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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第8章 緑の侵食
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第4話 エルディン・レイヴァ

休憩所に着いた頃には、日がかなり傾いていた。

休憩所の脇に立つ二本の木は、根元から幹の途中まで緑に変わっている。


「今日はここまでにしよう」


リリカが荷物を下ろした。

私たちもそれぞれ荷物を置く。三日歩き続けたせいで、足がかなり重たかった。

簡単に食事を済ませ、日が落ちる前に休むことにした。


     ◇


翌朝、私たちは日が昇る前に休憩所を出た。

一時間ほど進むと、道に混じる緑が昨日より明らかに増えてきた。


地面だけではない。道の両側に立つ木も、幹や枝の一部が緑に変わっている。灰色のまま残っている場所を探す方が難しくなっていた。

先頭を歩くリリカが速度を落とした。


道の右側には緑が広がり、そのまま進むのは難しそうだった。

リリカは左へ進路を変え、道を外れて森の中へ入る。


緑になった木々の間を進んでいく。地面には落ち葉が積もり、踏み固められた道より歩きにくい。しばらく進んだところで、リリカが足を止めた。


足元を見ている。


「足跡だ」


泥の上に、靴の跡がいくつか残っていた。靴の輪郭はまだ保たれている。

リリカがしゃがみ込む。


「昨日の雨の後に通ったみたいだね」

「町から来た人ですか?」

「たぶん違うと思う。この辺りは、普通の旅人が通れる場所じゃない」


セレンも足跡を確かめた。

足跡は道へは戻らず、そのまま北の世界樹の方へ続いている。


「少し辿ってみるか。世界樹へ向かっているなら、何か話を聞くことができるかもしれない」


リリカは足跡が続く方を確かめる。


「道から大きく外れないならいいよ」


私たちは足跡を辿った。

足跡は緑になった地面の上にも、そのまま続いていた。


私たちは緑を避けるために道を外れたのに、この足跡の主は気にした様子もなく、その上を歩いている。

しばらく進むと、前方で枝を踏む音がした。


リリカが止まり、私たちも足を止める。

木々の間に、一人の男がいた。


長い髪を後ろで束ね、汚れた服を着ている。

細身で、森を歩き慣れているような身なりだった。


男は私たちに背を向けたまま歩いている。

腕が動いたとき、左手首が見えた。


三本の細い黒線。その途中を横切る、円弧のような線。

セレンが男を見つめる。


「エルディン!」


男が足を止め、振り返った。


「……誰だ、君たちは?」


挿絵(By みてみん)


セレンが一歩前へ出る。


「探したよ、エルディン」


エルディンはセレンを見たあと、私、ロア、リリカと順に視線を向けた。


「何のことだ? 私は君たちのことを知らない」

「私は知ってるよ。君は私のことを覚えてないみたいだけどね」


セレンはエルディンから目を離さない。


「文香はどこにいる?」


エルディンの表情は変わらなかった。


「何のことだ?」

「とぼけるつもり?」


「知らない相手に、突然知らない名前を言われても答えようがない」

「一年も前から君を追っかけてるんだ。そんな答えで納得すると思うか?」


「付き合っていられないな……」


エルディンは再び歩き出そうとした。


「待て!」


セレンがエルディンの前へ回り込む。


「じゃあ話してもらおうか。文香が君を追っていた理由、王都から君の記録が消えた経緯もね」


エルディンの足が止まった。


「記録?」

「港には君の乗船記録が残っていた。でも王城には、君のことを知っている人間が一人もいなかった。王国宰相だったはずの君をね」


エルディンはしばらく黙っていた。


「……記憶は、消したはずなんだがな」


小さな声だった。


「何?」


セレンが聞き返したが、エルディンは答えない。

しばらくセレンの顔を見たあと、口を開いた。


「君はそれを調べるために、ここまで来たのか」

「いや、文香を探すためだよ。君はついでだ」


「そうか。なら無駄足だったな」

「どういう意味?」

「彼女は、君たちが立ち入れないところに行った」


セレンの顔つきが変わる。


「文香がどこへ行ったか知ってるんだね」


エルディンは答えない。

セレンがさらに一歩近づいた。


「どこにいる?」

「聞いても、君たちにはどうすることもできないと言っただろう」


セレンがエルディンの腕をつかもうとした。

手が届く前に、エルディンが横へ身をかわす。


セレンの手が空を切った。

次の瞬間、エルディンはセレンの腕を取り、体をひねる。


「っ」


セレンが前につんのめった。

ロアがすぐに動いた。


私の横を抜け、二人の間へ入る。右手にはナイフを握っていた。


「放せ」


エルディンがセレンの腕を離す。

ロアはナイフを構えたまま、エルディンとの距離を詰めた。


「私には君たちと争う理由がない」

「セレンに手を出すな」

「先に手を出したのはそっちだ」


ロアはナイフを下ろさない。

エルディンの右手が腰へ動いた。


「ロア」


私が呼ぶのとほとんど同時に、エルディンの手に短い刃が見えた。

ロアがナイフを上げる。


二人の刃がぶつかり、乾いた音が響いた。

直後、弦を弾く音がした。


矢がエルディンの足元に突き刺さる。

二人の動きが止まった。


「そこまで」


リリカは次の矢をつがえ、弓をエルディンへ向けていた。


「私は案内を頼まれただけ。こんなところで殺し合いを始めるなら、町へ帰るよ」


ロアがゆっくりとナイフを下ろした。

エルディンも刃を下ろす。


セレンは腕を押さえながら立ち上がった。服についた土を払い、エルディンを見る。


「私たちが立ち入れない場所ってことは、文香は世界樹へ行ったの?」


エルディンは答えなかった。


「君も同じ方向へ向かってるみたいだ。偶然じゃないよね」

「好きに考えてくれていい」

「じゃあ、そうするよ」


セレンは続けた。


「私たちも世界樹へ行こう」


エルディンが森の奥を見る。


「やめておけ」

「どうして?」

「この先は、もう人間が歩ける場所じゃない」


私は周囲を見た。

灰色だったはずの森に、緑が増えている。ここまで来るだけでも、何度も道を外れてきた。


「あなたはどうして歩いてこられたんですか?」


私が聞くと、エルディンがこちらを見た。

私の顔を見ると、すぐには目を逸らさない。


私の髪を見て、もう一度顔を見る。

わずかに目を見開いた。


「……」

「どうしたんですか?」


エルディンは一瞬黙ったあと、目を逸らした。


「いや。何でもない」

「緑になった場所にも、あなたの足跡が残っていました」


ロアもエルディンを見る。

セレンが言った。


「そういえば、おかしいね」


エルディンは何も言わない。


「君は、どうして緑の上を歩いても平気なんだ?」


エルディンは答えず、ナイフをしまった。


「これ以上話していても時間の無駄だな。戻った方がいい」


それだけ言って、森の奥へ歩き出す。


「待て、エルディン」


セレンが呼んでも止まらない。

その先には、緑に侵食された地面が広がっている。


エルディンは進路を変えない。

一歩、また一歩と、その上を歩いていく。


何も起きない。

エルディンは一度も緑を避けることなく、その姿はやがて木々の奥へ消えていった。

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