第2話 文香の目的
セレンは向かいの椅子に座ると、私とロアを交互に見た。
「文香のこと、君はどこまで知ってるの?」
「元の世界では、私が一方的に知っていただけです。直接会ったことはありません。画家として有名な人で、私が絵を描くようになったきっかけをくれました」
「画家だったのか」
セレンは意外そうな顔をした。
「聞いてなかったんですか?」
「向こうで何をしていたかは聞いてない。興味なかったしね」
「言語学の研究もしていました」
「それも初耳だ」
文香さんは元の世界でのことを何でも話していたわけではないらしい。
「あの、セレンさんは――」
「セレンでいいよ」
「あ……はい。じゃあ、セレン。文香さんとはアルディナの病院で会ったと聞きました」
「そう。私があそこで医者をしていた頃、文香が風邪をひいて診察に来たんだよ」
そこまでは、病院で聞いた話と同じだ。
「最初に診察室へ入ってきたときは驚いたよ。肌が私たちとはまるで違ったからね。髪も、目も」
セレンの視線が私へ向く。
「君を玄関で見たとき、すぐ文香を思い出したよ」
会ってすぐに文香さんの名前を出した理由が、ようやく分かった。
「治療が終わってから聞いたんだ。肌も髪も、生まれつきなのかって。文香は『生まれたときからこんな感じだよ』って答えた」
セレンは少し間を置いた。
「帰る前に、もう少し話を聞かせてほしいって頼んだ。あんな素敵な肌や髪をした人間を見たのは初めてだったからね」
文香さんは、その頼みを断らなかったらしい。
「それから何度か会ったよ。最初のうちは、文香の肌や髪のことを聞いたり、触らせてもらったりしてた。文香にとっては生まれたときからあるものだから、聞かれても答えようがないことも多かったけどね」
セレンの口元に笑みが浮かぶ。
「そのうち、文香がこの世界の人間じゃないことも、ここで何をしているのかも話してくれた」
私は口を挟まず、続きを待った。
「文香は、この世界がどうして今みたいに灰色になったのかを調べていたんだ」
王立図書館で見つけたメモの文面を思い出す。
始原は色を奪う。
世界の灰色化は、始原による色の喪失が原因と推測。
「灰色って意味、分かるんですか?」
「ああ。文香から教えてもらった。私たちが薄いとか濃いとか言ってるものを、文香は灰色って呼んでた」
セレンは続けた。
「文香は、昔から今みたいな世界だったとは考えてなかったよ。何かによって色が失われ、その結果、今の状態になったんじゃないかって」
セレンが少し身を乗り出す。
「その原因として疑っていたのが、始原だ」
「始原……」
思わず声が出た。
セレンが私を見る。
「知ってるのか?」
「はい。アズレア大陸でも、ルヴェリア大陸でも遭遇しました」
「二回も?」
「はい。ルヴェリア大陸にいた赤の始原は、何とか倒しました」
セレンの表情が変わった。
「倒したの?」
「はい。向こうで見つけた文香さんのメモがなかったら、無理だったと思いますけど」
「文香のメモって?」
「始原は色を奪う存在だということ。世界の灰色化は、始原による色の喪失が原因だという推測。それから、色には相関か順序があるかもしれないと書いてありました」
「他には?」
「赤には青が通る。青には橙が通る、と」
「赤には青が通る……」
セレンはその言葉を確かめるように繰り返した。
「どうやって倒したんだい?文香も倒すことはできなかったみたいだけど」
「話せば長くなりますけど」
私は、ロアとの出会いから、ロアの能力、そして私がガラスペンを使ってその色を引き出せることまでを説明した。
セレンの視線がロアへ移る。
「今の話だと、君は奪った色を体の中に蓄えている?」
「そうだ」
続いて、私の右手へ目を向ける。
「それを、君がガラスペンで引き出して使う」
「はい」
「なるほど。すばらしいな君たちは」
セレンはそれ以上、ロアの能力について尋ねなかった。
「文香は、始原が色を奪っているという考えを確かめながら、色同士の関係も調べてた。どの始原がどんな色を持っているのか、別の色との相性とか。この世界に残っている記録を集めて、一つずつ整理してたよ」
王立図書館で見つけたメモも、その調査の途中で書かれたものなのだろう。
「私は、その話を聞くのが好きだった」
「始原の話ですか?」
「いや」
セレンはすぐに否定した。
「私が興味を持っていたのは、ずっと彼女の肌の色だよ」
その目が私へ向く。
「最初に文香を見たときからそれは変わってない。どうして文香にはあんなきれいな肌や髪があって、私たちにはないのか。それが知りたかった」
私は自分の手に目を落とした。
この世界へ来るまで、自分の肌の色を特別なものだと思ったことはなかった。
「もし文香の考えが正しくて、この世界から色が失われたのなら、私たちも最初から今の姿だったわけじゃないのかもしれない」
セレンはそこで言葉を切った。
「あ、私たち自身じゃないよ。ずっと昔の、ご先祖様の話。私は生まれたときからこの色だから」
そう言って、少し笑う。
「もしかしたら、文香が色のことを解明すれば、私も文香みたいになれるんじゃないかって思ったの」
そこで初めて、セレンが文香さんについていった理由がわかった。
始原そのものを調べたかったからではない。
文香さんが持っていた、自分たちとは違う色。
文香さんの調査の先に、自分も同じような色を持てる可能性を見ていたのだ。
「文香がルヴェリアを離れると言ったのは、それからしばらくしてからだった」
セレンは話を続けた。
「次はアウレスタ大陸へ行くって」
「それで、セレンも?」
「ああ」
セレンは頷いた。
「病院は辞めたよ」
私はセレンの顔を見る。
「医者の仕事が嫌だったわけじゃない。むしろずっと続けるつもりだった」
セレンはそこで少し間を空けた。
「でも、文香とここで別れたら、私はそこで終わると思った。文香がこの先何を見つけたとしても、私はこのままだって」
セレンの視線が、自分の左手へ落ちる。
「だから、一緒に行くことにしたの」
文香さんに憧れていたのは、私だけではなかった。
私が追いかけていたのは、元の世界で見ていた文香さんだった。
セレンが追いかけたのは、この世界で初めて目にした、文香さんの色だった。
「二人でアルディナを出て、港から船に乗った。海を渡って、このアウレスタ大陸へ来た」
文香さんの足取りが、また一つ先までつながった。
ルヴェリアの次は、ここアウレスタ。
「ただ、文香の調査方法は、文献を調べるだけじゃなかったんだ」
セレンが続ける。
「ルヴェリアでは王立図書館や、村や町を回って、そこに残っている記録を探してた」
私は黙って先を待つ。
「でも、本当の調査は、実際に始原に会って直接調べることだったんだ」




