第8話 黄の綻び
翌朝、私たちはカレンの馬車でレインアの町を出た。
四頭の馬が引く馬車は、これまでに街道で見かけたものよりずっと大きい。
幌に覆われた荷台には、食料の袋や水、旅道具を積んでもまだ人が動けるだけの広さがあり、両側には数人が並んで座れる長椅子まで付いている。
荷物を片側へ寄せれば、四、五人が足を伸ばして横になれるくらいの広さだ。宿が見つからない日でも、この馬車なら雨風を避けながら休めそうだった。
ロアは包帯を巻いた左腕をかばうように片側の長椅子へ座り、向かい側には私とエマが並んでいる。セレンは荷台には乗らず、御者台でカレンの隣に座っていた。
エマは膝の上に紙を広げ、炭筆で馬の絵を描いている。
「エマ、ずっと下向いてると酔うよ」
前からカレンの声がした。
「平気だもん」
「そう言って、あとで気持ち悪いって騒ぐのは誰だったっけ?」
「今日は平気」
エマは一度だけ顔を上げてカレンの背中を見たが、あまり気にしていない様子で、すぐに馬の絵の続きを描き始めた。
やがてエリンフォードの建物が見えてきた。
町へ入ると、カレンはセレンの家から少し離れた場所で馬車を止めた。カレンとエマにはここで待ってもらい、私とロア、セレンの三人で家へ向かう。
朝の通りは、店先を掃く人や荷車から箱を下ろす人が行き交い、店も次々と開き始めていた。その普段どおりの光景の中に、昨日の戦いで欠けた壁や矢の跡が残っている。
セレンの家までは、あと一つ角を曲がるだけだ。昨日と同じ場所からまた襲われるかもしれないと思うと、自然と周囲の屋根や路地の奥が気になる。
矢の跡が残る壁を越え、セレンの家がある路地へ入ろうとしたところで、ロアが急に足を止めた。
「二人とも、そこで止まれ。塀の向こうに誰かいる」
私はその場で足を止め、ロアが見ている方を確かめた。低い塀の向こうから、見覚えのある槍の穂先がわずかに覗いている。
こちらが立ち止まったことに気づいたのか、塀の向こうから一人の男がゆっくり姿を現した。手にしている長い槍と鎧を見た瞬間、昨日襲ってきた男だと分かった。
鎧と長い槍は、昨日と同じように黄に覆われている。ただ、右腕や胸元は黄の厚みが均一ではなく、灰色の鎧がところどころ覗いていた。昨日ロアに色を奪われた影響が、まだ残っているのかもしれない。
私は昨日矢が飛んできた屋根だけでなく、その周囲の屋根や建物の陰も確かめた。少なくとも見える範囲には、弓の女の姿はなかった。
男は私たち三人を順に確かめると、長い槍を両手で持ち直し、穂先をこちらへ向けた。話し合いで済ませるつもりはないらしい。
「……また君か」
セレンが言った。
「昨日はお前たちを取り逃がした。王都へ向かわせるわけにはいかない」
男の口調に怒りはなく、昨日の戦いを恨んでいる様子もなかった。本当に自分の役目として、私たちをここで止めようとしているように聞こえる。
「どうして私たちを王都へ行かせたくないの? 何か困ることでもあるの?」
「お前たちはルミナ様を狙っていると聞いている。それが本当なら、王都へ行かせるわけにはいかない」
「私たちはルミナ王を狙ってなんかいないよ。そんな話、誰から聞いたの?」
男はすぐには答えず、槍を構えたまま口を閉ざした。誰から聞いたのかを話すつもりはないらしい。
セレンはこれ以上聞いても答えは返ってこないと分かったのか、小さく息を吐いた。
「やっぱり、そのことは教えてくれないんだね」
槍の男が構えを解く様子はなく、ロアは私とセレンを背にするように一歩前へ出た。ロアの左腕には、昨日受けた傷を覆う包帯がまだ巻かれている。あの腕でまた無理に槍の間合いへ入らせるわけにはいかない。
昨日と違って、今日は緑を使える。ロアをあの男に近づけずに済むかもしれない。私はすぐにガラスペンを取り出した。
「ロア、私が緑を使う。昨日みたいに無理に近づかなくていいからね。まず私があの黄を崩せるかやってみる」
「ああ、頼む。俺は相手が近づいてきたときだけ対処する」
私はフォリアの森で見た緑を思い出し、その色だけを意識する。ロアの中にあるいくつもの色の中から、昨日の戦いでは選べなかった緑を選択する。その緑がガラスペンへ引かれ、透明な軸の中へゆっくり満ちていく。
偶然出てきたわけじゃない。今度は自分で緑を選んで、ロアの中から引き出せている。槍の男は私の方を一度見たあと、こちらが仕掛けるより先に地面を蹴って槍を前へ突き出し、そのままロアとの距離を一気に詰めてくる。
男は槍の間合いに入ると、そのまま穂先をロアの胸へ突き出した。ロアは身体を横へずらし、紙一重でその一撃をかわす。
男はかわされた槍を、そのまま横薙ぎに振るった。ロアは後ろへ下がって避けたが、左腕をかばっているせいか体勢を立て直すのが遅く、昨日のようにそのまま懐へ踏み込むことができない。
ロアが後ろへ下がったことで男の右側面が見えた。私はその隙を逃さず、右腕を狙ってガラスペンを振った。
ガラスペンから放たれた緑が、細い帯のように男の腕へ伸びていく。男はすぐに籠手を前へ出してそれを受けた。
緑が籠手を包む黄に触れた瞬間、表面が大きく波打った。
昨日、赤を当てたときには、こんな反応は起きなかった。
男は黄の変化に気づいたのか、緑が当たった腕をすぐに引き寄せる。
緑が当たった部分だけ黄の覆いが一度崩れたが、しばらくすると周囲の黄が広がり、籠手を包むように元へ戻っていった。
男は籠手の表面を一度確かめると、私のガラスペンへ視線を移した。そのまま槍先がこちらを向く。
「今のは効いてる。昨日、赤を当てたときには黄は反応しなかった」
「私にも分かりました。でも崩したところが、もう回復してます」
「うん。効いてはいるね。ただ、今のじゃ傷をつけるだけみたいだ。もう少し様子を見よう」
私は今度は別の場所へ当てて反応を確かめようと、もう一度ロアから緑を引き出した。身体だけでなく、槍を覆う黄も同じように傷つくのか確かめたかった。私は男が構える槍へ向けて、もう一度緑を放った。
緑が柄を包む黄に当たると、その部分が崩れ、灰色の柄が一瞬だけ覗いた。
けれど、崩れた部分は、少しずつ黄に覆われて見えなくなっていった。
「槍の方も同じ……。崩しても、また回復してる」
「やっぱりそこが気になるね。緑は確かに効いてるのに、傷つけたところが回復してしまう」
男はこれ以上私に緑を使わせるつもりはないのか、槍を構え直すと、今度はまっすぐ私との距離を詰めてきた。
男が私へ槍を突き出すより先に、ロアが横から割って入り、左腕をかばいながらも、男の注意を自分へ向けようとしている。
男は私を狙うのをやめ、割って入ったロアへ槍の向きを変えた。
「ユイナ、狙うなら今だ」
「うん!」
男の意識がロアへ向いた隙に、私はすぐガラスペンを構え直す。
槍で防がれる前に、私は男の肩を狙って緑を放った。
緑が肩を覆う黄に当たり、その部分が大きく崩れた。
男は反射的に身体をひねったが、緑を完全には避け切れなかった。
肩を覆う黄が崩れているうちに、同じ場所を狙ってもう一度緑を放った。
二度目の緑が同じ場所に当たり、男はわずかに体勢を崩した。
だが、男はすぐに槍を構え直した。肩をかばう様子もなく、そのままこちらを警戒している。緑は確かに通っている。それでも、男は槍を構えたまま立っている。
私がガラスペンを構えると槍をこちらへ向け、ロアが動けばすぐに穂先をそちらへ向け直す。私たちの動きを警戒しながら、男は少しずつ後ろへ下がっていった。
「追わなくていい。このまま離れてくれるなら、その方が助かる」
ロアが言った。
「俺もまだ左腕をまともに使えない」
「わかった」
男は槍をこちらへ向けたまま後退し、ある程度離れると向きを変えて、王都へ続く道を走っていった。
私たちはその場を動かず、男の姿が見えなくなるのを確認した。
ガラスペンの軸には、まだわずかな緑が残っている。
「緑が効くのは確かだね。でも、あの黄は傷つけてもすぐ回復してた」
セレンが近づいてきた。
「とにかく今は家に入ろう。昨日の弓の女を連れて戻ってきたら面倒だ」
◇
セレンの家へ入ると、机の上には本が積まれ、棚にも道具が残っていた。
「さすがに全部は持っていけないな」
セレンは必要な本と医療道具を選び、鞄へ詰め始めた。私とロアも、渡された荷物を分けて持つ。
「さっきの緑なんですけど」
私は荷物を受け取りながら言った。
「緑は効いてたのに、すぐ回復してましたよね」
「うん。ザロスやフォリアのときとは、少し違うみたいだね」
セレンは本を一冊手に取ったまま、こちらを向いた。
「ザロスやフォリアのときも、通る色を当てただけじゃ倒せなかったよね。始原は身体そのものが大量の色でできてたから、表面を傷つけるだけじゃ倒せなかった」
「だから核を狙ったんですよね」
「そう。だから身体を削るんじゃなくて、核を狙った。そこに通る色を当てれば倒せたからね」
私はさっきの槍の男を思い出した。
「じゃあ、あの人にも核みたいなものがあるんでしょうか」
「それはどうかな」
セレンは本を鞄へ入れた。
「あいつは始原じゃない、人間だ。身体そのものが黄でできてるわけじゃなくて、鎧や槍の上を黄が覆ってるように見えた」
「槍も同じだった。緑が当たって表面の黄は崩れたけど、槍そのものは何ともなかった」
ロアが言った。
「そうなんだよね。しかも、崩したところはすぐ回復してた。始原に色を当てたときとは、そこも違う」
「黄そのものが違うんですか?」
「分からない」
セレンは少し考えた。
「違うのは色そのものじゃなくて、黄の使い方なのかもしれない。どうやって人や武器を守っているのか、その仕組みが分からないと、緑を当てても、傷をつけることしかできない」
「だから、緑は効いても、あの黄を壊しきれなかったんですか?」
「たぶんね。今のやり方だと、傷つけても回復される。長期戦になったら、こっちの方が先に限界がくると思う」
セレンはロアをしばらく見た。
「昨日、槍と弓から奪った黄がまだ残ってる」
ロアは自分の胸元を見た。
「俺には分からないが、セレンがそう言うんなら残ってるんだろう」
「うん。量も少なくない」
セレンは少し黙った。
「あの二人から奪った黄を調べれば、身体や武器を守っている仕組みが分かるかもしれない」
何をするつもりなのか、すぐに分かった。
「……あの黄が人や武器を守ってる仕組みを解析するんですか?」
「うん。その仕組みが分かれば、対策が立てられるかもしれない」
私はセレンの左腕を見た。
指先から肩まで、もう全部が石になっている。
「でも、また解析したら、今度は左腕だけじゃ済まないかもしれませんよ」
「分かってるよ」
セレンは石になった左腕を見た。
「でも、このまま王都へ行っても、あいつらを何とかしない限りエルディンに会うこともできない。それに、昨日の二人以外にも同じような相手がいるかもしれないしね」
「仕組みが分かれば、あの黄を壊せるんでしょうか?」
「解析するにしても、ここではやらない。まずカレンたちのところへ戻ろう」
◇
馬車へ戻ると、カレンが御者台からこちらを見た。
「ずいぶん時間かかったね。何かあった?」
「昨日の槍の男が待ち伏せてた」
ロアが答えた。
「一人で?」
「今日は槍の男だけでしたた。緑を使って追い返したけど、倒せてはいません」
私が言うと、幌の奥からエマが顔を出した。
「ユイナが戦ったの?」
「うん。でも、ちゃんと帰ってきたでしょ」
「怪我は?」
「大丈夫。怪我はしてないよ」
「なら話は馬車を出してから聞く。荷物を積んだらすぐ出発するよ」
私たちは荷物を載せ、馬車へ乗り込んだ。
四頭の馬が走り出す。
エリンフォードの建物が、幌の向こうへ少しずつ遠ざかっていった。
緑が黄に効くことは分かった。でも、傷はすぐに回復してしまう。
始原の色と、彼らの色は同じ黄でも、何かが違うのかもしれない。
セレンは、王都へ向かう前にあの黄を解析するつもりだ。




