第4話 海を越える記録
ルヴェリアへ戻ることが決まり、私たちはセレンの家で旅の準備について話し合った。カレンが机に地図を広げ、エルメア港とネレイ港を指さす。
「馬車と馬四頭を一緒に運ぶなら、大きな船が必要になるね。普通の客船には載せられないだろうし」
「そうですね。馬車を置いていくわけにもいきませんし」
「もちろんさ。この馬車は、あたしにとってエマの次に大事なものだからね」
カレンは少し笑い、地図の横に紙を置いた。
「明日、エルメア港と取引のある商人に話を聞いてくるよ。馬車を運べる船があるかどうか、先に調べておきたいからね」
「私も一緒に行きましょうか?」
「ユイナは休んでな。まだ怪我が治ってないだろう?」
「でも、私は大した傷じゃありませんよ」
「大したことがないかどうかは、治ってから言いな」
そう言われると、返す言葉がなかった。
腕の傷はもうほとんど痛まないけれど、まだ包帯を巻いている。ロアの傷はもっと深く、今も無理はできない状態だった。
「私も行こうか?」
セレンが申し出たが、カレンは首を横に振った。
「あんたは旅の準備をしておいておくれよ。しばらく戻らないんだろう?」
「そうだね。研究資料も整理しないといけないし」
セレンは部屋の奥にある本棚を見た。この家には、文香さんと一緒に調べていた頃の資料も残っているらしい。これまで何度もセレンが本や書類を取り出すところを見てきたけれど、どれほどの量があるのかは分からない。
「全部持っていくんですか?」
「さすがに無理だよ。色についての記録と、今取り組んでいる薬の研究資料を中心に選ぶつもり。必要な器具も持っていきたいしね」
研究を続けながら旅をするとなると、荷物も増えそうだ。
でも、セレンが一緒に来てくれるのは心強い。
私たちはこれまで、この家を拠点に何度も旅へ出ている。けれど、今回はいつ戻れるか分からない。
「……セレン、本当にいいんですか?せっかく家に帰ってきたばかりなのに」
「もちろん心配はあるよ。でも、文香を探すために君たちと旅を始めたんだからね。それに、今はグレンのことも気になるし」
「そうですね……」
「私も久しぶりにルヴェリアへ行きたいんだ。昔、住んでいた場所だから」
その言葉を聞いて、私はアルディナの病院を思い出した。
「アルディナの先生にも会えますね」
「うん。久しぶりに顔を見せたいな」
私も、ザロスとの戦いで負傷したときに治療してくれた女医へ、もう一度お礼を言いたかった。
「じゃあ、ネレイ港に着いたらアルディナへ寄って、それからドレナへ向かおうか」
「はい。お願いします」
行き先が決まったところで、カレンが口を開いた。
「そうそう、船の費用だけどね。馬車と馬四頭を運ぶとなれば、相当な金額になると思うよ」
「それは大丈夫。必要な費用は私が出すから、条件の合う船を探してほしいな」
「あんた、本当にお金の心配はいらないのかい?」
「うん。医者として働いていた頃に、かなり貯蓄したからね。今も薬の研究で収入を得ているし、旅の費用なら十分にあるよ」
「へえ、そうだったのかい。それなら遠慮なく、いい船を探すことにするよ」
私は二人の話を聞きながら、少し驚いていた。
セレンが医者として働いていたことは知っていたけれど、今も薬の研究で収入を得ているとは知らなかった。
これだけ大きな家を持ち、研究を続けながら、私たちの旅の費用まで負担してくれている。どうやら、私が思っていた以上にお金に余裕があるらしい。
でも、だからといって甘えてばかりいるわけにはいかない。
*
翌朝、カレンは船の情報を集めるために出かけた。
エマは居間で絵を描いていたので、私とロアはセレンを手伝い、奥の部屋で研究資料を整理することにした。
本棚から取り出した資料が机に並んでいる。セレンは一冊ずつ中身を確かめ、持っていくものと残すものを分けていた。
「ユイナ、その箱を取ってくれる?」
「はい」
私は机の脇にあった空箱を持ち上げた。
セレンから資料を受け取り、順番に詰めていく。私には読めない文字が多かったけれど、中には見覚えのある図も描かれていた。
「これ、色についての資料ですよね?」
「そうだよ。文香と一緒に調べたものもあるし、君たちとの旅で分かったことも記録してあるんだ」
セレンは本棚から厚い一冊を取り出し、私たちに見せてくれた。
「これは必ず持っていきたいんだ。色について分かったことは、全部ここに書き留めてあるからね」
「黄の使徒たちとの戦いで分かったこともですか?」
「うん。色の相関について分かった範囲や、私が解析した色の性質、それぞれの戦いで確かめられたこともね。まだ分からないことは多いけど、これまでの記録があれば、後から調べ直すこともできる」
セレンは何ページかめくり、以前の記録を確かめていた。
私はその本を見ながら、これまでの戦いを思い出した。
ザロスの赤、フォリアの緑、ルミナ王や使徒たちの黄。それぞれの色について調べ、戦いを重ねるうちに、その性質や有効な使い方が少しずつ分かってきた。
それが一冊の本に残されているのだ。
「大切な記録ですね」
「そうだね。これから先、また新しいことが分かるかもしれないし、そのときにも必要になると思うよ」
セレンは本を閉じ、鞄へしまった。
机のそばには薬の研究資料もまとめられ、セレンは必要な器具が壊れないように布で包んでいた。
私もその作業を手伝いながら、セレンが旅先でも研究を続けるつもりなのだと改めて感じた。
ロアは腕に負担をかけないよう、書類を揃えて箱に詰めていた。
「ロア、その箱はあとで私が運びますから、置いておいてくださいね」
「ああ。分かってるよ」
ロアは素直にうなずき、書類の整理を続けた。
まだ剣を振れる状態ではない。ルヴェリアに着くまでに、少しでも傷が治ってくれればいいのだけれど。
*
カレンが戻ってきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「ただいま。船のこと、少し分かったよ」
居間へ集まると、カレンは商人から聞いた話を教えてくれた。
「エルメア港には、大型の荷物や馬を運べる船を扱っている商人がいるそうだよ。紹介してもらったから、港へ着いたら訪ねてみるつもりさ」
「それなら、馬車も運べそうかな?」
セレンが尋ねると、カレンはうなずいた。
「ああ。ただ、馬車の大きさと重量、それに馬四頭を合わせて積める船じゃないと駄目だね。料金も船によって違うから、実際に交渉してみないと分からない」
「費用のことは心配しなくていいから、条件の合う船を探してほしいな」
「そこは任せておくれ。ただ、船は不定期に出るらしくてね。次の出航まで、港で待つことになるかもしれないよ」
「それは仕方ないですね」
カレンは以前、商隊を率いていたことがある。こうした交渉に慣れている彼女がいてくれて助かった。
話が終わると、カレンは買ってきた食料を出した。
「エマの好きなものも買ってきたよ」
「ほんと?」
エマが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「でも、旅の食料だから今は食べちゃ駄目だよ」
「分かってるよ!」
そう答えながらも、エマは袋の中を覗き込んでいる。
「エマ、船に乗るのが楽しみなんだよね」
「うん! 早く海が見たい!」
「きっとびっくりするよ。すごく広いから」
「そんなに大きいの?」
「うん。私も初めて見たときは驚いたから」
エマはますます楽しみになったらしく、カレンに海についてあれこれ尋ね始めた。
私は二人のやり取りを見ながら、以前の船旅を思い出した。
ロアと二人でアズレアからルヴェリアへ渡ったときは、これから何が起こるのか分からず、落ち着かなかった。
今度は五人で海を渡る。
きっと、前とは違う船旅になるだろう。
*
午後には研究資料の整理も終わり、持っていく荷物がまとまった。
出発まではまだ少し準備が必要だけれど、船を探す当てもできた。カレンは食料や馬たちに必要なものを確認し、セレンは研究資料をもう一度確かめている。
私は居間の机に残されていたリゼルの手紙を手に取った。
グレンが生きていたことは嬉しい。でも、ザロスに向かっていったあと、何も覚えていないという話が気になっていた。
フィンのことも、手紙には詳しく書かれていない。
会えば、何があったのか聞けるだろうか。
隣では、ロアが整理を終えた荷物を確かめていた。
ルヴェリアには、もうザロスはいない。それでも村や町の外には虚が現れるし、ザロスが残した赤も各地に残っているはずだ。
ロアの傷が治るまでは、できるだけ危険は避けたい。
「ユイナ、手紙をしまっておこうか?」
ロアに声をかけられ、私は手元の手紙を見た。
「はい。なくさないように持っていきましょう」
私は手紙を折り、鞄へしまった。
まずはエルメア港で船を探し、ネレイ港へ渡る。それからアルディナを経由して、リゼルたちのいるドレナへ向かう予定だ。
グレンの身に何が起きたのか、今はまだ分からない。
でも、もう一度会えるのなら、今度はゆっくり話がしたかった。




