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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第10章 黄の王
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第5話 旅の母娘

エリンフォードを離れてから、ロアは一度も休もうとしなかった。


左腕と肩口の出血はかなり治まってきていたが、それでも黒い服には乾きかけた血の跡が残っている。歩き続けたせいか、左腕の傷口からまた血がにじみ始めていた。


「ロア、少し休んだ方がいいよ」

「町まではこのまま行く」


「でも、また血が出てる」

「ここは危険だ。はやく離れた方がいい」


ロアの言うことは分かる。


振り返っても、エリンフォードの建物はもう見えない。槍の男も弓の女も追ってきてはいない。でも、このまま諦めるとも思えない。


私たちがセレンの家へ戻ると分かっていて、あの二人は家の近くで待ち伏せていた。


「ロアの言う通りだね」


セレンも歩みを止めない。


「手当てはレインアに着いてからにしよう」

「あの二人、また来ますかね」


「分からない。でも、家がばれている以上もう戻れないし、少しでもエリンフォードから離れた方がいい」


セレンはいつもの調子で話している。

自分の家に戻れなくなって、何とも思っていないはずはないだろう。


私も何を言えばいいのか分からず、遅れないよう歩き続けた。


     ◇


レインアへ着いたのは、その日のうちだった。

思っていたより近かった。


エリンフォードほど大きな町ではないようだが、町へ入ると馬車の数が一気に増えた。荷を降ろす人の横を荷馬車が通り、馬を引いて宿へ向かう旅人もいる。入口から続く通りには、旅人向けの宿や店が並んでいた。


これだけ人の出入りが多い町なら、私たち三人が入っても目立つことはなさそうだ。

セレンは通り沿いにある大きめの宿を選んだ。


「ここにしよう」

「泊まったことがあるんですか?」


「前に一度だけね。特別いい宿だった覚えはないけど、ここを利用するのは王都やエリンフォードから来る人ばかりじゃないし、人の出入りが多ければ私たちも目立ちにくい」


宿の横には、馬をつないでおける広い場所があった。何頭かの馬と、大きな馬車が一台停まっている。


その馬車を見た瞬間、私は思わず身構えた。

黄色い。


木の車体も幌も鮮やかな黄で覆われていた。


「……あれ」


ロアも馬車を見た。

セレンも入口へ向かいかけた足を止める。


この世界では色があるもの自体、珍しい。

しかも黄色だ。


少し前まで戦っていた槍と弓と同じ色だ。

しかし馬車のそばには荷物や旅道具が置かれているだけで、武器らしいものは見当たらない。


あの二人とは関係なさそうだったので、宿へ向かおうとした。


「ちょっと、そこの兄さん」


後ろから声をかけられ、ロアが止まる。

馬車の脇に、一人の女性が立っていた。


背中まである長い髪が、大きく波打っている。私よりかなり背が高く、服装も町で暮らす人というより、旅をしている人のように見える。


女性の視線は、ロアの左腕に向いていた。


「その腕、どうしたんだい?」

「ちょっと怪我をしただけだ」


「ちょっとって感じじゃなさそうだけどね」


女性がこちらへ歩いてくる。

ロアのところまで来る前に、私の前で少し動きが止まった。


「……あんた」

「はい?」


女性は私の顔を見て、何か言いかけたけれど、その視線はすぐにロアの左腕へ移る。


「いや、先にこっちだ」


女性は馬車の後ろへ回り、荷台から小さな箱を持って戻ってきた。


「兄さん、腕を見せて」

「この程度なら平気だ」


「まだ血が出てるよ」


ロアは左腕を確かめる。

さっきより染みが広がっていた。


「お願いしてもいい?」


セレンが女性に声をかけた。


「私も手当てくらいならできるんだけど、薬も包帯もほとんど家に置いてきてしまって」

「そういうことなら任せて」


女性は馬車の横に置かれていた木箱を指さした。


「そこに座って」


ロアは私とセレンを一度見てから、諦めたように木箱へ腰を下ろした。

女性が裂けた袖をめくる。


その途中で手が止まった。


「……あんたもか」

「何がだ」


女性は答えず、私の方を見る。

さっき私を見たときも、こんな顔をしていた。


ようやく、女性が何に驚いているのか気づいた。

肌の色だ。


この世界の人たちとは違う、私の肌。そして、ロアも同じだ。


「私たちみたいなのは、やっぱり珍しいですか?」

「そりゃね」


女性は私とロアを見比べた。


「一人ならまだしも、二人も揃って歩いてるとなれば、なおさらだよ」


けれどそれ以上は聞いてこない。

すぐにロアの治療へ戻る。


「これは矢傷?」

「ああ」


「肩も?」

「そっちはかすっただけだがな」


「分かった。じゃあちょっと染みるからね」


水をかけられた途端、ロアの眉間にしわが寄った。

戦っているときには、矢が当たってもほとんど表情を変えなかったのに。


私は少し笑ってしまった。


「何だ」

「何でもありません」


「今、笑っただろ」

「笑ってません」


ロアがこちらを振り返ろうとする。


「動かないで。包帯が巻けないから」


女性に腕を押さえられ、ロアは仕方なく前を向く。

少し離れたところで、セレンが口元に手を当てている。


「セレンも笑ってるだろ」

「私は何も言ってないよ」


「顔が笑ってる」


傷そのものは深くなかったようだ。

左腕は矢がかすめて皮膚を切っており、肩も同じように表面が削られている。


女性は慣れた手つきで肩と腕を処置し、最後に包帯を巻いた。


「これでいい。今日はなるべく左腕を使わないこと。また傷が開くかもしれないからね」


「ああ。助かった」

「どういたしまして」


「手当てに慣れてるんだね」


セレンが言った。


「昔、商隊にいたんだ。旅をしてれば、怪我人なんて珍しくないからね」

「じゃあ、今も商隊で旅を?」


「今は違うよ。娘と二人で旅してるだけ」

「娘さんも一緒なんだ」


女性は馬車の方を振り返った。


「エマ。もう出てきていいよ」


しばらくすると、馬車の陰から小さな顔がのぞいた。

女の子だった。


九つか十歳くらいだろうか。

女性から許可がでるまで、隠れていたらしい。


母親のそばまで来たところで立ち止まり、私たち三人を眺める。


「お母さん、この人たち悪い人?」

「うーん」


女性が私たちを見回した。


「そうは見えないね」


女の子は私を見る。

次にセレン。

最後にロアをじっと見つめる。


「この人は、ちょっと怖い」


「俺か?」

「うん」


ロアが黙る。

今度は我慢できずに笑った。


「笑うな。おまえら」

「だって……」


「ほら。そういう顔してるから怖がられるんだよ」


女性も笑いながら言う。


「私はカレン。この子は娘のエマ」


「ユイナです」

「ロアだ」

「セレンよ。助かったよ、カレン」


「旅先じゃお互い様だから気にしないで」


カレンは治療箱を持って馬車へ戻った。

荷台へ箱をしまう間に、私はもう一度車体を見る。


やっぱり黄色い。


光の加減でそう見えているわけでもなさそうだった。

さっき私たちを襲った二人の武器と同じ黄色だ。


どうして黄色いのか、聞こうか迷ったが、出会ったばかりの相手だ。

やめておくことにした。


それに今は、ロアの傷を手当てしてもらったばかりだ。

私たちが宿へ入ろうとすると、エマが私のそばへ寄ってくる。


「ユイナ」

「うん?」


初対面なのに、もう名前を呼び捨てにされた。

エマは私の髪をしばらく見たあと、腰のガラスペンに気づいた。


「きれいね」

「これ?」


少し持ち上げて見せると、エマが頷く。


「何に使うもの?」

「これは……」


どう答えるか迷った。

色をロアから引き出して使うための道具だと言っても、どこまで伝わるか分からない。


「絵を描くときに使うかな」

「絵、描けるの?」


エマの顔が急に明るくなった。


「描けるよ」


転生前は一応画家だ。

こっちに来てからは一度も描いていないけれど、たぶん大丈夫だろう。


「上手?」

「自分で上手って言うのは、ちょっとね」


エマは何も言わず、いきなり馬車へ走っていった。


「エマ?」


カレンが呼ぶ。


けれどエマはもう荷台へ上がり、何かを抱えて戻ってきていた。

両手には何枚かの紙を持っている。


「これ、見て」


一番上の紙に描かれていたのは馬だった。

胴体はかなり大きく、そこから細い脚が四本伸びている。首は少し長い。


脚の位置や身体の傾きから、走っているところを描きたかったのは伝わった。


「エマが描いたの?」

「うん」


紙を受け取る。


「走ってる馬?」

「そう!」


わかってくれたのが嬉しかったらしく、エマがすぐ次の紙を差し出してきた。


「これは?」

「ちょっと待って。ちゃんと見るから」


カレンが困ったように笑った。


「その子、絵の話になると長いよ」

「いいですよ。私も好きですから」


「だったら相手してやって。私だと全部『上手だね』で終わっちゃうから」

「お母さんも、ちゃんと見てくれてるよ」


「でも、絵はよく分からないんだって」


エマは少し不満そうだったが、すぐにまた紙を広げた。


馬車、家、その横には、二人の人が並んでいる。


「これは?」

「私とお母さん」


一人は小さく、もう一人は大きく波打つ髪が描かれている。


「あ、こっちがお母さんだね」

「分かる?」


「うん。髪がそっくり」


エマが嬉しそうに笑った。


挿絵(By みてみん)


ついさっきまで、私たちは槍と矢を向けられていた。

セレンの家には戻れない。


誰が、何で私たちを狙っているのか分からない。

ロアは戦闘で負傷している。


そんな状態なのに、今は知らない町の宿の前で、知らない女の子が描いた絵を見て笑っている。さっきまでとはあまりにも違う時間だった。


「ほかにもあるよ」


エマが次の紙を見せる。


「うん。見せて」


受け取ると、エマは腰のガラスペンを見る。


「ねえ」

「何?」


「ユイナの絵も、見せて」


私はガラスペンを握り直した。

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