第11話 文香の足取り
エルガ王城を出た私たちは、そのままアルディナへ向かった。
普通に歩く程度なら、左肩の痛みには耐えられる。
ただ、腕を大きく動かすと傷に響いた。城で滲んだ血はすでに止まっていたが、開いた傷を放置するのはよくないとロアに言われ、ドレナへは戻らず、アルディナの病院へ行くことになった。
アルディナの西門をくぐるころには、夕方が近かった。
以前アルディナを訪れたときは王立図書館へ向かったが、今日は通りで病院の場所を尋ね、町の中心へ進む。教えられた病院は大きく、なかでは何人もの人が長椅子に座り、診察を待っていた。
受付で肩の怪我を伝えると、しばらくして奥の診察室へ通された。
診察を担当したのは、白髪交じりの年配の女医だった。
「左肩ね。見せて」
「はい」
リゼルにもらった服を脱ぎ、ドレナの町で巻いてもらった布を外す。
私の身体を目にした女医の表情が変わった。
その視線は傷口だけでなく、肩から腕、上半身へ移り、顔や髪にまで及んだあと、再び左肩へ戻ってきた。何か言いたそうにしていたものの、まずは傷を診てくれた。
「いつ怪我をしたの?」
「昨日です。ドレナで看護師さんに手当てしてもらいました」
「縫わなかったの?」
「お医者さんがいなかったので、洗って消毒だけしてもらって、布を巻いてもらいました」
「そう。ちょっと腕を動かすわよ」
「はい」
女医が私の左腕を持ち、わずかに動かす。傷が引っ張られ、思わず顔をしかめた。
「痛い?」
「はい」
「傷口が開いてるわ。今日、また血が出たでしょう」
「少しだけ」
「肩はどうしても動くからね。このままでは、また開くわ。縫った方がいいわね」
「お願いします」
呼ばれた看護師が傷口を洗ってくれた。水が触れるだけでも痛み、消毒されるとさらに強くしみた。
「痛っ……」
「もう少しだからね」
「はい」
処置を終えると、女医が針と糸を用意した。
「動かないでね」
「はい」
針が皮膚を通った瞬間、思わず右手で椅子の端を握った。
「っ……」
「もう少し。我慢して」
痛みに耐えているうちに、開いていた傷口が縫い合わされた。最後に新しい布を当て、ずれないよう固定してもらう。
「これでいいわ。しばらく左腕を大きく動かさないで。傷が閉じる前に無理をすると、また開くからね」
「分かりました」
道具を片づけた女医が、改めて私を見た。
「それで、聞いていい?」
「はい」
「あなたの肌は、生まれつきその色なの?」
「はい」
「髪も?」
「これもです」
「そう……」
やはり、最初から気になっていたらしい。
女医は私の右肩と腕を見てから、縫ったばかりの左肩へ目を向けた。
「でも、傷の周りだけは私たちとあまり変わらないわね」
「そこも昨日までは、こっちと同じだったんです」
右肩を示すと、女医は左右を見比べた。
「怪我をする前ということ?」
「はい。傷ができたときに、その周りも一緒にこんなふうになりました」
女医は縫った傷と、その周囲に広がる灰色の肌をしばらく見つめた。
「何をするとこうなるの?」
「えっと……ちょっと……」
どう説明すればいいのか分からず、言葉に詰まる。
女医は私の顔を見たものの、それ以上は追及しなかった。
「まあ、言いにくいならいいわ」
「すみません」
「謝らなくていいの。少し傷の周りを確認させて」
傷から離れた場所に指が触れた。
「触られているのは分かる?」
「はい」
「ここは?」
「分かります」
「痛くはない?」
「傷のところは痛いですけど、その周りは普通です」
「そう」
何か所か調べたあと、女医は手を離した。
「傷は縫ったから、あとは普通に治っていくと思う。でも、肌の変化については私にも分からないわ」
「元に戻りますか?」
「何とも言えないわね。こういう症状を診たことがないもの」
「……そうですよね」
「もう服を着ていいわ」
「はい」
リゼルにもらった服を着るあいだ、女医は黙っていた。最初に私を見たときから何かが気にかかっているらしく、話すべきか迷っているようだった。
服を着終えると、女医が口を開いた。
「一つ、話しておこうかな」
「何ですか?」
「別の患者のことだから、言っていいものか迷ってたんだけどね」
女医は少し間を置いた。
「あなたを見たとき、昔ここで診た人を思い出したの。あなたと同じように、ここらではまず見ない色をした女の人だったわ」
「その人の名前、覚えてますか?」
「ずいぶん前だからね……」
「モンジ・フミカと名乗りませんでしたか?」
女医の表情が変わった。
「モンジ・フミカ……」
記憶をたどるように繰り返し、やがてうなずいた。
「そう。モンジ・フミカ。そんな名前だったわ」
鼓動が速くなる。
ここらでは見ない色を持ち、名前まで同じなら間違いない。
文香さんだ。
「その人を、ここで診たんですよね?」
「ええ。私が診たわ」
「彼女に何があったんですか?」
「風邪よ」
「……風邪?」
思いがけない答えに、聞き返してしまった。
「熱が出てたし、咳もしてた。薬を出して何日か休ませたら治ったわ。見た目があなたのように珍しかったから覚えているけど、病気そのものは大したものじゃなかったの」
王立図書館で始原について調べ、北境の砦に自分の世界の文字を残した文香さんが、この町では風邪をひいて病院を訪れていた。
旅をしていれば、風邪くらいひく。それでも、これまで追ってきた文香さんのイメージとはあまりに違ったので、少し意外に感じた。
「そのあと、文香さんがどこへ行ったか知りませんか?」
「詳しくは知らないわ。でも、ここを出るときは一人じゃなかったの」
「一人じゃなかった?」
「ええ。当時、この病院にセレンという医者がいてね」
初めて聞く名前だ。
「文香さんの知り合いですか?」
「ここで会ったのが最初だったはずよ。セレンはフミカさんの肌や髪にずいぶん興味を持ってね。どうしてそんな色をしているのか、どうすればそんなふうになれるのか、とかいろいろ聞いてたわ。診察が終わってからも、二人でよく話してた。それで、フミカさんが何のために旅をしているのかを聞いたみたい」
「旅の目的を?」
「そう。それを聞いたあと、セレンも一緒に行くと決めたの。病院を辞めて、フミカさんとこの町を出ていったわ」
これまで見つけたのは、文香さんが残した文字や、彼女を見た人の話ばかりだった。
だが、セレンという人は違う。
文香さんから旅の目的を直接聞き、その旅に加わったのだ。
「今、どこにいるか分かりますか?」
「セレンならアウレスタにいるわ」
「アウレスタ?」
「海の向こうの大陸よ。今でも、たまに手紙を送ってきてくれるの」
「詳しい場所も分かりますか?」
「ええ。手紙に住所が書いてあるわ。ちょっと待ってて」
女医は診察室を出ると、しばらくして一通の手紙を手に戻ってきた。
「ここよ」
差出人の住所を示してくれたが、書かれている文字は読めなかった。
「紙を一枚もらってもいいですか?」
「ええ」
女医から紙を受け取り、地名や通りの名前を一つずつ教えてもらう。聞いた音を、自分の世界の文字で書き留めた。
「これで分かります。ありがとうございます」
「どういたしまして」
紙を折り、鞄へしまった。
アウレスタには、文香さんとセレンという人がいる。
診察室を出ると、廊下の長椅子に座っていたロアとリゼルが立ち上がった。
「どうだった?」
リゼルが尋ねる。
「傷は縫ってもらいました。しばらく左腕は動かさないようにって」
「灰色になったところは?」
「それは分からないそうです」
「そっか……」
リゼルの表情が曇る。
「でも、別のことが分かりました。あのお医者さん、文香さんを知ってたんです」
「文香を?」
ロアが聞き返した。
「はい。昔、この病院で診察したことがあるそうです」
「何があったの?」
「風邪です」
「風邪?」
リゼルが目を丸くする。
「私も聞き返しました」
そう答えると、リゼルは少し笑った。
「それで、そのころこの病院にセレンというお医者さんがいたそうです。文香さんに興味を持って、旅の目的を聞いたあと、文香さんと一緒にこの町を出たそうです」
ロアが私を見る。
「今はどこにいるか聞いたか?」
「はい、アウレスタ大陸です。住所も教えてもらいました」
鞄にしまった紙へ手を添えた。
「そこへ行きたいです」
ロアは少し考え、うなずいた。
「なら、次はアウレスタだ」
「はい」
答えてから、リゼルを見る。
リゼルは黙ったまま、私とロアへ交互に目を向けていた。
海を渡るなら、ここまで一緒に歩いてきたリゼルがどうするのかも決めなければならない。だが、それを今ここで聞くのは違う気がした。
縫ったばかりの肩を休ませるため、私たちは病院を出て宿へ向かった。
夕方のアルディナには、王立図書館を訪れたときと変わらず、多くの人が行き交っている。その中を歩きながら、鞄にしまった一枚の紙を思う。
今まで追ってきたのは、文香さんが通り過ぎたあとに残された痕跡だった。
でも、今度は違う。
文香さんが、ようやく見つかった。




