第4話 エルディン・レイヴァ
休憩所に着いた頃には、日がかなり傾いていた。
休憩所の脇に立つ二本の木は、根元から幹の途中まで緑に変わっている。
「今日はここまでにしよう」
リリカが荷物を下ろした。
私たちもそれぞれ荷物を置く。三日歩き続けたせいで、足がかなり重たかった。
簡単に食事を済ませ、日が落ちる前に休むことにした。
◇
翌朝、私たちは日が昇る前に休憩所を出た。
一時間ほど進むと、道に混じる緑が昨日より明らかに増えてきた。
地面だけではない。道の両側に立つ木も、幹や枝の一部が緑に変わっている。灰色のまま残っている場所を探す方が難しくなっていた。
先頭を歩くリリカが速度を落とした。
道の右側には緑が広がり、そのまま進むのは難しそうだった。
リリカは左へ進路を変え、道を外れて森の中へ入る。
緑になった木々の間を進んでいく。地面には落ち葉が積もり、踏み固められた道より歩きにくい。しばらく進んだところで、リリカが足を止めた。
足元を見ている。
「足跡だ」
泥の上に、靴の跡がいくつか残っていた。靴の輪郭はまだ保たれている。
リリカがしゃがみ込む。
「昨日の雨の後に通ったみたいだね」
「町から来た人ですか?」
「たぶん違うと思う。この辺りは、普通の旅人が通れる場所じゃない」
セレンも足跡を確かめた。
足跡は道へは戻らず、そのまま北の世界樹の方へ続いている。
「少し辿ってみるか。世界樹へ向かっているなら、何か話を聞くことができるかもしれない」
リリカは足跡が続く方を確かめる。
「道から大きく外れないならいいよ」
私たちは足跡を辿った。
足跡は緑になった地面の上にも、そのまま続いていた。
私たちは緑を避けるために道を外れたのに、この足跡の主は気にした様子もなく、その上を歩いている。
しばらく進むと、前方で枝を踏む音がした。
リリカが止まり、私たちも足を止める。
木々の間に、一人の男がいた。
長い髪を後ろで束ね、汚れた服を着ている。
細身で、森を歩き慣れているような身なりだった。
男は私たちに背を向けたまま歩いている。
腕が動いたとき、左手首が見えた。
三本の細い黒線。その途中を横切る、円弧のような線。
セレンが男を見つめる。
「エルディン!」
男が足を止め、振り返った。
「……誰だ、君たちは?」
セレンが一歩前へ出る。
「探したよ、エルディン」
エルディンはセレンを見たあと、私、ロア、リリカと順に視線を向けた。
「何のことだ? 私は君たちのことを知らない」
「私は知ってるよ。君は私のことを覚えてないみたいだけどね」
セレンはエルディンから目を離さない。
「文香はどこにいる?」
エルディンの表情は変わらなかった。
「何のことだ?」
「とぼけるつもり?」
「知らない相手に、突然知らない名前を言われても答えようがない」
「一年も前から君を追っかけてるんだ。そんな答えで納得すると思うか?」
「付き合っていられないな……」
エルディンは再び歩き出そうとした。
「待て!」
セレンがエルディンの前へ回り込む。
「じゃあ話してもらおうか。文香が君を追っていた理由、王都から君の記録が消えた経緯もね」
エルディンの足が止まった。
「記録?」
「港には君の乗船記録が残っていた。でも王城には、君のことを知っている人間が一人もいなかった。王国宰相だったはずの君をね」
エルディンはしばらく黙っていた。
「……記憶は、消したはずなんだがな」
小さな声だった。
「何?」
セレンが聞き返したが、エルディンは答えない。
しばらくセレンの顔を見たあと、口を開いた。
「君はそれを調べるために、ここまで来たのか」
「いや、文香を探すためだよ。君はついでだ」
「そうか。なら無駄足だったな」
「どういう意味?」
「彼女は、君たちが立ち入れないところに行った」
セレンの顔つきが変わる。
「文香がどこへ行ったか知ってるんだね」
エルディンは答えない。
セレンがさらに一歩近づいた。
「どこにいる?」
「聞いても、君たちにはどうすることもできないと言っただろう」
セレンがエルディンの腕をつかもうとした。
手が届く前に、エルディンが横へ身をかわす。
セレンの手が空を切った。
次の瞬間、エルディンはセレンの腕を取り、体をひねる。
「っ」
セレンが前につんのめった。
ロアがすぐに動いた。
私の横を抜け、二人の間へ入る。右手にはナイフを握っていた。
「放せ」
エルディンがセレンの腕を離す。
ロアはナイフを構えたまま、エルディンとの距離を詰めた。
「私には君たちと争う理由がない」
「セレンに手を出すな」
「先に手を出したのはそっちだ」
ロアはナイフを下ろさない。
エルディンの右手が腰へ動いた。
「ロア」
私が呼ぶのとほとんど同時に、エルディンの手に短い刃が見えた。
ロアがナイフを上げる。
二人の刃がぶつかり、乾いた音が響いた。
直後、弦を弾く音がした。
矢がエルディンの足元に突き刺さる。
二人の動きが止まった。
「そこまで」
リリカは次の矢をつがえ、弓をエルディンへ向けていた。
「私は案内を頼まれただけ。こんなところで殺し合いを始めるなら、町へ帰るよ」
ロアがゆっくりとナイフを下ろした。
エルディンも刃を下ろす。
セレンは腕を押さえながら立ち上がった。服についた土を払い、エルディンを見る。
「私たちが立ち入れない場所ってことは、文香は世界樹へ行ったの?」
エルディンは答えなかった。
「君も同じ方向へ向かってるみたいだ。偶然じゃないよね」
「好きに考えてくれていい」
「じゃあ、そうするよ」
セレンは続けた。
「私たちも世界樹へ行こう」
エルディンが森の奥を見る。
「やめておけ」
「どうして?」
「この先は、もう人間が歩ける場所じゃない」
私は周囲を見た。
灰色だったはずの森に、緑が増えている。ここまで来るだけでも、何度も道を外れてきた。
「あなたはどうして歩いてこられたんですか?」
私が聞くと、エルディンがこちらを見た。
私の顔を見ると、すぐには目を逸らさない。
私の髪を見て、もう一度顔を見る。
わずかに目を見開いた。
「……」
「どうしたんですか?」
エルディンは一瞬黙ったあと、目を逸らした。
「いや。何でもない」
「緑になった場所にも、あなたの足跡が残っていました」
ロアもエルディンを見る。
セレンが言った。
「そういえば、おかしいね」
エルディンは何も言わない。
「君は、どうして緑の上を歩いても平気なんだ?」
エルディンは答えず、ナイフをしまった。
「これ以上話していても時間の無駄だな。戻った方がいい」
それだけ言って、森の奥へ歩き出す。
「待て、エルディン」
セレンが呼んでも止まらない。
その先には、緑に侵食された地面が広がっている。
エルディンは進路を変えない。
一歩、また一歩と、その上を歩いていく。
何も起きない。
エルディンは一度も緑を避けることなく、その姿はやがて木々の奥へ消えていった。




