第10話 エルガ王城
三人でローデン丘を離れ、城へ続く道を進んだ。
背後の大木が見えなくなるころには、道の周辺に赤が目立つようになってきた。
石の継ぎ目、枯れた草、崩れ落ちた壁の跡。
丘に残っていたものと同じ赤だ。
ザロスの姿は見当たらなかった。
しばらく進むと、前方に高い城壁が見えてきた。
エルガ王城。
間近で見上げるその城壁は、遠目から眺めていたときとは比較にならないほど大きく感じる。そして城壁から塔の上まで赤に染まっている。
正門は開いたままだった。
門の前まで来たところで、リゼルが足を止めた。
「この城は、昔からずっと禁足地だったの」
門の奥にそびえる城を見上げたまま、リゼルは呟く。
「ザロスが、ふもとの町まで下りてくるようになる前からですか?」
「うん。何があっても、絶対に近づいてはいけない場所だった」
私は開け放たれた門の先へ、視線を走らせた。
入り口の向こうには、平坦な石畳が続いている。
「リゼルさん。フィンさんが向かったのは、本当にこの城なんですね」
「……そう聞いている。ただ、城の中まで入ったかどうかまでは分からない」
フィンはこの城を目指して旅立ち、それきり戻らなかった。
そしてフィンを捜しに行ったグレンも帰らなかった。
だからリゼルは、ずっとこの場所を調べたかった。
ロアが不意に、門の手前でしゃがみ込んだ。
赤の残る石畳へ手を伸ばし、しばらく様子を見る。
赤を触っても体に異常が起きないことを確かめているようだ。
「……どう、ですか?」
「昨日までとは違うな」
ロアがゆっくりと立ち上がる。
「赤は残っているが、広がってくるわけじゃないし、ザロスの影響はなさそうだ」
丘でも、ザロスが倒れたあとも赤は消えず残っていた。
城も同じだけなのかもしれない。
「……中へ入れるかしら」
リゼルが、確認するようにロアの横顔を覗き込む。
「俺が先に入る。少し待っててくれ」
「はい」
ロアが門をくぐった。
広い敷地の中へ数歩進み、足を止めて、周囲を見る。
それから、こちらに向き直って手を上げた。
「来ていいぞ」
リゼルが一歩を踏み出し、私もその後に続く。
門を越えても、体に変化はない。
城内へ続く石畳は、所々ひび割れていた。
外壁こそ形を保っていたが、内部の被害はずっと大きい。
扉だけが、消え失せた建物。
支えを失い、中ほどから崩れ落ちている柱。
輪郭だけを残して崩れかけた石像。
正面には大きな建物がそびえていた。
中央に据えられた大きな両開きの扉は、片方が倒れ、もう片方も斜めに傾いていた。
「まず、あそこから調べるか」
ロアが入り口を示した。
リゼルがうなずいた。
「そうね」
私たちは建物の中へ入った。
そこは、圧倒されるような広い空間だった。
天井は高く、太い円柱が奥へと整然と列をなしている。
だが、床の上は瓦礫や、壊れた家具、崩れた石片が散らばっていた。
リゼルは、入り口近くから順に、二人の痕跡がないか見ていった。
床。
壁際。
倒れた家具の下。
「……リゼルさん。フィンさんやグレンさんの持ち物が、どんなものか分かりますか?」
「見れば分かると思う。グレンのも」
それだけ答えて、また床へ目を戻す。
私もその隣で、足元に目を凝らした。
何かの金属。
割れた器。
文字の刻まれた石片。
けれど、どれも二人につながるものは見つからない。
ロアが奥の通路を確認して戻ってきた。
「右側は壁が崩れていて塞がっているが、左側なら通れそうだ」
「左から行こう」
リゼルがすぐさま歩き出そうとする。
ロアがその小柄な身体を遮るように、一歩前へ出た。
「俺が前を歩く」
「……ええ。お願い」
私たちはロアに続いて、薄暗い左の通路へ進んだ。
いくつかの部屋が残っていた。
最初に入った部屋には、背の高い木製の棚が壁際に並んでいる。
紙の書類はほとんど残っていなかったが、代わりに紐で束ねた薄い木板が、棚の隙間や床の上に乱雑に転がっていた。
リゼルがそのうちの一つを拾い上げ、指先で表面の埃を払った。
「……この城の記録みたいね」
何枚かの木板をめくり、リゼルは静かに首を振った。
「ザロスに関する記述はありますか?」
「いいえ。どれも、王家が滅びる前の記録ばかりよ」
けれど、今ここで一枚ずつ調べている時間はない。
リゼルは手にしていた一枚を元へ戻した。
「先に城の中を見てみよう」
「分かりました」
私たちはその部屋を後にした。
通路の突き当たりは、上階へと続く石造りの階段になっていた。
階段を上り始めたとき、左肩がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「……っ」
思わず手すりに手をかけ、足が止まる。
数段先を歩いていたロアが振り返った。
「どうした」
「いえ……少し、傷口が痛んだだけです」
「見せてみろ」
「本当に、大丈夫ですから」
「血が滲んでいる」
「え……?」
ロアの厳しい指摘に、私は自分の左肩を確認した。
リゼルからもらった灰色の服に、小さく濃い染みができていた。
昨夜は血が止まり、落ち着いたように見えていた傷だったが、動いたから塞ぎかけていた傷口が開いたのかもしれない。
リゼルも戻ってくる。
「ユイナ、休もうよ」
「でも」
「城はどこにも逃げやしないわ」
その言葉に促され、私は階段の端に腰を下ろした。
ロアが鞄の中から水筒を取り出して差し出してくる。
「無理はするな」
「……はい。すみません」
水を喉に流し込み、しばらく休む。
痛みが落ち着いてから、私はもう一度立ち上がった。
二階には、一階と同様にいくつもの部屋が並んでいた。
そのいくつかは、天井や外壁が崩れていて入ることすらできない。
かろうじて形を保っている部屋を、私たちは一部屋ずつ確認した。
けれど、どの部屋にも、人が出入りしたような痕跡はなかった。
リゼルは何度も足を止めた。
何かを拾っては確かめ、違うと分かると元へ戻す。
やがて、通路の奥で立ち止まった。
その先は完全に崩れていて、通れそうにない。
「これ以上は進めないな」
リゼルは返事をしなかった。
崩れた先を見たまま動かない。
その背中に、かけるべき言葉が見つからない。
「……リゼルさん」
「……うん」
しばらくして、リゼルは諦めたようにゆっくりとこちらを振り返った。
「何も、見つからなかったわね」
私は、その寂しげな笑みに返す言葉がなかった。
ここで、彼らの痕跡はみつからなかった。
けれど、それが「二人がこの城に来なかった」という証明になるわけではない。
仮にここへ足を踏み入れていたとしても、その痕跡までザロスに奪われた可能性もある。あるいは、別の場所に行ったのかもしれない。
結局のところ分かったのは、この王城をどれだけ捜索しても、求める答えは残されていないということだけだ。
「もう少し調べるか?」
ロアの問いかけに、リゼルは積み重なった瓦礫の山と、今しがた歩いてきた薄暗い通路を見比べた。
「……いいえ、やめておくわ」
小さく首を横に振る。
「立ち入ることができる場所は、もうすべて確認したから」
私たちは一度、一階の広間へと引き返した。
それから、中庭を挟んで隣接するいくつかの別棟も同じように捜索した。
しかし、結果はどこも同じだった。
陽が傾き始めたころ、私たちは正門まで戻ってきた。
リゼルが振り返る。
赤を纏った城が、夕方の灰色の空の下、無言でそびえ立っている。
「ずっと、ここに来れば何か分かると思ってた」
リゼルの声は、驚くほど静かだった。
「二人がどこへ消えたのか。何が起きたのか、ここなら分かるはずだって」
しばらくの間、リゼルはその赤い城をじっと見つめ続けた。
「でも、何も分からなかった」
「……はい」
「だから――まだ、探す」
リゼルがこちらを向いた。
「これで終わりにはできない」
迷いのない顔だった。
「はい」
それ以上、何かを言う必要はなかった。
ロアが私の左肩を見る。
「……次は、アルディナへ行くぞ」
「え?」
「その傷をちゃんと診てもらう」
リゼルもその言葉に深く頷いた。
「アルディナなら、この辺りで一番大きな病院があるよ。ドレナのように、医者が不在なんてこともないと思う」
私は、そっと無事な方の手で自分の左肩に触れた。
服の下は、昨日巻いてもらった包帯代わりの布がまだ巻いてある。
傷口はまだ塞がっていない。
何より、その周辺の皮膚は灰色にくすんだままだ。
「分かりました。お願いします」
私たちは、巨大な赤い城に背を向けた。
リゼルが長い間入りたかった場所には、弟たちの痕跡は残っていなかった。
私の肩も、ザロスに奪われた色が戻る気配はない。
次に向かうのはアルディナ。
私たちは、王城から続く道を、三人で歩き始めた。




