第2話 ザロス
ザロスが大剣を支えに立ち上がった。
片膝をついていた体を起こし、人の三倍ほどある巨体が街道を塞ぐ。全身を覆う赤が、鎧の表面をゆっくりと流れている。肩や腕だけでなく、地面へ突き立てられた大剣まで赤に包まれていた。
ザロスは大剣を引き抜き、片手で肩に担いだ。伏せていた顔が、こちらを向く。
「戻るぞ」
ロアが来た道へ向き直り、私たちは走り出した。リゼルも黙って従う。弟たちが向かったかもしれない王城は目と鼻の先だったが、ザロスへ近づくのはやめた。
背後で重い足音が響く。
ザロスがこちらへ歩いてくる。
巨体が一歩進むたび、足元から赤が街道へ流れでた。覆われた敷石は色が薄まり、縁から崩れていく。砕けた欠片も地面には積もらず、次々と消えていった。
「あれがドレナに来たの?」
前を走るリゼルが尋ねた。
「分からない。今はとにかく逃げろ」
最後尾を走るロアが答えた。
北境の砦で会った青いものには、ガラスペンの攻撃が通じなかった。
ザロスに通用する保証もない。
文香さんの貼紙にも、戦い方は書かれていなかった。
あれは あかのしげん
なまえは ざろす
ちかよるな
今は、その警告に従うしかない。
ザロスの一歩は大きかった。私たちが何歩も走ったあと、背後で一度、足が地面を踏む。そのたびに街道が赤く染まり、薄くなって崩れていった。
丘の道が、岩壁に沿って右へ大きく曲がる。
リゼルと私は速度を落とさず角を曲がった。ザロスの姿が岩壁の向こうへ隠れる。
「止まるな。そのまま行け」
ロアが後ろから言った。
道はここから下り坂になる。ドレナへ続く街道は、丘を縫うように何度も折れ曲がっていた。
斜面を下り、次の曲がり角も抜ける。
やがて、ザロスの足音が聞こえなくなった。
ロアは走る速度を落とさない。
「石垣までこのまま止まるな」
道の先には、上ってくる途中で見た崩れた石垣がある。そこからなら、つづら折りになった上段の街道を確認できる。さらに丘を下り、石垣のそばでようやく足を止めた。丘の上までは、かなり離れている。
リゼルが石垣に手をつき、呼吸を整えた。
「もう追ってきてない?」
「確認する」
ロアが道の端から斜面を見上げる。岩の間から、上段の街道が一部だけ見えた。
そこにザロスが立っていた。
大剣を肩に担ぎ、こちらを向いている。ただ、それ以上は下りてこない。
しばらくすると、ザロスは向きを変えた。来た道を戻り、丘の上へ歩いていく。
その先には、赤に覆われたエルガ王城がある。
「ここから離れるぞ」
ロアが街道へ戻った。
リゼルはザロスが見えなくなるまで、上段の道を見ていた。
「弟たちも、あれを見たのかな」
グレンは、先に王城へ向かったフィンを追った。二人がこの丘まで来た可能性は高いが、その先は分からない。
「丘の向こうには行けなかったね」
リゼルが石垣から手を離す。
「あれがあそこにいる限り無理だ」
「分かってるよ。私まで消えてしまったら、二人を捜しに来た意味がないしね」
リゼルは丘に背を向けた。
「ドレナへ戻ろう。あれのことを、もっと知らないと駄目だ」
私たちは来た道を下った。
ドレナに着く頃には、日が大きく傾いていた。
昨日の男が門の近くで待っていた。私たち三人を見つけると、すぐに駆け寄ってくる。
「どうだった?」
「丘にいたよ。人の三倍くらいあって、大きな剣を肩に担いでた。あれが歩くと、周りが赤く染まっていった」
男は丘の方角へ目を向けた。
「城までは行けなかったんだな」
「行けるわけないよ。あれに見つかって、追っかけられたんだ」
「まあ、無事に戻ったなら、それでいい」
男は門を開け、私たちを町へ入れた。
見張り台の下にある小屋へ移り、水を受け取る。リゼルは椅子に座ってからも、何度か窓の外へ目をやった。
私は、ガルダ村で見つけた紙に書かれていた内容を男に伝えた。
「ガルダ村の紙には、あれが赤の始原で、ザロスという名前だと書かれていました」
「名前まで分かっているのか。だが、それだけでは何にもならないな」
「ザロスやエルガ王城について、何か記録は残っていませんか」
「この町にはない。ここにあるのはドレナの住民や土地の記録くらいだ。王家や城について調べるなら、アルディナへ行った方がいい」
「アルディナ?」
リゼルが顔を上げる。
「ここから東にある大きな街だ。昔の王立図書館が、そのまま残っている。王家が滅びる前の記録も、いくらか保管されているらしい」
文香さんがアルディナへ行ったかどうかは分からない。
アズレア大陸の北境の砦とガルダ村みたいに、アルディナに文香さんのメモがあるとは限らない。ただ、エルガ王城と、王家について調べられるなら、行く価値はある。
「ここから行けるの?」
「ああ。丘の南側を回り、東の街道へ入ればいい」
ロアが机の上の地図を見た。
「道を教えてくれ」
男がドレナからアルディナへの道順を示す。
リゼルも椅子を立ち、机に身を乗り出す。
「アルディナへ行ってみよう」
リゼルが地図を見ながら言う。
「ザロスのことも、王城のことも。何も分からないまま、もう一度あの丘へ行っても城へは辿り着けないと思う」
丘の先には進めず、グレンとフィンの手掛かりも見つからなかった。
分かっているのは、赤の始原の名と、近づいてはいけないということだけだ。
再び丘へ向かう前に、ザロスが何なのかを知る必要がある。
私たちは翌朝、アルディナへ向かうことにした。




