第6話 戻らない弟たち
「グレン、フィン……」
リゼルは二人の名を愛おしむように呟くと、壁に貼られた一枚の紙に視線を注いだ。
『グレン、フィンへ。私はネレイ港にいる。戻ったら港へ来て。読んだら、この紙を外して持ってきて』
最後まで読み終えると、そっと紙から手を離す。
「私が書いたんだ。前に村へ戻ったとき、ここに残しておいた」
「その二人は誰だ」
入口に立つロアが尋ねた。
「私の弟たちだよ。グレンがすぐ下で、フィンが末の弟。私たちは三人きょうだいなんだ」
リゼルは紙を外すことはせず、打ちつけられた留め具の感触を確かめるように指先で触れた。
「どちらかが戻って読んでいれば、この紙を持ってネレイ港へ来るはずなんだ。港に私がいなくても、誰かに見せれば居場所が分かるようにしてある」
だが、紙は残されたときのまま、壁に打ちつけられていた。
「まだここにあるということは、二人とも戻っていないんですね」
「読んでも外さなかった可能性はあるよ。でも、今のところ二人を見たって話も聞かないんだ」
リゼルは壁から離れると、倒れていた椅子を起こした。脚が一本、折れていたため、そのまま壁へ静かに立てかける。
「グレンは、近くのドレナの町で傭兵をしてた。昔から力だけはある子でね。それを買われて、声をかけられたんだよ」
「傭兵になってからも、村へは戻っていたんですか」
「仕事がないときはね。父さんと母さんも年を取って畑仕事が大変になってたから。口は悪いけど、家族のことは放っておけない子だったんだ」
懐かしむような、わずかな笑みがリゼルの唇に浮かんだ。
「フィンは?」
「グレンとは正反対だよ。喧嘩は弱いくせに、気になったことはとことん調べないと気が済まない。危ないと言っても、自分で確かめるまで納得しない子だった」
リゼルはぽつりと呟くと、部屋の奥にぽつんと並ぶ、かつて弟たちが使っていた寝台をじっと見つめた。
「先にいなくなったのはフィンなんだ。ある朝、起きたら家にいなくてね。村中を捜したよ。見かけた人はいたんだけど、どこへ向かったかまでは分からなかった」
「グレンは、フィンを捜しに行ったのか」
「うん。知らせを聞いて、ドレナから飛んで帰ってきた。村の周りを捜したあと、自分が必ず見つけると言って出ていって……それっきり、グレンも帰ってこない」
「どこへ向かったんですか」
「フィン一人で、遠くまで行けるとは思えないからね。グレンも、まずはドレナの周辺から捜すと言ってたよ」
――二人が姿を消して間もなく、ザロスがガルダ村を襲った。
村の人々とネレイ港へ逃げ延びたリゼルだったが、両親は避難が間に合わなかったのだという。
「父さんと母さんは……ここで死んだよ」
リゼルはそれだけ告げた。
「弟たちがいなくなったあとに村が襲われたから、戻ってきても私たちがどこにいるか分からない。だから少し前に村の人たちとここへ戻って、この紙を残しておいたんだ」
「そのときは、港から来られたんですね」
「あの頃は、まだ道も普通に通れたよ。村に残ってる物を取りに、何人かで足を運んだんだ」
私たちが通ってきた道には、途切れている場所があった。以前よりザロスの影響が広がっているのかもしれない。
「弟さんたちがいなくなったことと、ザロスは関係しているんでしょうか」
「分からないね。二人がどこへ行ったのかも、今までは何の手卦かりもなかった」
リゼルは、文香の手紙が残されていた倉庫の方へ目を向けた。
「でも、あのふみかって人は、ザロスの名前を知ってたんだよね」
「はい」
「何を調べて知ったのかは分からないけど、ザロスがどこから来たのかも知ってるかもしれない」
「文香さんの足取りを追えば、弟さんたちの手卦かりも見つかるかもしれないと考えているんですね」
「今までは、あの紙を誰が書いたのかさえ分からなかったんだ。今日、初めてそれがわかった。何も手掛かりがないよりは、ずっといいよ」
リゼルは傾いた戸をまたぎ、家の外へ出た。
ロアが村の奥を確認してから尋ねる。
「港へ戻るのか」
「ドレナへ行く」
リゼルの返事に迷いはなかった。
「この先へ進むつもりか」
「グレンが最後にいた町だよ。フィンのことを聞きに戻ったなら、何か手掛かりがあるかもしれない」
「そこへの道が残っている保証はない」
「ガルダ村までだって、こうして来られたじゃないか。ドレナなら、私も何度も行ったことがあるし」
ロアはすぐに返事をしなかった。
リゼルが私の方を見る。
「あんたたちは、アルディナへ行くんだろう?」
「王家と始原の情報を調べるなら、向かうことになると思います」
「アルディナはここから東だ。ドレナは北だから方向は違う」
リゼルは一度言葉を切った。
「遠回りになるのは分かってる。でも……その前にドレナへ付き合ってくれないか。弟たちの手卦かりを捜したいんだ」
ここまで案内してくれたのはリゼルだ。文香の署名を見つけられたのも、彼女が村に残された文字を覚えていてくれたからこそだった。
「分かりました。一緒に行きましょう」
私が答えると、ロアが不満そうに視線を向けてくる。
「勝手に決めるな」
「ロアは行きたくないんですか」
「……そうは言ってない」
「なら決まりだね」
リゼルが素早く話を終わらせた。
ロアはそれ以上反論せず、空を見上げた。
いつの間にか陽が傾き、あたりはすでに暗くなり始めている。
「今から出ても、途中で日が暮れる」
「今日はここに泊まろう。明るくなったらドレナの町へ向かう」
リゼルが再び家の中へと足を進める。
「ザロスが戻ってくるかもしれないな」
「分かってるよ。この家の裏から畑へ抜けられるから、何かあればすぐ逃げる」
ロアは家の奥と裏口を確かめたあと、入口へと戻ってきた。
「交代で見張ろう」
「私もやるよ」
「俺が最初だ。次はリゼル、最後にユイナ」
「分かりました」
リゼルと協力し、室内の破片を片付けた。古い寝台だが床で眠るよりはいい。
鞄に残っていた食べ物を三人で分ける。灯りはつけず、暗くなる前に食事を済ませた。幸いにも、その夜ザロスが姿を現すことはなかった。
翌朝、目を覚ますと、ロアが入口の外で静かに村の奥を見張っていた。
リゼルは壁の紙へ近づき、昨夜と同じ場所にしっかりと留まっていることを確認する。
「今度こそ、どちらかが外していってくれるといいんだけどね」
紙に新しい言葉は書き足さなかった。
私たちは荷物を背負い直し、家の外へ出た。倉庫の周囲にも、ザロスの姿は見えない。村の北へ続く道の前で、リゼルが進行方向を指し示した。
「次はドレナだ」
三人で、静まり返るガルダ村をあとにした。




