第5話 消えた王国宰相
それから文香は、私の腕だけじゃなく、その男のことも調べ始めたんだ」
セレンは左袖を元に戻した。
「最初に向かったのは王城。ここへ来たとき、あの男は自分から名前と身分を名乗ってたらしい。エルディン・レイヴァ。王国宰相だって」
その名前を聞きながら、王立図書館で見つけた文香さんのメモを思い出す。
王のそばにいた存在。
文香さんは、その人物の正体を確かめようとしていた。
「文香は、エルディンにもう一度会いたいって王城で伝えた。でも、そんな名前の人間はいないって言われた。王国宰相だと説明しても、今度はそんな役職自体ないって」
文香さんは、エルディンがルミナ王の近くにいたところを実際に見ている。
けれど王城では、名前だけでなく、その役職まで否定された。
「私は男がいたという記憶しかない。顔も名前も思い出せないんだ」
セレンは眼鏡を押し上げた。
「今話したエルディンの容姿も、あとで文香から聞いたものだよ。髪は白に近い薄い灰色。細身で、三十前後。上質な灰色の長衣に、同色の外套を重ねていた。片方の袖だけが不自然に長く、その手には手袋をしていた。」
セレンは少し間を置き、自分の左手首を示した。
「それと、ここに変わった紋様があったらしい。黒い細い線が三本。円の一部みたいな形だったって」
「文香さんは、そこまで覚えていたんですね」
「ああ。だからエルディンを訪ねて行ったときも、名前だけじゃなく、見た目や紋様まで伝えた。それでも誰も心当たりがないって言われたらしい」
セレンは左腕へ目を落とした。
「文香は、私の腕がこうなった原因を探してた。私が能力を使ったせいなのか、ルミナ王の近くにいたからなのか、それともエルディンが何かしたのか。何も分かってないからね」
エルディンに会えれば、何か分かるかもしれない。
文香さんがもう一度会おうとしたのも、そのためだろう。
「でも、王城には手掛かりがなかった」
「ああ。それでも文香は諦めなかったよ」
セレンはそこで言葉を切った。
「しばらくして、エルディンがフィリナへ向かったらしいって情報を見つけた」
フィリナ。
初めて出てきた地名に、私は顔を上げた。
「もちろん、文香もその話をそのまま信じたわけじゃない。王城では、存在を否定されてるからね。でも、ほかに手掛かりがなかった」
隣では、ロアも黙って話を聞いている。
「それで文香は、フィリナへ行くって決めた。当然、私も行くって言ったよ。自分の腕のことだからね」
セレンの手が、袖の上から左腕に触れた。
「でも、文香は連れていってくれなかった。こうなった原因にエルディンが関係してるなら、会いに行ったら何が起きるか分からないって」
セレンはわずかに笑う。
「何度言っても駄目だった。最後は、『あなたの腕を治すために行くのに、もっと悪くなったら意味がない』って怒られたよ」
それを聞けば、文香さんが一人で行った理由は分かる。
私はそれ以上、聞かなかった。
「出発したのは、もう一年近く前になる」
一年近く前。
私がこの世界へ来るよりも前に、文香さんはフィリナへ向かっていた。
「着いたら連絡するって言ってた。何か分かったら、すぐ知らせるって」
セレンの笑みが消えた。
「でも、何も来なかった」
「手紙も?」
ロアが聞く。
「一度も」
セレンはすぐに答えた。
「だから、フィリナに無事着いたのかどうか、エルディンを見つけることができたのか、何も分からないままなんだ」
一年近く、セレンはここで文香さんからの連絡を待っていた。
左腕が石のように変わったまま、それでもフィリナへは向かわずに。
「私がフィリナへ行きます」
そう告げても、セレンは驚かなかった。
「そう言うと思った」
「文香さんがそこへ向かったなら、追いかけます」
ロアも椅子から立ち上がる。
「俺も行く」
「ありがとうございます」
「今さらだ」
ロアはそれだけ言った。
二人を見たセレンが、少しだけ笑う。
「私も行くよ」
「セレンも?」
「一年待ったからね。もうここで待ってるつもりはない」
迷っている様子はなかった。
「なら、一緒に行きましょう」
「ああ」
セレンは立ち上がりかけたところで、ロアへ顔を向けた。
「ただ、その前に一つだけ話しておく。さっき君の中を見たときのことだよ」
ロアが足を止める。
「君の中には、いくつもの色が残っている」
ロアは黙ったまま続きを待った。
「詳しく調べれば、何が残っているのか分かるかもしれない。でも、今の私の状態では簡単に調べることはできない」
セレンは左腕を見る。
「解析するほど、この腕の変化が進む可能性があるからね」
「これ以上、調べる必要なんてない」
「そう簡単にはいかないよ」
セレンは苦笑した。
「文香が追っていたものを確かめるためにも、君たちの力を理解する必要がある」
私はロアを見る。
ロア自身も、自分の中に今どんな色が残っているのか正確には分からない。
私たちも、まだその仕組みを十分に理解できていない。
ただ、今ここでセレンに無理をさせる必要はない。
「まずは文香さんを探しましょう」
「ああ。フィリナへ行こう」
セレンはそう答えると、ようやく立ち上がった。
「明日の朝には出られる?」
「はい」
「じゃあ、朝になったらここへ迎えに来て。フィリナまで何日かかるか分からないし、色々と準備しておきたい」
「分かりました」
ロアも立ち上がる。
「俺たちも宿に戻るか」
「はい」
私はガラスペンを鞄へしまった。
宿には、ここへ来る前に置いてきた荷物がある。明日の朝すぐに出られるよう、私たちも準備しておいたほうがいい。
玄関まで見送りに来たセレンが、扉を開ける。
「じゃあ、明日の朝」
「はい」
外へ出ると、来たときより日が傾いていた。
文香さんが本当にフィリナへ着いたのか。
今も無事でいるのか。
まだ何も分からない。
それでも明日の朝、私たちは文香さんが向かったというフィリナを目指す。




