第5話 緑の始原
エルディンの姿が木々の奥へ消えても、セレンはしばらくその先を見つめていた。
「追うよ」
緑に侵食された地面へ踏み出しかけたところで、リリカが肩をつかんだ。
「やめて。あの男が平気だったからって、私たちも無事とは限らないでしょ」
「あいつは文香の行き先を知ってるかもしれない。ここで見失いたくはない」
「緑を避けながら追っかけても、追いつけないよ」
セレンが黙る。
ロアはエルディンが消えた方を見たあと、ナイフをしまった。
「いったん元の道へ戻ろう。文香が世界樹へ向かったなら、あいつの進む先も同じかもしれない。緑の上を歩ける相手を追っても無駄だ」
少しして、セレンも頷いた。
「……分かった」
私たちは来た道を引き返した。
◇
それからは、予定どおりに進めない日が増えた。
奥へ行くほど緑に侵食された場所が多くなり、リリカは木札を確かめながら、そのたびに通れる道を探した。
迂回した先でまた緑にぶつかり、さらに回り道をすることもある。
それでも引き返さず、通れる道をつないで森の奥へ進んだ。
町を出てから二週間ほど経った夕方、リリカが足を止めた。
「着いたよ」
木々の間に休憩所があった。
屋根と床だけの簡素な造りだが、これまで途中で使ってきたものより少し広い。
「ここが?」
「私が案内できるのはここまで」
リリカが荷物を下ろした。
この先にも道は続いていて、途中には同じような休憩所があるらしい。
「ここから世界樹までは、ここまで来たのと同じくらいかかるかな」
「まだ半分……」
ここまで来るだけで、二週間かかっている。
森の奥へ目を向けても、世界樹は見えない。
高い木々が何重にも重なり、その先を隠している。
セレンは荷物を下ろさず、リリカを見た。
「この先も案内してくれないか」
「無理」
迷う様子はなかった。
「追加の金なら払う」
「いらない」
「文香がこの先へ行ったかもしれないんだ」
「それでも無理。私はここで待つよ。戻るなら、町までは案内する」
それ以上話しても、答えは変わりそうになかった。
ロアが荷物を床へ置く。
「今日はここに泊まろう」
セレンも今度は何も言わず、荷物を下ろした。
◇
夜になり、リリカが眠ったあとも、私たち三人は起きていた。
休憩所の端で、小さく焚いた火を囲む。
「私は戻らないよ」
セレンが低い声で言った。
「文香がこの先へ向かった可能性がある。エルディンも森の奥へ進んでいった。ここまで来て引き返す気はない」
「私もです」
問題は、この先をどう進むかだった。
リリカの案内はここまで。この先へ行くなら、私たちだけで進まなければならない。
ロアが火を見ながら言った。
「俺とユイナで、明日少し先まで行ってみる」
セレンが顔を上げた。
「二人で?」
「ああ」
「私も行くよ」
「まずは二人でいい」
ロアが私を見る。
「アズレア大陸で青の始原から逃げたとき、青の領域を通ったのを覚えているか」
「はい」
「あのときは、俺が青を奪えば道を作れた。緑でも同じことができるか確かめたい」
あのときは、ロアが青を奪った場所を通って先へ進んだ。
「その方法なら、私が一緒でもいいんじゃないか?」
「青のときは、俺が作れる道は二人が通れるくらいの幅だった。まずはユイナと二人で行く」
セレンはすぐには答えなかった。
「……分かった」
「遠くまでは行かない。進めるかどうかだけ確かめたらすぐ戻る」
「それなら、ここで待つよ」
◇
翌朝、私たちはリリカにも話した。
「この先へ行くの?」
リリカがロアを見る。
「ああ。ただ、進めるかどうかを確かめて、すぐ戻ってくる」
「どうやって?」
私は、青く変わった場所を通ったときのことを説明した。
リリカはロアの足元へ目をやる。
「緑でもできるか試すってこと?」
「そうだ」
「……分かったわ。でも、危ないと思ったら戻ってきてよ」
「そのつもりだ」
リリカはまだ納得していない様子だったが、それ以上止めることはなかった。
セレンは休憩所に残る。
「気をつけて」
「はい」
私とロアは二人で森の奥へ入った。
◇
休憩所の先にも道は続いていた。
ただ、リリカがいない以上、どの分かれ道が世界樹へ続いているのかは分からない。
なるべく進む方向を変えず、分かれ道では木の幹に印を残しながら進んだ。
やがて、道を緑が覆っている場所に出る。
ロアが立ち止まった。
「やってみるぞ」
私もその場で止まる。
ロアが緑へ意識を向けた。
足元に近いところから緑がロアへ吸い寄せられていく。
緑が消えた場所には、灰色の地面が現れる。
ロアが一歩進む。
その先の緑を奪い、また一歩進む。
私も後に続いた。
しばらく進んだところで、後ろを振り返った。
「ロア」
足を止める。
今まで歩いてきたところに、灰色の道が続いていた。
青の領域では、ロアが通り過ぎたあと、再び道は青に覆われて塞がれた。
「私たちが通ったあとも、道が残ってます」
ロアも振り返った。
しばらく灰色の道を見てから、前を向く。
「ああ」
帰りは、この道をたどればいい。
私たちはさらに先へ進んだ。
緑を奪いながらなので、速くは歩けない。
それでも、後ろに灰色の道が残っている。青の領域を進んだときと違って、帰る場所を見失う心配はなかった。
しばらく進んだ頃だった。
木々の向こうに、見慣れないものが現れた。
「ロア」
私は足を止めた。
遠く、森の上に巨大な樹の上部が見えている。
周囲の木々より、はるかに高い。
太い幹から枝が大きく広がり、長い蔓や葉が幾重にも垂れていた。
ただ大きいだけではない。
上の方に、人の頭や肩を思わせる形がある。
長い髪のように葉が垂れ、その下には顔のようなものまで見えた。
「あれが……世界樹?」
ロアも黙って見上げている。
遠すぎて、細かいところまでは分からない。
そのとき、顔のように見えていた部分が動いた。
閉じていた瞼が、ゆっくりと開く。
大きな目が現れた。
「……ロア」
「ああ」
かなり離れているはずなのに、その目はこちらを見ているようだった。
ロアが来た道を振り返る。
「戻ろう」
「はい」
これ以上進めば、今日中に休憩所へ戻れない。
世界樹らしいものを見つけたことも、それが動いたことも、セレンたちに伝える必要がある。
私たちは灰色の道をたどり、休憩所へ戻った。




