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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第5章 文香の痕跡
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第3話 ガルダ村への道

翌朝、空が白み始めたころ、私とロアはネレイ港の北門へ向かった。

門の前には、港へ入ろうとする荷車の列がすでにできている。荷台に積まれているのは売り物ではなく、布袋や木箱、使い古された寝具ばかりだ。徒歩で門をくぐる人々の中には、泥のついた農具を大事そうに抱える姿もあった。


反対に、港から内陸へと向かう者の姿はほとんど見当たらない。

リゼルは北門の脇に立っていた。昨日と同じ外套を羽織り、小ぶりな布袋を背負って、腰には革袋をぶら下げている。


「時間どおりだね。水と食べ物はちゃんと持った?」

「はい。二人で二日分あります」


私が答えると、リゼルはロアの方へ視線を移した。


「そっちは……聞くまでもなさそうだね」

「日が暮れる前には着くんだろ」

「道が無事ならね。もし途中で『あれ』を見かけたら、村へ行くのはやめる。昨日話した通り、すぐに引き返すよ。いい?」

「ああ」


リゼルは、私にも確認するように視線を向けた。


「『あれ』を見つけたら、向こうに気づかれる前にすぐ引き返します」

「よし、じゃあ行こうか」


北門を抜けると、まっすぐ街道が内陸に向かって伸びていた。左右には草地と畑が広がり、崩れかけた低い石垣がぽつぽつと残っている。振り返るたびに、ネレイ港を囲む石壁と船の帆柱が少しずつ小さくなっていった。

街道には何本もの車輪跡が刻まれている。けれど、そのどれもが港へと向かう向きで、内陸へ進む新しい(わだち)は見当たらない。


しばらく歩を進めると、前方に大きな岩が三つ並んでいる場所へ出た。道はそこで二手に分かれている。


「左がガルダ村。まっすぐ進むとアルディナへ続く道だよ」


リゼルは迷いなく左の道へ折れた。

分岐を過ぎると、街道の左右に畑が目立つようになった。道端には壊れた木箱や片方だけの靴が転がり、古い車輪跡を塗りつぶすように、無数の足跡が乱雑に重なっている。村から着の身着のままで逃げてきた人たちが残したものらしい。


少し先で、前を行くリゼルがふっと足を止めた。

街道が、そこで途切れていた。

足元の踏み固められた土も、二本の轍も、道端に沿っていた低い石垣も、そこから先には存在しない。目の前に広がっているのは、どこまでも平らな地表だけで、道と畑の境界さえ分からなくなっていた。


「……道がなくなってるね」


リゼルはその場にしゃがみ込み、

途切れた車輪跡を指で確かめた。ロアも隣に片膝をつく。


挿絵(By みてみん)


「前に村へ戻ったときは、まだ道はあった。こんな風にはなってなかったよ」


リゼルは立ち上がり、道のない平地を見渡した。本来ならまっすぐ街道が伸びていたはずなのに、先を見やっても道らしいものは見えない。目印になるような木や建物もなく、似たような地面が遠くまで続いている。


「ガルダ村はどっちの方角だ」


ロアが尋ねた。


「こっち」


リゼルは迷わず斜め左の方向を指さした。


「分かるのか?」

「何度も往復した道だからね。道そのものが消えても、方角まで変わるわけじゃないよ」


リゼルは振り返り、私たちを真剣な目で見つめた。


「ただ、私からはぐれたら、あなたたちは絶対に一人じゃ戻れなくなる。絶対に離れないでね」

「分かりました」


リゼルを先頭に、私たちは道なき土地へと足を踏み入れた。

足元には雑草がまばらに生え、乾いた細かな土が覗いている。かつて畑を区切っていたはずの溝も石垣も残っていない。


しばらく進んでから振り返ってみたが、街道が途切れていた場所はもう見えなくなっていた。周囲はどこを見渡しても同じ風景が広がっている。私とロアの二人だけだったら、港へ戻る正しい方角すら確信を持てなくなっていただろう。

リゼルは時折立ち止まり、後ろを振り返っては進む方向を少しずつ調整した。


「まだ先なのか?」

「もう少し。このまま進めば、ちゃんとガルダ村に出るはずだよ。村の方向さえ分かっていれば、道がなくても辿り着ける」


リゼルは再び静かに歩き出した。

やがて、何もなかった地表の向こうに、低い石の壁が見えてきた。その石壁向こうには、二本の浅い車輪跡がまっすぐに伸びている。

リゼルの歩調がわずかに速くなった。


「あった……ガルダ村へ続く道だよ」


石壁を過ぎると、踏み固められた街道が再び現れた。

振り返ってみても、私たちが渡ってきた場所に道はない。街道の一部分だけが、まるで丸ごと削り取られたように消えていたのだ。


「俺たちだけだったら、間違いなく迷子になってたな」


ロアが吐息混じりに言った。


「だから案内が必要だって言ったでしょ」


リゼルはそう返すと、ガルダ村へ続く街道を再び歩き始めた。

昼前、屋根の半分が落ちかけた小さな休憩小屋に行き当たった。三人で壁際に腰を下ろし、水筒の水と黒い塊を口にする。


「ガルダ村には、元々どれくらい人が住んでいたんですか?」

「百人は居なかったと思う。みんな畑仕事と家畜の世話で暮らしてた。町に売りに出せるような品は少なかったけど、自分たちが食べる分には困らない程度の普通の村だったよ」


リゼルは手に持った塊を小さく割った。


「いま港にいる人たちは、船に乗るまでの間、なんとか食いつながなければならない。だけど畑が残っていても戻れば『あれ』に襲われるから、残った作物を取りに戻る人も、もうほとんどいない」


リゼルは手に残った欠片を見つめた。


「私も一度だけ、逃げるときに置き忘れた物を取りに戻ったことがある。そのとき、共同倉庫で例の紙を見つけたんだ」

「村から逃げたときは……何があったんですか?」

「村の外の畑にいた人が『あれ』を見つけて、鐘を鳴らしたの。みんな着の身着のままで持てるものだけ持って、いま通ってきた道を港まで必死で走った」


リゼルは塊をさらに細かく砕いた。


「後から逃げてきた人ほど、何も持ってなかった。家の中に荷物を取りに戻った人もいたけど……その人たちの多くは、戻ってこなかった」


必死で門へ押し寄せた人々の姿が、ネレイ港での光景と重なった。私自身も、目を覚ましたあの森で(うろ)に襲われ逃げ出してきたのだ。


「鐘を鳴らしてくれた人がいなかったら、もっと多くの人が逃げ遅れていたはず。だから……村に着いても、勝手に家の中へ入ったりしないでね。残されている物は、いつか持ち主が取りに戻るかもしれないから」

「分かりました」

「村を襲ったやつは見たのか」


ロアが尋ねる。


「私は見てない。ただ、戻ったときには壊れた家が増えていたから……また現れたんだと思う」


リゼルは残りを口の中に放り込み、立ち上がった。


「ここからは、話し合いながら歩くのはやめよう。声がどこまで届いちゃうか分からないから」


午後になると、街道の両側に民家に近い畑が見え始めた。支柱だけが虚しく並ぶ畑や、倒れた柵の隙間から伸び放題の雑草が覆い繁っている。人の気配どころか、家畜の鳴き声ひとつ聞こえない。

リゼルは何度も足を止め、街道の道を確かめた。大きな足跡のようなものは見当たらない。ロアも警戒を怠らず周囲を見回している。


道端に、石を積み上げた囲いが見えた。片側だけが崩れ落ち、薄く砕けた石粉が地面に広がっている。リゼルは囲いの前でしゃがみ込んだ。


「ここにはね、旅人が自由に飲める水がめが置いてあったんだ」


崩れた石のすき間に、割れた水がめが残っている。周りの土は完全に乾ききっており、水がこぼれた痕跡すらなかった。


「逃げた日には、もう壊れていたのか?」

「覚えてない……ここまで逃げてきたときは、後ろを振り返る余裕なんてなかったから」


ロアが街道の先へ視線を注ぐ。


「足跡はないな。今、この近くにいるかどうかは判別がつかない」

「村を無事に出るまでは注意を怠らないようにしよう」


リゼルは立ち上がり、静かに歩みを進めた。


やがて街道の先に、荒れ果てた畑と倒壊しかけた家々の屋根が見えてきた。

リゼルが道端の草むらに身を隠すようにしゃがみ込み、私たちにも低くなるよう手でサインを送る。三人で息を潜め、草の隙間から畑の向こうを伺った。

屋根の落ちた家。壁の半分がなくなった家。道に倒れ伏した柵。動く者の影はない。


「……あれがガルダ村だよ」


リゼルは立ち上がらず、村を指さした。


「共同倉庫は、あの大きな屋根の建物」


建物は残っていた。けれど、その手前だけ――家一軒分ほどの範囲で街道の土が白っぽい灰色に変色し、中央が浅く窪んでいた。

リゼルはしばらく村の様子を伺ったあと、草むらからそっと街道へと這い出た。

私とロアも姿勢を低く保ったまま、その後に続いた。

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