこちらへ走ってきた。


「はい」

「ありがとう」


 受け取る。

 もう続けるとは言いにくくなった。みんな過保護だな。


 屋根の下まで移動して腰を下ろす。

 水を飲むと、思っていたより喉が渇いていた。


 エマが私の隣に座った。


「できた?」

「まだ」


「全然?」

「……ちょっとだけ」


「じゃあできたじゃん」

「最初だけだよ。すぐ広がっちゃった」


 エマは少し考えてから、自分の書いた絵を見せる。

 さっき練習していた線が何本も書かれている。


「これも途中だけ細いよ」


 エマが二本目に描いた線を指した。

 確かに途中だけが細い。


「そのときは、できたねって言ってくれたでしょ?」

「言ったね」


「じゃあユイナも同じ」


「同じかな」

「同じだよ」


 エマは迷わず言った。

 私は紙を見る。


 太い線の途中に、短い細い部分がある。

 その隣には、途中で折れた炭の跡が残っている。


「丸つける?」

「え?」

「細くできたところ」


 エマが炭を差し出してくる。


「私の緑には丸はつけられないよ」

「あ、そっか」


 エマが笑った。

 私も笑う。


 さっきまで、できなかったことばかり考えていた。

 でも、四回目の最初だけは違った。


 どうして細くなったのかは、まだ分からない。

 同じようにやって、もう一度できるかも分からない。

 それでも、希望が持ててきた。


「次はもう少し長くできるかな」

「できるよ」


「簡単に言うね」

「だって、私だってできたもん」


 エマが自分の細い線を指す。


「じゃあ負けられないね」

「また張り合ってる」


 後ろからカレンに言われた。


「張り合ってません」

「昨日からそればっかりね」

「本当に張り合ってないですから」


 エマが笑う。

 少し離れたところで、ロアもこちらを見ていた。

 セレンはその横で何か考えている。


「セレン?」

「ん?」


「どうしました?」

「いや。今の緑、最初だけ形が違ったからね。何が違ったのかなと思って」


「線をイメージしました」

「線?」


「出す前から、細い線が伸びるところを思い浮かべてたんです。エマが描いてたみたいに」


 セレンがエマの紙を見る。


「なるほど」

「それで細くなったかは分かりませんけど」


「一回だけじゃ分からないね」

「はい」

「でも、次に試すことは決まったね?」


 私はガラスペンを見る。

 次も同じように細くなるとは限らない。


 もっと太くなるかもしれないし、またいつものように広がるかもしれない。

 でも、次に何を試せばいいのかは分かった。


「次の休憩所でもやっていいですか?」


 私はカレンに聞いた。


「手が痛くなくなってたらね」

「分かりました」


「あと五回まで」

「四回じゃなくて?」


「増やしてやったんだから感謝しな」

「はい」


 エマが指を五本開いた。


「五回」

「分かってるよ」


 私も同じように手を開いた。

 まだ少し指が痛かった。こんなに集中して色を使ったのは始めてだ。


 馬を十分に休ませてから、私たちは馬車へ戻った。

 ガラスペンは腰のケースにしまった。


 緑を細くする方法は、まだ分からない。

 重心に何の意味があるのかも分からない。


 馬車が動き出す。


 隣では、エマがまた絵を描き始めていた。

 私はその紙に描かれた何本かの線を見ながら、次に緑を出すときの形を考えていた。


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