第9話 戻らない色
ドレナへ戻るころには、左肩から滲んだ血が袖まで広がっていた。
歩くたびに、傷口が痛む。
ロアが、何度かこちらを見てくる。
「大丈夫か」
「はい。肩を動かさなければ、なんとか」
右手には、ガラスペンを握ったままだ。
紐の切れた鞄は、ロアが持ってくれている。
門まで来ると、見張りの男が私たちに気づいた。
「戻ったか」
すぐに、私の肩へと視線が向けられる。
「怪我したのか」
「少しだけ・・・・」
ロアが門の中へ目を向けた。
「手当てできる人はいるか」
「医者は避難していていない。診療所に看護師が一人いるだけだ」
「分かった」
男はそこで、丘の方へと視線をやった。
「ザロスは?」
「倒した」
ロアが答えた。
男が目を見開く。
「……本当か?」
「ああ」
しばらくの間、言葉が返ってこなかった。
やがて男は、門の向こうへ目を向ける。
「町の連中にも知らせてくる」
私たちは、そのまま診療所へと向かった。
ザロスは倒した。
これで、ドレナの町やガルダ村を襲うものはいなくなった。
それでも、町の景色は昨日までと変わらない。
崩れた建物も、消えかかった道も、そのままだ。
避難した人たちも、戻ってきてはいない。
ザロスを倒したからといって、都合よくそれまでに失われたものまで元通りになるわけではない。
「ユイナ!」
前方から、リゼルが走ってきた。
私を見るなり、その表情が変わる。
「どうしたの!?」
「少し、やられました」
「少しって……」
リゼルは、裂けた服と血のついた肩を見つめた。
「診療所に?」
「はい」
「早く行こう」
それ以上は何も聞かず、私の隣を歩いてくれる。
診療所には、年配の看護師が一人いた。
「そこに座って。肩を見せられる?」
「はい」
椅子に座り、裂けた服を脱ぐ。
左肩から左胸、左腕にかけて、服が大きく裂けていた。
看護師が傷口へと手を伸ばしかける。
そこで一度、動きが止まった。
私の肩から腕へと、視線が移る。
怪訝そうな表情を見て、理由はすぐに分かった。
この人にとっては、私の肌そのものが珍しいのだ。
それでも看護師は何も言わず、水と清潔そうな布を用意した。
「医者はいないから、傷を洗ってから消毒して、血を止めるくらいしかできないよ」
「お願いします」
傷の周りについた血を拭われる。
水が触れるだけでも、傷口が痛い。
消毒液が傷に染みる。
「痛っ……」
「もう少しだけ我慢してね」
「はい」
血が拭い取られていく。
看護師の手が、もう一度止まった。
今度は、きれいになった傷の周りを見ている。
私もそこへ目を向けた。
ザロスの指がかすめたあたりだけ、灰色になっている。
傷についた血を拭い去っても、それは変わらない。
看護師は、困ったように眉を寄せた。
「……これは、私には分からないわね」
「大丈夫です。傷の手当てだけ、お願いします」
「ええ。ちゃんと医者に診てもらってね」
新しい布を傷へ当て、ずれないように固定してもらう。
「今日はなるべく肩を動かさないで。血がまた出たら、すぐに来てね」
「ありがとうございます」
診療所を出ると、リゼルが入口で待っていた。
「どう?」
「血は止まりました」
「よかった」
リゼルはほっとしたように息を吐いた。
三人で宿へと戻る。
部屋へ入って腰を下ろすと、ようやく肩の力を抜くことができた。
リゼルが向かいに座る。
私は自分から先に口を開いた。
「リゼルさん。ザロスは倒しました」
リゼルがこちらを見る。
「……本当に?」
「はい」
ロアも頷く。
「文香さんのメモにあった通り、青が通りました」
「ザロスはどうなったの?」
「青を一か所に集中して当てたら倒れて、そのあと体が崩れていきました。残った死骸は、人間と同じくらいの大きさでした」
リゼルはしばらくの間、黙り込んでいた。
やがて、顔を上げる。
「じゃあ、王城に行けるの?」
「ああ」
ロアが答えた。
「明日、丘を通って城へ行く」
「私も行く」
「そのつもりだ」
その返事に、迷いはなかった。
エルガ王城。
リゼルが弟たちの行方を追って、ずっと調べたかった場所だ。
「ユイナは?」
「もちろん行きます」
ロアが私の肩を見る。
「おまえは朝、傷の状態を見てからだ」
「……分かりました」
その夜、肩の痛みで何度も目が覚めた。
寝返りを打つたびに、傷口が引っ張られる。
朝になって、巻かれた布を少しずらして傷口を確認した。
血は止まっている。
傷口も、昨日より落ち着いているように見えた。
けれど、その周囲の色は変わっていない。
一晩経っても、元の肌の色には戻っていなかった。
扉が叩かれた。
「ユイナ、起きてる?」
「はい」
扉を開けると、リゼルが服を抱えて立っていた。
「これ、着られると思う」
「え?」
差し出されたのは、灰色の服だった。
昨日まで着ていたものより、少しゆったりとしている。
「昨日の服で、外にでるのは無理でしょ」
言われて、椅子に掛けてある服へと目を向ける。
左肩から左胸、左腕にかけて、大きく裂けたままだ。
替えの服なら鞄の中に、この世界に来た時に着ていた白いワンピースがある。
けれど、あれを着て町を歩けば、また目立ってしまう。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
リゼルから服を受け取った。
着替えてみると、左肩にも余裕があり、傷を強く押さえることもなかった。
ロアと合流し、三人でドレナの町を出る。
向かうのはエルガ王城だ。
その途中で、昨日ザロスと戦ったローデン丘を通る。
丘へ近づいても、大剣を担いだ巨大な姿は現れなかった。
中央の大木が見えてくる。
昨日の戦いの跡もそのまま残っていた。
割れた石畳。
地面に残った、赤い色。
落ちたままの大剣。
その横を通り過ぎようとして、足が止まった。
「……あれ?」
ロアが振り返る。
「どうした」
「ザロスの死体がありません」
昨日、確かにここに残っていたはずだった。
人間と同じくらいまで小さくなった死体。
それが見当たらない。
リゼルも周囲を見回した。
「ここで間違いない?」
「はい」
ロアが大剣を見る。
「大剣がここに落ちてるから間違いないな」
私は、大木の向こうや、崩れた石の陰へと目を向けた。
誰もいない。死体もない。
「誰かが持っていったんでしょうか」
「こんな場所まで来るやつがいるとは思えない」
ロアが答えた。
昨日は倒れたあと動かなかった。巨体も完全に崩れた。
だから、死んだと思った。
でも、死体がない。
「……生きてたんでしょうか」
「分からない」
ロアはそれ以上言わず、城へ続く道を見た。
リゼルも、同じ方向へ顔を向けた。
「死んでいなかったとしても、今ここはザロスの領域ではない事は確かだ。」
「そうですね。……まずは城へ行きましょう」
ここで探し続けても、手掛かりは見つかりそうにない。
私はもう一度だけ、死体がなくなった場所を見た。
死体は消えている。
けれど、左肩に残った傷は、いまだ消えていない。
三人は丘を離れ、エルガ城へ続く道を進んだ。




