第10話 加護の重心
セレンが目を開けた。
向かいに座っているロアは、さっきからほとんど姿勢を変えていない。私はその隣で、セレンに変わったところがないか見ていた。
「どうですか?」
「少し待って」
セレンは右手を上げ、ロアへ近づける。ただし、触れるほど近くまでは寄せない。
手を止めたまま、しばらくロアの中の黄を探っているようだ。
馬車は止まっているからか、中はいつもより静かだ。外から馬が地面を踏む音が聞こえてくる。
ロアも何も言わない。
私も、セレンが口を開くのを待った。
今日、あの槍の男へ緑を当てたとき、当たったところだけ黄が一度消えたように見えた。少なくとも、赤や青を使ったときとは反応が違った。
けれど、少しすると黄は元に戻った。
何が違うのか。
私には分からなかった。
やがてセレンが手を下ろした。
「二つある」
「何が?」
「黄だよ。ロアの中に、二つの黄が残ってる」
セレンは少し考えてから続けた。
「たぶん、一つはあの男から奪ったもの。もう一つは男の槍から奪ったものだと思う」
「違いが分かるのか?」
「君の中で二つの黄が、分かれて存在している」
ロアはあの弓の女には近づいていない。あのときロアは、矢を避けながら、槍の男との距離を詰めるので精一杯だった。
何度も槍を受けながら、それでも私たちの前に立ち続けた。
「あの男から奪った黄と、槍から奪った黄は別なんですね」
「そうみたいだね」
セレンは少し考え込んだ。
「それだけじゃない。この黄には特徴がある」
「特徴?」
「色が濃いとか?」
「そういう感じではないんだよな……」
セレンは、どう言えばいいのか考えているようだった。
「黄には流れがあって、その流れを辿っていくと、ある場所に行き着くんだ」
「中心みたいなものか?」
「中心っていうのは少し違うかな。真ん中にあるわけじゃないんだ」
「じゃあ何ですか?」
「しいて言うなら……重心、かな」
「重心」
「槍にも、あの男にも重心があるんですか?」
「ああ」
セレンはそこで一度言葉を止めた。
「ただ、どうしてそこに集まるのかまでは分からない」
「黄が回復した理由と関係するんですか?」
セレンはすぐには答えない。
「そこまでは、まだ分からない」
「今分かってるのは、黄の流れがその重心に行き着くってことだけだよ」
ロアが腕を組んだ。
「位置が分かるのか?」
「ああ。男の重心も、槍の方も分かる」
「その重心っていうのは、何か意味があるのか?」
「そこまでは分からない。ただ、それぞれの黄で重心の位置が違うのが気になる」
ロアはそれ以上聞かなかった。
セレン自身が分からないと言っている以上、ここで考えても答えは出ない。
「次にあの槍の男と会ったら、その重心をもう少し確かめてみたい」
「何を確かめるんですか?」
「実際にあの男と槍を覆ってる黄が、ロアの中の黄と同じように重心へ集まっているのか。ロアの中の黄だけで判断しない方がいいからね」
「またやつに近づくのか?」
ロアが聞いた。
「必要ならね。でも、無茶するつもりはないよ」
「お前の『無茶しない』は、あまり信用できない」
「ひどいな」
「前科がある」
セレンが口を開きかけて、やめた。
「……それは否定できないか」
私も否定できなかった。
セレンはこれまで何度も、自分の身体を犠牲にして色を調べてきた。
今回も、黄の解析中に左足の石化が始まった。
けれど、解析を終えてからは、見た限りそれ以上広がっていない。
それでも、セレンがまた何かを調べると言えば、石化が広がるところを想像してしまう。
「これ以上は調べないんですよね?」
「うん。今ここで分かるのはこれくらいだと思う」
「なら行くか」
ロアが先に立ち上がった。
セレンも席を立つ。
「カレンたちも待ってるしね」
馬車の扉を開けると、外の風が入ってきた。
ロアに続いて地面へ降りる。
「終わったのかい?」
「ひとまずね」
少し離れたところにカレンがいる。馬のそばに立っていたが、私たちが出てきたのを見ると、すぐにこちらへ歩いてきた。
「身体は?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃ分からないよ。何か変わったところは?」
セレンは少し間を置いてから答えた。
「解析してる途中で、左足も石化し始めた」
「足?」
「ああ。足先だけだけどね」
カレンの顔つきが変わる。
「見せて」
「解析を終えたときには、ここまでだったよ」
セレンは近くに腰を下ろし、左の靴を脱いだ。石になった足先が現れる。
カレンもその前にしゃがみ込んだ。
「前は腕だけだったんだろ?」
「ああ」
「じゃあ、腕以外にも広がったってことじゃないか」
「そうなるね」
カレンは石になった部分と、その境目をしばらく確かめていた。
「腕の方は?」
「そっちは前と変わってないよ」
「見せて」
「足を見せたんだからもう十分なんじゃない?」
「十分じゃないよ」
セレンは諦めたように袖をめくった。
カレンは石になった左腕も確かめる。
「こっちは本当に変わってないみたいだね」
「だから言っただろ?」
「足のことは最初に言わなかったじゃないか」
「聞かれたら言うつもりだったよ」
「そういうところが信用できないって言ってるんだよ」
セレンが私の方を見る。
「ユイナからも何か言ってくれない?」
「今回はカレンさんが正しいと思います」
「ロア」
「俺もそう思う」
「全員そっち側か」
セレンが息を吐く。
カレンは立ち上がった。
「身体に変化が出たならちゃんと言って欲しい」
「分かった」
「本当に?」
「今度は本当に」
カレンはまだ少し疑うようにセレンを見ていたが、それ以上は言わず、馬のところへ戻っていった。
セレンは靴を履き直す。
「信用ないなあ」
「自分でなくしてるんじゃないですか?」
「ユイナまで厳しくなったね」
「みんな心配してるんですよ」
そう言うと、セレンは少しだけ黙った。
「……分かってるよ」
今回の解析で、石化は左足まで進んだ。
でも、その代わりに黄の加護には重心があることが分かった。
その重心が何なのかは、まだ分からない。
それでも、次に確かめるものが見つかった。
今は、それで十分なのかもしれない。




