第3話 通じない色
私は袋の口を左手で押さえ、ガラスペンを抜いた。
三歩先にロアが立ち、その向こうに青い何かがいる。
道端の平たい岩を基準にすると、青い何かの位置はさっきより二歩ほど右へ移っていた。足を動かした様子はなく、土に足跡もない。
ロアの全身には、青い流れが幾重にも巡っている。肩から胸へ回る流れの外側にさらに青が重なり、黒い服がほとんど見えない。
「試してみろ」
私はロアの背中へ半歩近づき、ペン先を青い何かへ向けた。
平原で虚を倒したときは、迫る腕を払おうとしただけだった。自分から色を使うのは、これが初めてだ。
ロアを覆う青を、ガラスペンへと引き寄せる。
彼の肩や背中を巡っていた流れの一部が、こちらへ向きを変える。何本もの青が、ペン先から透明なガラスの軸へ入っていく。ガラスの内側が青で満ちても、ロアを覆う青の量はほとんど変わらない。
青い何かが腕らしきものを上げた。その先端は何本もの流れに分かれ、上半身の周囲を巡る。私はその中心を狙い、ガラスペンを横へ振った。ペン先から放たれた青が大きな渦を作り、ロアの脇を抜けて、青い何かの上半身を取り囲んだ。渦が内側へと狭まり、青い何かの輪郭へ流れ込んでいく。
でも、青い何かは崩れなかった。
放たれた青は、散っていた輪郭をつなぎ合わせていく。曖昧だった姿が、長い髪を背に垂らした女の形へ近づいていった。
ロアが地面を蹴った。
二歩で間を詰め、青い何かの左肩へ右手を伸ばす。今度は、指先がすり抜けない。触れた場所から青が引き出され、ロアの腕へ移っていく。青い何かの左肩が崩れ、首から腕へかけて形が崩れていく。
効いている。
私は再び、ロアを覆う青をガラスペンへ引き寄せた。ガラスペンの軸が満ちるのを待たずに、青い何かの右肩から左の腰を狙って斜めにペンを振る。
二つ目の渦が上半身を包んだ。
青い流れが胸から左肩へ伝い、崩れた場所へ集まっていく。
そして、崩れかけた肩が元の形に戻っていく。
「やめろ」
ロアの声で、私はガラスペンを止めた。
さっきまで崩れかけていた腕が復元され、輪郭も一度目より濃くなっている。
「回復してる」
私の放った青は取り込まれ、青い何かの体の一部になっていくようだった。平原の虚は倒せた。けれど、この青い何かには力を与えてしまう。
「もう使うな」
ロアはそれだけ言って、私の前へ戻った。
青い何かが両腕を広げた。その左腕は途中から三本の流れに分かれ、道の両側へ伸びていく。足元まで青い領域が広がってくる。乾いた土が覆われ、車輪跡も見えなくなった。
「俺の後ろから離れるな」
ロアが青の領域へ踏み込む。
足元の周りにあった青が、地面からロアの脚へ、そして腰へと流れていった。ロアが通ったあとには乾いた土が現れ、途切れていた車輪跡もはっきり見えてくる。私はガラスペンを握ったまま、彼のすぐ後ろを追った。現れた乾いた土を踏みしめ、道の外へ出ないように進む。ロアは進むほど、彼の全身を巡る青はさらに厚みを増していく。
ようやく、青い何かの横を通り抜けた。
すぐそばで大量の水が流れているような音が響いている。私は振り向くことなく、ただロアの背中だけを見つめて走った。
「止まるな」
「うん」
道の先に大きな石壁が現れた。
左右へ続く壁の中央に四角い門が開いており、その上には見張り台がある。さっきまで見えなかった砦が、すぐ目の前にあった。
「砦だ」
「走れ」
門まであと十歩ほどのところで、ロアの足がもつれ、道の外へ踏み出しかけた。
私は彼の背中へ両手を当て、青の中へ倒れそうになった体を押し戻す。ロアは一度膝を深く曲げたが、なんとか持ちこたえた。
「行くぞ」
彼の全身を覆う青は、道を切り開く前よりも確実に増えている。
二人で門をくぐり、砦の内側まで走った。石壁に隠れる位置まで進み、門の外を見る。灰色の道だけが続いており、青い何かの姿はどこにもなかった。
水の流れる音は、まだ聞こえている。
私は手の中のガラスペンを見る。
透明なガラスの軸には、使い切れなかった青が残っている。
ロアから受け取った色で、あの平原の虚は倒せた。けれど、この青い何かに対しては、ロアが崩した部分を逆に元に戻してしまう結果になった。
あれには通じない。
私たちは、倒すことも、止めることもできなかった。




