第3話 互いの手札
ルミナ王の祝辞が始まった。
遠くて細かな表情までは分からない。でも、髪も肌も、身につけている服まで黄に染まっていることははっきり見える。
姿形だけなら人間と変わらない。
北境の砦で遭遇した青の始原も、赤のザロスも、緑のフォリアも、人間とはかけ離れた姿をしていた。そんな始原を見てきたせいか、人の姿をした始原が王城のテラスに立ち、大勢の人へ言葉を述べているのが不思議に見える。
広場を埋めた人々は王の言葉に耳を傾け、ときおり大きな歓声を送っていた。
この国の人にとって、全身が黄に染まったルミナ王の姿は特別なものではないらしい。これほど目立つ色なのに、周りの人たちは王の姿そのものには驚いていないみたいだ。
けれど、今はルミナ王より気になる男がすぐそばにいる。
長い髪を後ろで束ねた細身の男。
服装は森で会ったときとは違う。王の隣に立つ姿も、あのときの薄汚れた格好とはまるで結びつかない。
それでも、顔を見間違えはしない。
エルディン・レイヴァ。
文香さんが調べていた男が、今はルミナ王の傍らに立っている。
隣にいるセレンは、祝辞が続いている間もエルディンを見ていた。
以前、この王城で会ったはずの相手。
けれどセレンの記憶には、そのときのエルディンの顔も声も残っていない。
目の前の男と、文香さんから聞かされたエルディンという名前。それを今、初めて自分の中で結びつけようとしているように見える。
やがて祝辞が終わった。
広場に大きな歓声が広がり、ルミナ王がテラスの奥へ戻っていく。エルディンも王のあとに続き、その姿が城の中へ消えた。
「行こう」
セレンは人々が動き始めるのを待たず、城の方へ歩き出した。
「どこへ?」
「城」
当然のように言われて、私は慌ててあとを追う。
「でも、王城ですよね。入れてもらえるんですか?」
「中まで入れるかは分からない。ただ、今日は普段より話を通しやすい」
広場を抜けながら、セレンが城門の方を指さした。
「建国祭の間だけ、外門の近くに申立所が置かれるんだ。普段なら町や地区の役所を通す訴えや要望を、今日は王城の役人が直接受け付けてくれる」
「そこでエルディンに会いたいって頼むんですね」
「前回はそんな人物も役職もないと言われたが、今回は本人がさっき王の隣に立っていたんだ。少なくとも、そんな人物はいないとは言われないだろう」
ロアが城門の方を見ながら言った。
「宰相に直接会わせてくれるとは思えないが」
「私もそこまでは期待してないよ。でも、こちらが来たことくらいは伝わるかもしれない」
セレンは歩調を変えなかった。
「何もしないで帰るよりはいいさ」
城門へ近づくと、人の流れが分かれていく。
祭りの屋台が並ぶ通りへ戻る人たちとは別に、城門の脇へ伸びる列がある。何かを書いた紙を持った人や、手ぶらのまま順番を待つ人がいる。
列の先には机がいくつか並び、王城の役人と思われる人物が一人ずつ話を聞いている。隣の机では、年配の男が身振りを交えながら話し、その内容を役人が紙へ書き取っている。
「字が書けなくても大丈夫なんですね」
「そういう人の方が多いからね。聞くところによると身分も関係ないらしいよ」
「聞いてもらったあとは、どうなるんですか?」
「内容次第かな。担当部門へ回されるものもあるし、その場で却下されるものもある。全ての願いが叶うなら、大行列ができるよ」
セレンが列の最後尾に並んだ。
列が少しずつ前へ進み、ようやく順番が回ってくる。
机の向こうに座った役人が陳情を書き留める紙を広げた。
「申し出の内容を」
「エルディン・レイヴァ宰相殿に面会したい」
書き始めようとしていた役人の手が止まった。
「宰相閣下に?」
「ああ。以前私は王城で陛下に謁見させていただいたことがある。その時のことについて、宰相殿に直接会って確認したいことがある。セレンという者が来たと伝えてほしい」
「面会の約束は?」
「ないよ」
役人は少し困った顔をしたものの、断りはしなかった。
セレンの名前と用件を書き留め、紙を別の役人へ渡す。
申し出を預けたから、これで終わりかと思った。
ところが、紙を受け取った役人はそのまま城内へ入っていく。
「……伝えに行ったんでしょうか」
「たぶんね」
セレンは平静な顔をしていたが、何度か城門の奥を確かめている。
しばらくして、先ほどの役人が兵を一人連れて戻ってきた。
「セレン殿と、お連れの二名ですね」
「ああ」
「宰相閣下がお会いになります。こちらへ」
私は思わずセレンを見た。
セレンもすぐには動かなかった。
会えるかもしれないとは言っていたが、本当に呼ばれるとは考えていなかったようだ。
「……分かった。案内して」
兵が城門へ向かう。
私たちも歩き出したが、門のすぐ前でロアが止まった。
「セレン」
「ああ。分かってる」
門の内側は、外から見えていた黄で埋め尽くされていた。
城壁だけではない。門の内側へ続く石の床も柱も、灰色を覆い隠すほど強い黄に満ちている。
エルガ王城へ入ったときのことを思い出す。
あそこにはザロスの赤が満ちていた。
「前に来たときも、こんな感じだったんですか?」
「ああ。文香と一緒に、この中を歩いた」
「そのときは何も?」
「ああ。私も文香も、この中を歩いたよ。少なくとも、あのときは問題なかった」
セレンにも、なぜ大丈夫だったのかまでは分からないらしい。
兵は門の内側に立って待っている。
ロアが私たちより先に一歩入った。
様子を確かめてから、こちらを見る。
「大丈夫だ」
私も城門をくぐった。
黄に染まった石の床を踏み、さらに数歩進む。
身体に痛みも違和感もない。
セレンも続いて入ってくる。
なぜ平気なのかは分からない。
理由は分からないが、今は兵についていくしかない。
◇
案内された部屋で待っていると、やがて扉が開いた。
「お待たせしました」
入ってきた男を近くで見れば、もう迷う余地はなかった。
森で会ったエルディンだ。
セレンが椅子から立ち上がった。
「今度は話をしてもらえるんだね」
「正式に面会を申し込まれましたから」
森で会ったときとは態度が違う。
エルディンは向かいの椅子を示した。
「どうぞ、お掛けください」
私たちが座るのを待ってから、エルディンも腰を下ろした。
セレンはすぐには話し始めなかった。
「王国宰相、エルディン・レイヴァ」
「はい」
「今は、その名前でいいんだね?」
「ええ、何か問題でも?」
「いや。確認したかっただけだよ」
エルディンは表情を変えない。
森では私たちを知らないと言い、文香さんのことを聞いても、まともに答えようとはしなかった。
今は王城の一室で、宰相として当然のように私たちと向かい合っている。
「文香のことを聞きたい」
セレンが本題に入った。
「フィリナで君は、文香は私たちの立ち入れない場所へ行ったと言った。あれはどういう意味だ?」
「まだ彼女を探していたんですね」
「そのためにフィリナまで行ったんだよ」
エルディンが私とロアの方を見る。
「彼女は見つかりましたか?」
「見つからなかった」
セレンはそこで一度言葉を切った。
「でも、世界樹までは行ったよ」
「フォリアに会ったんですか?」
「ああ」
「三人とも、よく無事に戻れましたね」
その言葉に、セレンの表情がわずかに変わった。
森で会ったエルディンは、緑に侵食された場所を平然と歩いていた。
どこまで知っているのかは分からない。
けれど、フォリアについて、始原について何も知らないとは思えなかった。
「フォリアの核は破壊した」
エルディンはすぐには返事をしなかった。
「……核を?
どうやって?」
セレンの口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「そこから先は言えないな」
「なぜです?」
「君が何も話してくれないからだよ」
エルディンは返事をせず、セレンの次の言葉を待った。
「文香がどこへ行ったのか。フィリナで何があったのか。君が知っていることを話してくれるなら、こっちもフォリアのことを話してもいい」
「取引ですか」
「一方的にこっちの情報だけ渡すつもりはないってこと」
「でしたら、その条件ではお話しできません」
「文香の居場所を知らないの?」
「今どこにいるのか知りません」
「フィリナで、君は『文香は君たちが立ち入れない場所へ行った』と言ったよね」
「言いました」
「なら、少なくともあの時点では何かを知ってたはずだ」
「それ以上はお話しできません」
言い方を変えても、答えは変わらない。
セレンは文香の話をそこで切り上げ、石化した左腕を机の上へ置いた。
「じゃあ、もう一つ聞くよ」
エルディンが左腕を見る。
「この腕がこうなった理由に、何か心当たりは?」
「私には分かりません」
「本当に何も?」
「ええ」
「君は、あのとき謁見の場にいたんだろ?」
今度はエルディンが答えなかった。
セレンの指先が机を一度叩く。
「私は君の顔も声も思い出せない。でも文香は、君があの場にいたと言っていた」
エルディンは石化した左腕を見たまま、少し間を置いた。
「一つだけ言えるとすれば」
「何?」
「これ以上、解析は続けない方がいい」
机を叩いていたセレンの指が止まった。
「……解析?」
「ええ」
「私は今、この腕がこうなった理由を聞いただけだよ。解析の話は一度もしてない」
「承知しています」
セレンは黙った。
エルディンも言い直そうとはしない。
「わざと、その言葉を出したんだね」
「あなたは先ほど、『核』という言葉を出した。私にも、知っていることはあるということです」
セレンの口元から笑みが消えた。
「だったら、文香について知ってることも――」
「それとこれとは話は別です」
エルディンがそこで遮った。
「これ以上、お話しできることはありません」
「文香のことも?」
「はい」
「私のことも?」
エルディンは答えなかった。
そのまま席を立つ。
「今日はここまでにしてください」
ほどなく扉が開き、外に控えていた兵が部屋へ入ってきた。
セレンも椅子から立った。
「分かったよ」
思ったより簡単に引き下がった。
ただ、扉の前まで行ったところで一度だけ振り返る。
「エルディン」
「何でしょう」
「今日は帰るけれど、次に会ったときは、もう少し話をしてもらうよ」
エルディンは何も答えなかった。
◇
兵に案内され、黄に染まった廊下を城門へ向かう。
エルディンの部屋から十分に離れたところで、ロアが口を開いた。
「『解析』と言ったのは、わざとだろうな」
「そうだと思う」
セレンは石化した左腕を見ながら歩いていた。
「私が『核』の話を出したから、向こうも手札を一枚見せてきたってところかな」
「フォリアの核を破壊したというのは、信じたと思いますか?」
「信じてないかもしれないね。でも、それでいいよ」
セレンは顔を上げた。
「私たちが始原のところまで行き、フォリアを止めたことが伝われば十分だ」
ロアは少し考えてから言った。
「向こうも、お前が解析していることを知ってると伝えてきた」
「ああ。しかも、聞かれてもいないのに自分からね」
エルディンは何も知らないわけではない。
どこまで知っているのかは分からないけれど、少なくともセレンの解析と石化した腕を結びつけて話していた。
城門が近づき、外から祭りの声が聞こえてくる。
「文香さんの居場所は、結局分かりませんでしたね」
「居場所はね」
セレンの歩調が少し緩んだ。
「でも、何も得られなかったわけじゃない」
黄に染まった門の向こうには、祭りの人波が見えている。
「私が以前この王城で解析をしていたことを、あの男は知っている。私が覚えてないだけで、やっぱりエルディンはあの謁見に関わっていた可能性が高い」
「それなのに、理由は話さない」
ロアが言った。
「そういうこと」
セレンは左腕をローブの中へ戻した。
「文香があの男を調べていた理由も、前よりは分かった気がするよ」
城門を抜けた。
振り返れば、黄一色の王城がそびえたっている。
その中に、文香さんが調べていたエルディンがいる。
文香さんがどこにいるのかは、まだ分からない。
けれど、エルディンがあの謁見について何かを隠していることだけは、はっきりした。




