第4話 黄には緑が通る
「この腕が石みたいに変わり始めたのも、そのときからだよ」
セレンは左袖を肘の近くまでまくり、腕を見せた。
指先から手首を越え、肘との間まで、石のように見える。細い筋がいくつも走っているが、指を曲げると関節は動いた。
「何かの病気ではないですよね?」
「違うと思う。多分、解析を使ったことと関係がある。ただ、どうしてこうなるのかまでは分からない」
「本当に石になってるんですか?」
「それも分からないよ。成分を調べたわけじゃないからね。見た目も触った感じも石みたいだから、私は石化って呼んでるだけ」
セレンは左手を開き、また握った。
「今のところは動く。少し指が動かしにくいくらいかな」
「ルミナ王を解析していたときに、急にそうなったんですか?」
「ああ。変化に先に気づいたのは文香だった。私は王様に気を取られていて、自分の手なんて見てなかったからね」
文香さんはルミナ王と話しながらも色譜盤を確かめていた。その途中で、隣にいたセレンの指先の変化に気づいたらしい。
「解析すると、色の成り立ちが分かってくるんですよね」
「そう。あのときはまだ途中だったけどね。ルミナ王の黄色が、どのようにしてあの状態で存在しているのか。見続けているうちに、少しずつ分かってきた」
「それでも、やめなかったのか?」
ロアが聞いた。
「そう。文香に『手を見て』って言われたけど、私はもう少し待ってって答えた」
「腕が石化しているのに?」
「そのときは、まだ指先だけだったし」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
「そうだね」
セレンは笑った。
「文香にも『いいから自分の手を見て』って怒られたよ。それで、ようやく解析をやめた」
危険だと分かっても、セレンは解析を続けようとした。
「本当は続けたかったんですか?」
「ああ、まだ解析の途中だったからね」
セレンは机の上の左手へ目を落とした。
「文香がずっと調べていた色のことを、初めて自分の力でも知ることができたんだ。それまでは文香について回って、文香が調べたことを聞いていただけだったからね」
その声からは、さっきまでの軽い調子が消えている。
「文香についていけば、この世界から色が失われた理由が分かるかもしれない。そうすれば、私たちがどうしてこんな姿なのかも分かる。もしかしたら、私も文香みたいになれるかもしれない。本気でそう思ったんだよ」
病院を辞めてまで文香さんと海を渡った理由を、私はようやく聞くことができた。
セレンが追いかけていたのは、始原そのものではない。
自分にはないと思っていた色だった。
「だから、自分にも調べられるって分かったときは嬉しかった。危ないからってだけで、やめようとは思えなかったんだ」
「文香さんには止められたんですよね」
「もちろん」
「それからは?」
セレンは少し目を逸らした。
「しばらくはやらなかったよ。でも、文香と別れてから何度か自分で試した」
「自分を解析したんですか?」
「ああ。一番知りたかったのが、自分自身のことだからね」
セレンは右手で自分の胸元を指した。
「私にも色があるのか。それを確かめたかった」
試してみると、何もないわけではなかったという。
「文香から教わった色に当てはめるなら、青に近いものと黄色に近いもの。その二つが一番強く感じられた」
「青と黄……」
「ああ。ただ、はっきり青と黄だと言えるほど明確じゃない。青っぽいものと黄色っぽいものが混ざってるように見えた。それ以外にも、弱い色がいくつか見えたよ」
私はセレンの顔や腕を見る。
私の目には、灰色にしか見えない。
この世界の人たちは、全員が同じ灰色というわけではないということなのか。
確かに濃い人もいれば、薄い人もいる。
けれど、その違いが何なのかまで考えたことはなかった。
「文香みたいになれたわけじゃない。でも、自分にも色があるって分かった。ほんの少しだけ、近づいた気がしたんだ」
「でも、そのたびに石化は広がるんですよね?」
「ああ。使うたびに少しずつ上へ広がる。それで、解析すると進むんだなって分かった」
「そこまで分かってても続けたんですね」
「続けたから分かった、とも言えるけどね」
「セレン!」
「そんな顔しないでよ」
セレンは笑っている。
左腕の硬い表面は、そのままだ。
文香さんに会ってから、ずっと色について知りたいと思っていた。その気持ちが、危険と分かっていても解析をやめきれない理由なのだろう。
セレンの目がロアへ移った。
「ところで、さっき聞いた君の能力なんだけど」
「俺の?」
「奪った色を、体の中に持ってるんだろ?」
「ああ」
「少し見てもいい?」
ロアが眉を寄せる。
「俺を解析するのか?」
「少しだけ。中に何があるのか見てみたい」
「駄目ですよ、解析したら石化が進むじゃないですか」
「無理はしないよ」
セレンは私にそう答えてから、またロアを見た。
「色を奪って体の中に持ってる人間なんて、今まで会ったことがないからね」
ロアは少し考えた。
「俺に何か起きるのか?」
「今まで調べた相手に何か起きたことは一度もない。嫌ならやめるけど」
「なら、いい」
「決まりね」
セレンは眼鏡の位置を直し、ロアを見つめた。
しばらく何も言わない。
顔から髪、服へと手を動かし、全身を確かめていく。
「……面白い」
「何が見えるんですか?」
「まず、君にも私たちと同じような灰色がある。でも、私とは違う。濃さも、中にあるものの量も違うみたいだ」
さらに目を細める。
「髪の赤茶っぽい色も、君自身のものとして見える。それとは別に、服にもそれぞれ色が残ってる」
ロアが自分の袖へ目を落とした。
「それから……体の中に、もっとはっきりした色がある」
「何色ですか?」
「青。かなり多い」
私はロアを見る。
ロアもこちらを見た。
「アズレア大陸の北境の砦で青の始原から奪ったものだと思います」
「なるほど」
セレンは集中したまま続ける。
「もう一つある。こっちは赤だ」
「ザロスから奪ったものだ」
「青も赤も、君自身の色とは違う。体の中にはあるけれど、元から君にあったものじゃない」
そこでセレンは目を閉じた。
「もう、そのくらいにしてください」
「ああ。ここまでにしておく」
眼鏡を外し、指で目元を押さえる。
ロアは自分の手を見た。
「俺自身の色っていうのは、なんだ?」
「灰色もそうだけど、髪の色は後から奪ったものとは違う。君自身に馴染んでる」
「生まれたときからこの色だ」
「生まれたときから?」
「ああ」
セレンがロアを見直した。
「それなら、君の能力と関係があるのかもしれないな」
「どういうことだ?」
「君は色を奪う。始原がやっていることと、性質だけなら似てるだろ?」
ロアの顔つきが変わった。
「俺が始原に近いってことか?」
「同じだとは言ってないよ」
セレンはすぐに返した。
「ただ、君自身の色と、その力の結びつきが強く見える。生まれたときからその力を持っていたなら、それが君から色が失われなかったことに関係してる可能性はあると思う」
「だから、生まれたときから色があった?」
「私はそう考えるかな。全部を解析したわけじゃない。断定はしないよ」
ロアは黙った。
この世界で生まれたのに、ロアには最初から色があった。
不思議だとは思っていた。でも、なぜなのか考えたこともなかった。
ロアの力と、生まれつき持っていた色。その二つは関係があるのかもしれない。
「今のは、まだ途中まで見ただけだからね」
セレンが言った。
「青や赤があることは分かった。でも、その色の成り立ちまで全部理解したわけじゃない」
「全部分かるまで解析したら?」
「もっと石化が進むだろうね」
セレンが左腕を見る。
私も同じ場所へ目を向けた。
肌と硬い表面の境目が、さっきよりほんの少し上へ広がっているように見える。
「……進んでませんか?」
「少しね」
「少しじゃないですよ!」
「問題ない」
「あります!」
セレンは困ったように笑った。
「でも、やらないとは約束できないよ。私は、これを知りたくて文香についてきたんだから」
私には、解析は始原と戦うためにも使える力に思える。
けれど、セレンにとってはそれだけではない。
ずっと知りたかった色へ、自分自身で近づくための力でもあるのだ。
「謁見は、そのあとどうなったんですか?」
「ああ。文香が私の具合が悪いって言って、話を切り上げてもらった。ルミナ王も引き止めなかったよ。それ以降、王城から呼ばれることもなかった」
「文香さんが調べていたことは?」
「そっちは終わってた」
「謁見の間、私の腕に気づくまでずっと色譜盤を見てたからね。アウレスタへ来てから集めた実験結果と、ルミナ王を前にしたときの反応。それを合わせて、一つの結論を出した」
セレンが私を見る。
「黄には、緑が通る」
「緑……」
王立図書館で見つけた文香さんのメモを思い出す。
赤には青が通る。
青には橙が通る。
私たちは、その一つを頼りにザロスへ挑んだ。
「文香さんは、ルミナ王を始原だと考えていたんですね」
「ああ。私も、あの黄色は普通の人間が持ってるものとは違うと思う」
ロアが腕を組んだ。
「俺には、その緑っていう色が分からない」
「私も文香に教わったんだよ。それまでは色の名前なんて知らなかったからね」
「どんな色なんだ?」
「実際に見たことはないから、私もうまく説明できないよ。文香は次に、その緑を調べるつもりだったみたいだ」
セレンは左手の指をゆっくり曲げる。
「でも、その前に私の腕がこうなった。それで調査はいったん止まった」
王城を出たあと、文香さんはセレンの石化の原因を調べ始めたという。
「謁見のときに私の近くに誰がいたか、一人ずつ確認してた。それで、王のそばにいた使いの男のことを私にも聞いてきたんだが」
セレンはそこで少し間を置いた。
「でも、私は誰のことか分からなかった」
「覚えていなかったんですか?」
「ああ。文香から名前を聞いても覚えていなかったし、顔も思い出せない」
王家から使いがこの家へ来て、文香さんと謁見の日取りを決めた。
その場にはセレンもいたし、その出来事そのものは覚えている。
「誰かがここへ来たことは覚えてるんだよ。でも、それがどんな人だったのかだけが思い出せない」
「その人は謁見の場にもいたんですよね」
「文香によればね。私たちを迎えに来て、その後は王様のそばに立ってたらしい。でも私は覚えてない」
「ほかには?」
「王城へ行ったことも、ルミナ王と話したことも、自分が解析を始めたことも覚えている。だが、その人のことだけ、きれいに記憶から抜け落ちてる」
ただ昔のことを忘れただけとは考えにくい。
文香さんも、そう思ったのだろう。
「それで文香さんは、その人を調べ始めたんですね」
「ああ。私の腕が石に変わったことと、同じ謁見の場にいて、私だけがその人物を思い出せない。文香は何か関係があるんじゃないかと言って、もう一度王城へ行った」
「会えたんですか?」
「会えなかった」
「留守だった?」
セレンは首を振る。
「文香がその人の名前を伝えても、王城にはそんな人物はいないって言われたんだ」
私はセレンを見る。
「でも、その人がここへ来たこと自体は覚えているんですよね」
「ああ。誰かがここへ来て、文香と謁見の話を決めた。それは覚えてる」
「文香さんは?」
「名前も顔も覚えてた。謁見のときに王のそばにいたことも全部ね」
文香さんの記憶には残っている。
セレンだけ、その男の記憶が消えている。
しかも王城では、最初からそんな人物はいないと言われた。
セレンは石のように変わった左手へ目を落とした。
「それから文香は、私の腕のことだけじゃなく、その男のことも調べ始めたんだ」




