第7話 緑の代償
宿に部屋を取ったあと、私たちはカレンとエマの部屋に集まった。
窓の外はもう暗くなり始めている。
エマは昼間描いた馬の絵を床に広げ、炭筆を動かしている。
カレンは荷物の整理を終えると、私たちの前に座った。
「さて。約束だからね。聞かせてもらうよ」
さっきまでエマと話していたときとは、声の調子が違う。
「王国に何もしてないのに襲われたって話もだけど、これから一緒に旅をするなら、私とエマに関係しそうなことは隠さないで話してほしい」
「分かってる」
セレンが頷いた。
どこから話すか少し迷ったあと、私たちはこれまでのことを順番に話した。
私が文香さんを探して旅を始めたこと。
各地には、色を奪う始原と呼ばれる存在がいること。
ロアは近づいたものから色を奪い、その色を身体に保持できること。
私はガラスペンを使って、ロアの中の色を使えること。
セレンは色を調べることができること。
色には相関関係があること。
自分たちが分かっていることと、まだ推測にすぎないことを混ぜないようにしながら話した。
「ちょっと待って」
カレンが途中で止めた。
「色って言ってるのは、昼間エマに見せた“あお”みたいなものなんだよね?」
「はい」
「じゃあ、普段あたしたちが見てる、この町や人の色にも名前があるのかい?」
「私の世界では、灰色って呼んでました」
「はいいろ……」
カレンは聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返した。
「私たちがいつも見てるこの色を、ユイナの世界では“はいいろ”って呼ぶんだね」
「そうです」
「なるほどね。じゃあ昼間、私の馬車をじっと見てたのも、あの色が気になったから?」
気づかれていたらしい。
「あの馬車は、灰色じゃありません」
「あれは何ていう色?」
「黄です」
「き?」
私は昼間エマに青を見せたときのことを思い出した。
「青とは違う色です。王都の城や、今日私たちを襲った二人が纏っていた色です」
カレンの表情が変わった。
「その二人は馬車と同じ色をしていた?」
「はい」
カレンは何か考えるように黙り込み、それ以上は何も言わなかった。
私たちは王都へ行ったところから話を続けた。
建国祭でルミナ王を見たこと。
王城でエルディンという宰相に会ったこと。
そしてエリンフォードへ戻る途中、セレンの家の近くで槍を持った男と弓を使う女に待ち伏せされたこと。
「二人とも、その黄をまとってたんだね?」
「身体だけじゃなくて、槍と弓も黄色だった」
セレンが答える。
「そのとき『王国に仇なす者』と言われたのか」
カレンは腕を組んだ。
「王城へ行った帰りに、そんな連中に待ち伏せされたら、そりゃ逃げたくもなるね」
「でも、彼らが誰の命令で動いているのかは分からないんです」
私が言うと、カレンは少し考えてから頷いた。
「そこが一番厄介だね」
次に襲われたときのことを話した。
赤を使っても槍の男を止められなかったこと。ロアが接近して男の身体と槍から黄を奪ったことで、ようやく逃げる時間を作れたこと。
包帯を巻いたロアの左腕を、カレンが見る。
「私が手当てした傷は、そのときのやつか」
「ああ」
「……思ってたより、ずいぶん大きな話に巻き込まれてるじゃないか」
「だから、仲間になってもらう前に話しておきたかったんだ」
セレンはカレンから顔をそらさなかった。
「聞いた上で、やっぱり一緒には行けないと思うなら、それでも構わないよ」
「いや、行くって言ったのを、今さら取り消すつもりはない」
カレンの返事は早かった。
「ただし、エマのことは別だ」
床で絵を描いていたエマが顔を上げる。
「エマ。今後は私がいいと言うまで馬車から出ないこと。できるね?」
「……うん」
「返事が小さい」
「分かった」
「ならいい」
エマは少し不満そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
カレンが再びこちらを向く。
「それで、あんたたちはこれからどうするつもり?」
「王都へ戻ろうと思ってる」
セレンの答えに、私はすぐには言葉が出なかった。
「王都へ戻るんですか?」
「ああ」
あの二人に襲われたばかりだ。王都から離れるなら分かる。
でも、戻るとは思っていなかった。
「確かめたいことがある。私たちを襲った二人が、本当に王国の命令で動いていたのかどうかだ」
セレンの言葉を聞いて、ロアも話に加わる。
「槍と弓のやつが王国の兵士なら、王国の命令だろうな」
「もしルミナ王が私たちを敵と認めているなら、この国の中を逃げ続けるのは難しい。ほかの町へ行っても、同じように狙われるかもしれない」
セレンが続けた。
「でも、王国の命令じゃなかった場合は?」
「誰が二人を動かしているのかを知りたい」
「エルディンでしょうか?」
王城で交わした会話を思い返しながら尋ねた。
私たちがフォリアのことを話したあと、エルディンはセレンに解析を続けるなと言った。そして、その帰りに襲われた。
「そうだね」
セレンは否定しなかった。
「でも、王城に行った帰り道で襲われたってことだけで、エルディンが命令したとは言えない」
「俺たちが全く知らない相手かもしれない」
ロアの言う通りだった。
「もちろん。だから確かめに戻る」
カレンが腕を組んだまま頷いた。
「王都だけ避ければ済む話なのか、この国から出ることまで考えないといけないのか。それが分からないんじゃ、今後の行き先なんかも決められないしね」
「そういうこと」
「王城に行くつもりなんだろ?」
「そのつもり」
「だったら、私とエマは連れていかなくていい。王都までは一緒に行くけど、城へ行っている間は別の場所で待ってるよ」
「私もその方がいいと思う」
セレンもすぐに同意した。
「城へ行くのは私たち三人だけにしよう」
王都へ戻る理由は分かった。
でも、王都まで無事に着けるかどうかもわからない。
今日の二人とまた会ったら、同じ方法で逃げられるだろうか。
赤も青も、相手の黄は崩せない。
ロアが槍の男へ触れられたのは、弓の女の狙いを私が一度だけ外せたからだ。
次も同じ隙ができるとは限らない。
「王都へ行く前に、もう一つやっておきたいことがある」
セレンの声で、考えが途切れた。
何を言い出すのかは分かっていた。
「フォリアの緑を、最後まで調べる」
「セレン……」
ロアの中には、フォリアから奪った緑が残っている。
文香さんが調べた結果では、黄に通るのは緑だ。
今日襲ってきた二人の黄に、緑がどこまで効くのかは分からない。
それでも、試すなら緑しかない。
問題は、セレンの左腕だった。
「他に方法はないんですか?」
「今のところはないね」
「でも、左腕が――」
「分かってるよ」
セレンは左腕に右手を添えた。
「私も石になりたいわけじゃない。でも、今のままあの二人に会ったら、対抗できる手段はロアが近づいて色を奪うことしかない」
ロアは包帯を巻かれた左腕を動かし、傷の具合を確かめる。
「俺が奪うには近づく必要がある。今日みたいに槍と弓で連携されたら、簡単には近づけない」
「次もユイナが弓の注意をそらせるとは限らないしね」
セレンが言った。
「緑を選んで使えるようになれば、ロアが近づかなくても黄に対抗できるかもしれない」
「でも、相手は始原じゃなくて人間です。あの黄にも本当に緑が効くかどうかは、分からないですよね」
「分からないね。文香が残した結果から考えれば緑だけど、今日の二人に試したわけじゃないからね」
それでもセレンは、やるつもりらしい。
カレンがここまで黙って聞いていた。
「一つ聞いていい?」
「何?」
「その腕は、色を調べると広がるんだね?」
「ああ」
「どれくらい進むの?」
「分からない。腕全体まで広がる可能性もある」
カレンの顔から、さっきまで残っていた軽さが消えた。
「それでもやる?」
「やるよ」
セレンは迷わなかった。
「ただ、無理だと思ったら途中で止める。それは約束する」
止めたい気持ちは消えない。
でも、赤は通らず、ロアが傷を負ったのも見ている。
「……本当に無理だと思ったら、中止してください」
「分かった。約束するよ」
◇
エマにはカレンと一緒にいてもらい、私たち三人は隣の部屋へ移った。
机の上にガラスペンを置く。
ロアが椅子に座り、セレンはその向かい側へ座った。
「前と同じでいいのか?」
「うん。そこにいてくれればいい」
セレンは左腕の袖をまくった。
赤を完全に調べたときにも、終わったあとで石化が進んでいた。
「始めるよ」
セレンがロアの方を向いた。
それきり会話が途切れる。
私にはセレンが何をどう調べているのか見えない。
ロアも動かずに待っている。
宿の廊下から、誰かが歩く音や扉を閉める音が聞こえてくる。
隣の部屋にいるエマの声も、ときどき壁越しに届いた。
その間にも、セレンの左腕の石化は進んでいった。
「セレン」
「まだ大丈夫」
私には、どこまで調べれば終わりなのか分からない。
ただ見ているしかなかった。
石化はさらに肩の方へ広がっていく。
やがてセレンが大きく息を吐き、椅子の背に身体を預けた。
「終わった」
「全部か?」
「ああ。緑は最後まで調べられた」
セレンの左腕は、指先から肩口まで完全に石化していた。
「腕、動きますか?」
セレンは左肘を曲げた。
そのまま手を持ち上げ、指を開く。ゆっくり握ってから、もう一度開いた。
「動くよ」
動いても、安心はできなかった。
セレンは左手を何度か動かしたあと、右手を机の上へ伸ばした。
「次はガラスペンを試そう」
私は机に置いていたペンを渡す。
「赤のときと同じことをするんですか?」
「そのつもり」
セレンはガラスペンを手にした。
軸やペン先を調べるように触れているが、何か特別なことをしているようには見えない。
しばらくして、私へ返してきた。
「どうですか?」
「分からない」
「今回も?」
「ああ。触っただけだ」
赤を調べたときもそうだった。
セレンがペンに触れたあと、それまで選べなかった赤を選べるようになった。
どうしてそうなるのか、セレン自身にも分かっていない。
「試してみます」
ガラスペンを受け取り、ロアへ向ける。
フォリアの森を覆っていた緑を思い浮かべ、その色だけを意識した。
ロアの胸元から緑が流れ出し、ガラスペンへ入ってくる。
「……出た」
すぐに引き出すのをやめる。
透明な軸の中に、わずかな緑が残った。
「緑を選べたな」
「はい」
偶然ではない。
緑を意識して引き出せた。
今までできなかったことだ。
でも、セレンの左腕を見ると、素直には喜べない。
「これで、今日よりは戦う手段が増えた」
セレンが言った。
「でも、使わなくて済むなら、その方がいいです」
「私もそう思うよ」
しばらくして、扉が二度叩かれた。
カレンが顔を出す。
「入っていい?」
「もう終わったよ」
部屋へ入ってきたカレンは、セレンの左腕を見て足を止めた。
「……ずいぶん広がったね」
「ああ」
「動くの?」
セレンは左手を持ち上げ、指を曲げてみせた。
「まだ普通に動かせる」
「ならいい、……とは言えないけどね」
カレンはそれ以上言わなかった。
「で、必要な色は使えるようになった?」
「ああ」
「じゃあ王都へ?」
「その前に、私の家へ寄りたい」
「エリンフォードか」
「ああ。必要なものを置いたままなんだ。今日は家へ戻れず、そのままレインアまで来たからね」
「どれくらいあるんだ?」
「持っていくのは大事なものだけだよ。そんなにかからない」
「分かった」
カレンはそこで少し考えた。
「じゃあ明日の朝出発しよう。馬も今日は十分休ませておく」
「助かる」
明日は、またエリンフォードへ戻る。
セレンの家で必要な物を回収し、そのあと王都へ向かう。
今日、槍の男と弓の女に襲われた場所の近くを、もう一度通ることになる。
ガラスペンの中には、さっき引き出した緑がわずかに残っている。
今度は、自分で緑を選んで引き出せる。
この緑を使わずに済めばいい。
私はガラスペンをしまった。




