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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第8章 緑の侵食
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第2話 森の侵食

リュミエ港を出て二日目の午後、馬車はフィリナ大陸の内陸を走っていた。

海はとうに見えなくなり、窓の外には畑と丘が続いている。


向かいの席では、セレンが膝の上に地図を広げていた。


「もうすぐ分かれ道だ。そこからミレヴァの町までは遠くない」


地図を畳み、鞄へしまう。

ロアは朝から窓の外を眺めていた。私も同じ方へ目を向ける。

馬車が木立のそばを通った。


「あれ?」


灰色の枝の間に、緑の葉が見えた気がした。

振り返ったときには、木立はもう遠ざかっている。


「どうした?」

「今、緑の葉がありました」

「俺も見た」


次の木立が近づいてきた。

今度は窓際へ寄って見ていると、こちらにも緑の葉が混じっている。

セレンが身を乗り出した。


「どれだ?」

「あそこです」


私が指した先を見て、セレンが目を細める。


「……これが緑か」


木立を通り過ぎても、セレンはしばらく後ろを見ていた。

街道を進むうちに、同じ色を何度か見かけた。


道端の草の中や、木の枝先。

最初は探さなければ気づかないほどだったが、一度見つけてからは、次はどこにあるだろうと窓の外を探していた。


やがて街道が分かれ、馬車はミレヴァへ向かう道へ入る。

丘を越えたところで、ロアが窓の外を指した。


「町が見えたぞ」


畑の向こうに石壁があり、その内側に家が集まっている。


「ミレヴァだな」


セレンが言った。

丘の上からは、町のさらに先まで見渡せた。

その向こうに、広大な森が広がっている。


挿絵(By みてみん)


「……あれが世界樹の森ですか?」

「ああ」


思っていたより、ずっと大きい。

森はどこまでも続き、終わりが見えない。

私は森の中央の方へ目を移した。


「緑……」


森の奥が、途中からはっきりと色を変えている。

街道沿いで見た葉のように、探さなければ分からない程度ではない。丘の上からでも、その範囲が見て取れた。


「かなり奥ですね」


セレンがもう一度地図を開いた。


「世界樹があるのは、この辺りだ」


指が大森林の中央で止まる。

緑に見えているのも、おおよそその辺りだった。


私は森へ目を戻した。

世界樹そのものは、ここからでは見えない。

馬車が丘を下り始めると、やがて大森林も建物の陰へ隠れていった。


     ◇


宿に荷物を置いてから、私たちは町へ出た。

リュミエ港で聞いた話では、文香さんはここミレヴァへ向かっている。


まずは町の宿を回った。

一年前の宿泊者名簿も見せてもらったが、文香さんの名前はない。


私と同じ髪の色に眼鏡、私と似た肌の女性を覚えていないかとも聞いたが、手掛かりはなかった。

泊まらずに町を通り過ぎたのかもしれない。あるいは、まだ調べていない宿に泊まった可能性もある。


今度は、森へ向かう旅人が立ち寄りそうな店を回ることにした。

食料品店、道具屋、旅人向けの商品を扱う店。


文香さんの特徴を伝えても、店主たちは揃って首を横に振った。

何軒か回ったところで、セレンが言う。


「エルディンのことも聞いてみよう」


「そうですね」

「文香はエルディンを追っていた。ここへ来たのなら、エルディンも来ていた可能性がある」


次に入った店で、セレンが店主に尋ねた。


「一年くらい前に、エルディン・レイヴァという男が来なかったか?」


店主は首を傾げる。


「名前だけじゃ分からんな」

「なら、これは?」


セレンが鞄から紙を取り出した。

右手でペンを持ち、エルディンの手首の文様を書いた。


「左手首の辺りに、こんな紋様がある男だ」


店主が紙をのぞき込む。


「妙な印だな」

「見覚えは?」


店主は少し考えたあと、店の奥へ顔を向けた。


「おい。前に、変わった印のある客が来なかったか?」


荷物を整理していた男が振り返る。


「どんな?」


店主が紙を持っていく。

男は受け取り、しばらく眺めた。


「……似たようなのなら覚えてる」


セレンが近づく。


「その男について、覚えてることを教えてくれ」

「そうだな……森のことを聞かれたかな」


「森の何を?」

「世界樹の場所だよ」


男は紙を見ながら続ける。


「町からどう行けばいいって聞かれた。ずいぶん奥だから、行くならガイドを雇って、準備してからにした方がいいとは言ったんだけどな」

「ガイドが必要なのか?」


「ああ。森に慣れてないなら、一人じゃまず迷う」

「そのあと、その男がどうしたかは?」

「それっきり見てないよ」


セレンが紙を受け取った。


「ありがとう」


店を出ると、ロアが言った。


「エルディン本人の可能性が高そうだな」

「ああ。一年前に世界樹へ行こうとしていた男で、手首の印も似てる。調べる価値はある。文香の情報は見つからないしね」


私は町の北側を見る。

建物が並び、その向こうにあるはずの大森林はここからでは見えない。


「森に入るなら、ガイドを探した方がよさそうですね」

「ああ」


セレンが店を振り返る。


「紹介できる人間がいないか聞いてくる」


ほどなくして戻ってきた。


「リリカって女がいるらしい。森の案内を仕事にしてる」


     ◇


教えられた建物は、町の北側にあった。

扉を開けると、一人の女が机の上で双眼鏡の手入れしていた。


灰色の肌に短い髪。後ろで小さく一つに結んでいる。

細身だが胸元は豊かで、前の開いた服の上に軽い外套を羽織っていた。

壁には弓と矢筒が掛けられ、その横には長い杖が立てかけてある。腰にはナイフも下げていた。


「君がリリカか?」

「そうだけど」

「世界樹の方へ行きたいんだ。案内を頼みたい」


リリカは双眼鏡を机に置いた。


「世界樹まで行くつもり?」

「できればね」

「そこまでは案内できないよ」


リリカは壁から地図を外し、机に広げた。


「この道から森に入る。途中に休憩所がいくつかあって、今あたしが連れていけるのはここまで」


指が、町と世界樹の中間付近にある休憩所の印で止まる。


「町からそこまで、だいたい二週間。天気が悪けりゃ、もう少しかかる」


セレンが地図をのぞき込む。

世界樹は、そこからさらに先にあるらしい。


「この休憩所より先には行けないの?」

「今はね」


リリカがその休憩所から先を指でなぞった。


「前はもう少し先まで行けたんだけど、年々、森の侵食が広がってきてるの。あたしが最後に見に行ったときは、この辺りまで広がってた」

「侵食って何?」


私が聞くと、リリカは窓の外を指した。


「町へ来る途中に見なかった? 森の奥だけ変な色になってたでしょ。元は全部普通の色だったらしいんだけど、だんだんああなってきてるの」

「緑のことを言ってるんですね」


「緑って何?」

「森の色が、私の髪みたいな色になってるんですよね」

「そうそう。森とは少し違うけど、近いね」


リリカは私の髪を見たが、それ以上気にする様子もなく地図へ目を戻した。


「その先が今どうなってるか、確認できてない。だから客も連れていけない」

「なら、行けるところまででいい」


「さっきも言ったけど、そこまでだと往復で一か月近くかかるけどいい?」

「構わない。料金は?」


リリカが金額を告げる。

セレンは少し考えてから頷いた。


「それでいい」

「じゃ、決まりだね」


「私はセレン。こっちはユイナとロア」

「私はリリカ。よろしくね」


セレンが壁に掛かった弓を見る。


「それも持っていくのか?」

「うん。(うろ)が出たら使うよ」

「虚?」


リリカがセレンを見る。


「あんた、虚を知らないんだ。都会育ちとか?」


セレンは虚を知らない。

私はセレンに虚について説明した。

リリカは弓を壁から外し、弦を確かめる。


「虚だけじゃなくて、獣を狩るときにも弓は使う。近ければナイフね」

「それは頼もしいな」

「森では自分の身くらい守れないとガイドなんてできないよ」


セレンが頷いた。


「明日出られるか?」

「いいよ。朝、北門に来て」


リリカは今度は私たちの荷物に目を向ける。


「食料はどのくらい持ってる?」

「港で買ったんですけど、少ししかありません」


「二週間歩くには足りないね。なるべく日持ちするものを買い足しておいて」

「往復一か月分ですか?」

「そこまではいらないよ」


リリカが地図を開き直し、途中にある川と沢を示す。


「水はここで補給できる。木の実や食べられる野草もあるし、運がよければ獣も狩れる。川で魚も捕れるから、釣り竿も持っていこうか」

「釣りか。やったことないな」


ロアが言った。


「教えてやるよ。ただ、雨が降ると狩りも釣りもできないし、移動できない日もあると思う。だから何日か分は余分に持っていく」


「分かった」

「休憩所には寝床があるだけで食料はないからね」


セレンが立ち上がる。


「必要なものは今日のうちに揃えよう」

「じゃあ、明日の朝ね」


建物を出ると、ロアが店の並ぶ通りを見る。


「食料を買い足すか」

「ああ。野宿することもあるだろうから、雨具やテントも揃えよう」


靴はアルディナを出る前に、長旅用のものへ替えてある。

あとは食料と、森を進むための道具だ。


「行きましょう」


私たちは店の並ぶ通りへ向かった。

明日の朝、リリカの案内で世界樹の森へ入る。

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