第2話 ガルダ村の貼紙
「同じ字を、ガルダ村で見た」
女性はそう言うと、船着き場の出口へ目を向けた。
荷を積んだ車が行き来し、船を下りた人たちが役人の机を囲んでいる。
落ち着いて立ち話ができる場所ではない。
「ここじゃ邪魔になるね。少し移動しよう」
女性は倉庫が並ぶ方へ歩き出した。
私とロアも後を追う。
倉庫の裏には、木箱が雑然と積まれた狭い空き地があった。荷車の通る道から外れているため、船着き場よりは静かだ。女性は積み上げられた木箱の一つに腰を下ろした。
「私はリゼル。この先のガルダ村の生まれだ」
近くで見ても、やはり小さな子供にしか見えない。おさげにした髪も、小さな手足も、ミオリ村で見かけた子供たちと大差なかった。
けれど、汚れた外套の裾を払い、私たちと向き合う仕草にはどこか落ち着きがある。
「ロアだ」
「ユイナです」
「二人は、その字を書いた人を捜してるの?」
私は砦で見つけた紙を取り出し、リゼルへ渡した。
「探している人が書いたかどうかは分かりません。ただ、私の知っている文字なんです」
リゼルは紙を両手で受け取り、じっと見つめた。
「あの紙にも、こんな丸い字が並んでた。これと、この字もあったと思う」
指先が紙に書かれた文字をひとつずつなぞる。
形まで覚えているのなら、ただ似ているだけではなさそうだ。
「どこにあった」
ロアが尋ねた。
「村の北側にある共同倉庫だ。そこの壁に紙が打ちつけてあった」
「今もあるのか」
「最後に村へ行ったときにはあったよ。誰かに宛てて貼ったものなら、勝手にはがさない方がいいと思ってそのままにした」
私はリゼルから紙を受け取り、折り目に沿って丁寧に畳んだ。
「誰が貼ったかは見ていないんですね」
「見てない。ガルダ村が襲われて、みんなここへ逃げてきたんだ。そのあと村へ戻ったときに見つけた。逃げるときにはなかったと思う」
「……何に襲われたんですか」
リゼルは言葉を切り、少し声を落とした。
「人の形をした、大きなやつだよ」
「人?」
「人に見えた。でも、人間じゃない。家の壁を容赦なく壊して、逃げ遅れた人たちまで襲った。近づかれた人は体の色が薄くなって、端から崩れるように消えていった」
倉庫の隙間から、軒下に身を寄せ合う人々が見える。薄い毛布を敷いて横になる者や、配られた黒いパンの塊を子供に分け与える母親の姿があった。
「あそこにいるのは、ガルダ村の人だけじゃない。周りの村から逃げてきた人もいる。家を失って、船に乗れる日を待ってるんだ」
「そいつが、他の村にも現れたのか」
ロアが聞く。
「聞いた話だとね。ガルダ村を襲ったあとも、周辺をうろついているらしい。いつどこに出てくるか分からないから、村を捨てて逃げるしかなかったんだ」
「リゼルも船を待っているのか」
「私は待ってないよ。まだ大陸を出るつもりはない」
きっぱりと言い切ったあと、リゼルは私の手元にある紙に意識を戻した。
「その字、読めるんだよね」
「はい」
「ガルダ村の紙も読める?」
「同じ文字なら読めます」
リゼルは膝の上で両手を固く組んだ。しばらく黙り込んだまま動かない。
「……だったら、私も何が書いてあるのか知りたい」
「案内してもらえませんか。ガルダ村まで」
リゼルはすぐには答えなかった。私の服装や鞄を確認し、それからロアの腰にある剣を見やる。
「村までの道なら頭に入ってる。問題はそいつが今どこにいるかだ」
「村を襲ったやつに出くわさないようにしないとな」
ロアがつぶやいた。
「数日前に見かけた人がいる。ガルダ村へ向かう街道を横切って、西へ行ったらしい。昨日も、先へ進んだ荷車が命からがら戻ってきた」
「そいつが出たのか」
「道のど真ん中に立っていたそうだ。見つかる前に荷車を引き返させたけど、馬が一頭パニックを起こして逃げた。荷車の一部も色が薄くなってて、港に着く前にボロボロ崩れたそうだよ」
リゼルの語った現象は、北境の砦で見たこととよく似ていた。
ただ、アズレア大陸の砦で出会った『青いもの』とはまた別の存在のようだ。
「今も街道の近くに潜んでいる可能性があるんですね」
「だから、引き返すなら今のうちだよ」
リゼルが念を押し、ロアが私を見た。引き留めようとしているのではない。私がどう決断するかを待っているのだ。
「ガルダ村へ行きます」
私が即答すると、リゼルは少し意外そうに眉をひそめた。
「迷わないんだね」
「アズレア大陸の砦でこの紙を見つけてから、書いた人を追って海を渡ってきました。ガルダ村に同じ文字が残っているなら、確かめに行きたいです」
「村を襲ったやつに出くわすかもしれないよ」
「危険だと分かったら、村に着く前でも引き返します。手がかりのために、無茶をするつもりはありません」
リゼルは私をじっと見つめ、組んだ指に少し力を込めた。
「……分かった。案内する」
「いいんですか」
「私も紙の内容が知りたい。それに、しばらく村に戻ってなかったから、確かめたいこともあるんだ」
何を確かめるのかまでは言わなかった。
ロアが木箱の横に置かれたリゼルの荷物に視線を送った。
小さな布袋がひとつと、水筒代わりの革袋だけだ。
「案内料は払う」
「助かるよ。メシは自分でなんとかするから、着いてからでいい」
「先に半分渡す」
ロアは革袋から硬貨を出した。
リゼルは差し出された金を数え、二枚だけを受け取った。
「多いよ。村までは歩いて一日の距離だ」
「街道にあれがいるんだろ」
「危なくなったら迷わず引き返す。それでもいいなら受け取るよ」
ロアが静かにうなずいた。
二人のやり取りを見ているうちに、船を下りてから何も口にしていないことを思い出した。倉庫の角から、温かい湯気が立ち上っている。港の露店が木の椀に温かい汁を注ぎ、硬い黒パンと一緒に売っているようだ。
「何か食べながら話しませんか」
提案すると、リゼルも露店の方をちらりと見た。
「私はいいよ」
「私がお腹が空いているんです。二人だけで食べるのも気まずいですし」
「……分かったよ」
三人分を買い求め、木箱の周りに腰を下ろした。
スープには細かく刻んだ根菜が入っている。塩気は薄いが、船内で食べたカチカチの保存食に比べればずっと美味しかった。
リゼルはパンを汁に浸しながら、港を出たあとの道のりを説明してくれた。
「北門を出たら、内陸へ続く街道を進む。大きな岩が三つ並んでいる分岐に出たら、左だ。まっすぐだとこの大陸最大の都市アルディナに行ける」
「ガルダ村から逃げてきた人たちも、その道を通ったんですか」
「そうだね。でも今は崩落している場所もあるから、足元には気をつけた方がいい」
リゼルは椀の汁を飲み干した。
「明日の朝、北門で待ち合わせよう。暗いうちの出発はおすすめしない。崩れた足場を見落として落ちたら終わりだからね」
「分かりました」
「それと……ガルダ村で貼紙を読んだら、何が書いてあったか隠さず全部教えてほしい」
リゼルの声から、先ほどまでのくだけた調子が消えていた。
「書いた奴のことだけじゃない。どんな内容であってもだ」
私は砦の紙をしまった鞄をぎゅっと抱きしめた。
「約束します」
港では、大陸を離れる船に乗るため、人々が長い列を作っている。
明日、私たちはその人々が捨てて逃げてきた道を、内陸へと進む。




