第8話 帰還
ミレヴァへ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
北門をくぐったところで、リリカが足を止め、森の方を振り返る。
「……森を出るまで、根は動かなかったね」
「ああ」
ロアの言葉を聞きながら、私も北門の向こうを振り返る。
世界樹から離れてから、こちらへ伸びてくる根は一本もなかった。来る途中でロアが緑を奪って切り開いた場所も、そのままの状態だった。周囲から緑が侵食してきた様子もない。
フォリアの動きは止まっている。
少なくとも、森を抜けるまでに確認できたのはそこまでだ。
「このまま止まっててくれればいいんだけどね」
リリカが北門の中へ歩き出す。
「まだ分からないよ。核は壊してないんだから、また動き出すかもしれない」
セレンは森を振り返らずに答える。
「町長には、見たことをそのまま話そう。侵食が止まったと決めるにはまだはやい」
私たちは宿へ戻らず、そのまま町長の家へ向かった。
◇
町長には、世界樹の前で起きたことを順に話した。
赤を当てれば、フォリアの根を崩せること。
根を何本も崩したあと、フォリア自身の動きが鈍くなったこと。
根を壊し続ければ、フォリアそのものを倒してしまうかもしれないと考え、攻撃をやめたこと。
そして、胸元へ赤を当てたとき、その奥に大きな緑の核が見えたこと。
核へ直接赤を当てられる状態にはなったが、私たちは壊さなかった。
胸への攻撃のあと、フォリアも周囲の根も動かなくなった。帰る途中で確認した範囲では、緑の侵食も広がっていない。
町長は途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。
「では……侵食は止まったのですか」
すぐに答えたのはセレンだった。
「今は、そう見えます」
セレンは左腕を庇うようにしながら、椅子の背にもたれている。
「フォリアも根も動いていませんでした。帰り道でも、侵食が進んだ場所は見つかっていません。ただ、今後もこの状態が続くかどうかは、まだ分かりません」
町長の表情が緩みかけたが、セレンの最後の言葉を聞いて元に戻る。
「では、まだ安心はできないと」
「一日、二日くらいでは判断できないと思います」
私は帰り道で見てきた森を思い返した。
「今は動いていないだけかもしれないので、しばらく緑の境界付近を観察した方がいいと思います」
町長はしばらく考えてから、ゆっくりとうなずいた。
「分かりました。町の者にも、解決したと思わないよう伝えておきます」
「私たちも、もう少しミレヴァに残るよ。緑がまた広がり始めたら、すぐに分かった方がいいからね」
「助かります」
私たちは、しばらくミレヴァに残って様子を見ることになった。
◇
数日経っても、町の周囲に変化はなかった。
北門の外の緑は、消えたわけでも、灰色へ戻ったわけでもない。
だが、境界の位置は変わっていない。
最初のうちは、北門の外の様子を確かめに来る住民が絶えなかった。
境界付近まで行くものもいれば、遠目に様子を見るだけのものもいた。森を気にしながらも、こわくて近付けないものもいた。
けれど、何日経っても緑は近づいてこなかった。
十日が過ぎても変わらない。
さらに日が経っても、北門の外の境界の位置はそのままだった。
いつしか、わざわざ様子を見に来る人の数も減っていった。
それまで緑に怯えて止まっていた暮らしが急に変わったわけではないけれど、侵食を気にしていた人たちが、少しずつ普段の生活に戻っていく。
私たちはミレヴァに残り続けた。
フォリアが本当に動かなくなったのかは、町からでは分からない。
森の侵食が進んでいないことだけを確認しながら、時間が過ぎていった。
そして、一か月が過ぎた朝。
宿で顔を合わせると、セレンが言った。
「そろそろ、一度フォリアを見に行こう」
リリカもすぐに意味を理解したようだった。
「町の近辺は一か月変化ないけど、世界樹は見てないもんね」
「ああ。侵食が広がっていないのは分かった。でも、フォリアが今どうなっているのかは確認しておきたい」
セレンは一か月前と同じように落ち着いて話していた。
私は頷く。
フォリアを倒さないと決めたのは私たちだ。
あの状態で残したフォリアが、今もあの場所にいるのか。
確かめずにミレヴァを離れることはできない。
「行きましょう」
私たちは四人で、もう一度森へ向かった。
◇
北門を出て間もなく、私は足を止めた。
「この辺は、前に来たときと変わってませんね」
最初にミレヴァへ来たとき、緑を確認した場所だ。
灰色の地面と緑の境目は、一か月前に確認した位置から動いていない。
リリカが近くまで行き、緑の広がり方を確かめる。
「うん。少なくとも、この辺りは一か月前のままだと思う」
「町の近くは世界樹からかなり離れている。森の奥も同じとは限らないよ」
セレンは森の方を見た。
「フォリアのところに行こう。確認したいのは、あのあと世界樹がどうなったかだからね」
私たちは森へ入った。
前にロアが作った道はそのままの状態で残っている。
再び緑で塞がれているようなところはない。
けれど、森から緑が消えたわけではない。
木々や地面には、今もフォリアから広がった緑が残っている。
私たちは以前と同じ道を進んだ。
何度か立ち止まって周囲を確認したが、地面の下から根が出てくることもない。
やがて木々の間から、見覚えのある巨大な身体が見えてきた。
フォリアは、そこにいた。
私たちは距離を取ったまま、フォリアの様子を見る。
一か月前に後ろへ傾いた上半身は、そのままの位置にある。
目も閉じたままだ。
胸にできた亀裂の奥には、大きな緑の核が覗いている。
地面の上へ伸びた根にも動きはない。
一か月前のように土が盛り上がることもなかった。
「本当に、あれから動いてないのかな」
リリカが双眼鏡でフォリアを確かめながら言った。
「少なくとも、今見えている状態は一か月前と変わらないね」
セレンも距離を取ったままフォリアを見ている。
私は閉じたままの目と、胸の亀裂を見上げる。
「生きてるのかどうかも、分かりませんね」
「核は残っている」
セレンは少し考えてから続けた。
「でも、核が残っているから生きている、とまでは言えない。私たちはフォリアがどういう状態なら生きているのか、それ自体を知らないからね」
フォリアは動かない。
けれど、倒れてもいない。
胸の核を壊したわけでもない。
「もう少し近くまで行く?」
リリカが聞いた。
セレンは首を横に振った。
「必要ないと思う。侵食が止まっていることは、ここに来るまでにも確認できた。フォリアも一か月前から動いていないようだ」
ロアもフォリアを見上げたまま言った。
「今の状態なら目的は果たせている。手を出す理由はない」
「そうですね」
私もガラスペンを取り出さなかった。
核を壊せるかどうかを試すために、ここまで来たわけではない。
私たちはしばらくその場に残ったが、フォリアの目が開くことも、根が動き出すこともなかった。
「戻ろう」
セレンが言った。
「この状態が続いているなら、今はそれでいい」
私たちはフォリアに近づかず、その場を離れた。
◇
ミレヴァに戻ると、すぐに、町長へ結果を報告した。
「一か月前から、侵食の範囲は広がっていませんでした。フォリアも、止まった状態のままです」
私が話し終えると、町長は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「でも、フォリアは残っています」
私が念を押すと、町長は顔を上げた。
「構いません」
返事に迷う様子はない。
「私たちの願いは、世界樹をなくすことではありません。緑が広がり続けて、この町で暮らせなくなることを止めたかっただけですから」
町長は窓の外を見た。
北の方角には、一か月前と変わらず緑の森がある。
「世界樹が残っていても、緑がこれ以上こちらへ来ないのであれば、それでいい。ここで暮らし続けられるなら、私たちはそれで十分です」
フォリアを倒さなかったことが正しかったのかどうかは、私には分からない。
倒した場合に何が起きるのかも、確かめることはできない。
でも、ミレヴァへ迫っていた緑を止めることはできた。
町長の私たちへの依頼は、これで終わりだ。
◇
その夜、宿へ戻ると、久しぶりに次の行き先の話になった。
約一か月の間、文香さんを探す旅は止まっている。
最初に口を開いたのはリリカだ。
「依頼も達成したし、あなたたちはこれからどうするの?」
すぐには答えられなかった。
私たちがフィリナへ来た目的は、フォリアを止めることではない。
文香さんを探すためだ。
港に残っていた記録を手掛かりに、この大陸へ渡ってきた。そこからミレヴァまで辿ってきたものの、ここを離れた文香さんが次にどこへ向かったのかは分かっていない。
私はセレンを見る。
セレンはしばらく考えてから口を開いた。
「一度、家に戻ろうと思う」
「エリンフォードへ戻るんですか?」
「うん」
セレンは少し間を置いてから続ける。
「ここから先、文香がどこへ向かったのか分からない。今の私たちには次につながる手掛かりもないし、この世界を当てもなく探して回るには広すぎる」
私も異論はなかった。
「……それに、文香から何か連絡が来てるかもしれない」
セレンが言った。
「文香はフィリナに着いたら連絡すると言っていた。でも、私はそれから何も受け取っていない。留守にしている間に何か届いていないか、一度確認しておきたい」
文香さんから連絡が来ている保証はないが、今の私たちにほかに手掛かりはない。
「分かりました。エリンフォードへ戻りましょう」
私が答えると、ロアも異論はないようだった。
次の行き先は、エリンフォードに決まった。




