第6話 砦で起きたこと
セイル市の作業門が見えてきた。
石壁の上に立つ見張りの姿や、開いた門から連なって出てくる荷車の車輪の音が聞こえる。人がいる。
砦を出てから何度か聞こえていたあの水音は、もうどこからも聞こえない。
門番が私たちに気づいた。
「砦へ行った二人か。たどりつけたのか」
「ああ」
「中はどうだった」
ロアは足を止めず、門の内側へ目を向ける。
「依頼主に先に話す」
門番はそれ以上追及せず、持っていた槍を引いて道を空けた。
荷置き場には、北へ運ばれるはずだった木箱や袋が積まれている。書状を預けた大柄な男は、荷車の前で運び手に指示を出していた。こちらの姿を認めると、男は途中で打ち切り、まっすぐに近づいてくる。
「無事戻ったか。返事は?」
私は鞄から書状を取り出した。
「渡せませんでした」
男は差し出された書状を受け取らず、私とロアの顔を交互に見る。
「どういうことだ」
「砦には誰もいなかった」
ロアが答えた。
「見張りも門番もいない。門は開いたままだった」
「どこかへ出ていたんじゃないのか」
「兵舎には外套や胸当てが残っていました。食べかけのパンや、使いかけの器も机に置かれたままでした」
私が事実だけを続けた。
「砦の奥で、兵士の遺体を一人見つけました」
男の表情が変わった。周囲にいる作業者たちを見てから、私たちを木箱の裏へ移動させる。
「最初から話してくれ。北の砦で何があった」
ロアが積まれた木箱に背を預ける。
「砦の手前で、何かに道を塞がれた」
「人じゃないのか」
「分からない。姿も立っている場所も、瞬きするたびに変わって見えた。近くにいるのかどうかさえわからなかった」
「そいつのまわりを、水のようなものが流れていました。水場がないのに、すぐ耳元で大量の水が流れる音がしていたんです」
男が眉を寄せる。
「どうやって砦まで行けたんだ」
「足元の道だけを見て進んだ。そのままそいつの横を抜けたら、砦が見えた」
ロアは自分が色を奪った事実も、私がガラスペンを使ったことは話さなかった。
男は腰に腕を当てたまま考え込む。
「倒れていた兵士は、何にやられたんだ」
「体が薄くなっていて、足の一部は崩れていました。身につけていた服も同じです。虚にやられたときのような状態でした。ただそれだけじゃなくて砦の食堂では、机や椅子まで、薄くなって消えていました」
「壊された跡は」
「ありません」
私は手元の書状を見た。
「兵士だけがいなくなったわけではないと思います。服や武器、周りにあった物ごと消えていたんだと思います」
男はここでようやく私から書状を受け取り、裏の封が破られていないことを確かめてから袋へねじ込んだ。
「北へ行った連中が戻らないのも、これが原因かもしれないな」
「断定はできないがな」
ロアが答える。
「だが、今のまま人を向かわせるのは危ない」
「ああ。砦が空なら、荷を送る理由もない」
男は木箱から身を乗り出し、向こう側にいる運び手を大声で呼んだ。
「北行きの荷はそのままにしておけ。門の連中にも伝えてこい」
運び手が一人、指示を受けて走り出す。男は腰から硬貨の鳴る小袋を取り出し、ロアへ渡した。
「約束していた残りだ。書状は渡せなかったが、砦まで行って状況を持ち帰った。それで十分だ」
ロアが受け取り、革紐を解いて中身を確かめてから上着の奥へしまう。
私は鞄の奥から砦で見つけた紙片を取り出し、男へ見せた。
「もう一つ。砦でこれを見つけました。この字を見たことはありませんか」
男は顔を寄せ、文字を目で追う。
「読めないな」
顔を離しかけたところで、男の動きが止まる。もう一度、目を細めて紙を見た。
「待て。これに似た字を、前に見たことがある」
「どこでですか」
思わず身を乗り出して、
「覚えていること何でもいいので、教えてください」
男は腕を組み、荷置き場に並ぶ木箱へ視線を向ける。
「だいぶ前だ。ここで南へ送る荷を仕分けていたとき、こんな丸い字を書いた紙が貼ってあるのを見たことがある。荷札じゃなかったから、そのままにしたが」
「荷の行き先は覚えていますか」
「ああ。ルセア港だ」
ルセア港。
初めて聞く地名だ。
「誰の荷だったかまでは」
「そこまでは覚えてない。ただ、変わった形の字だったから、見たことだけは覚えている」
私は紙片を二つに折り、鞄の底へ戻した。
だいぶ前の荷なら、書いた本人が今もその港にいるとは限らない。それでも、その人を知る者や、次の行き先を聞いた者がいるかもしれない。
「ルセア港は、ここから遠いですか」
「大陸の南端だ。灰野平原を越えた先にある。大きな港だから、荷ならここからも毎日のように出ているぞ」
私はロアを見る。
「ルセア港へ行きたいです」
「行くなら、ついでに港へ運ぶ仕事を受けるか」
そのまま男へ向き直った。
「ルセア港行きの荷はあるか」
男が太い指で、荷置き場の南側に積まれた木箱の山を指す。
「明日の朝に出す分がある。運ぶ気があるなら頼みたい」
砦で見つけた文字が、初めて聞く地名につながった。
次に向かう場所は、ルセア港だ。




