第3話 海を渡った手紙
黄の使徒たちとの戦いを終えた翌朝、私たちは王都を出発した。
昨夜はカレンとセレンが交代で見張りを続けてくれたが、幸い、使徒たちが再び現れることはなかった。
でも、危険がなくなったわけではない。
レグルスとセラフィンは正気に戻ったように見えたけれど、二人が王城でどうなったのか、私たちには分からない。ルシエルについても、命令から解放されたのかどうか確かめられていない。
私たちは宿を引き払い、荷物をカレンの馬車へ運び始めた。
「ロア、そっちの荷物は私が運ぶから、あんたは先に馬車へ乗ってな」
宿の前で、カレンがロアの手から荷物を受け取ろうとした。
「これくらいなら持てる」
「持てるかどうかじゃないよ。昨日あれだけ腕を斬られたんだ。傷口が開いたらどうするんだい」
「……分かった。頼む」
ロアは素直に荷物を渡した。
いつもなら自分で運んでしまうところだろうけれど、昨日の傷はかなり深い。包帯の巻かれた腕を見ると、私も心配になる。
「ロア、本当に大丈夫?」
「ああ。今は痛みも落ち着いている。ユイナも腕を無理に動かすなよ」
「私はかすり傷ですから」
「傷は傷だろ」
そう言われてしまうと、言い返せなかった。
私たちが話している間に、カレンは荷物を馬車へ積み終えた。エマは車内の荷物を端に寄せ、私たちが座る場所を空けてくれていた。
「みんな、準備はいいね?」
御者台に座ったカレンが振り返った。
「はい。お願いします」
「じゃあ、出すよ」
四頭の馬が歩き始め、馬車はゆっくりと動き出した。
私は窓から王都の建物を眺めた。
エルディンを探すために訪れた王都だったが、結局、彼が何者なのかは分からないままだ。王城では確かに本人と会って話した。でも、城の人たちは彼のことを知らないと言う。
使徒たちに私たちを襲わせたのが誰なのかも、分かっていない。
エルディンは、いったい何者なのだろう。
「ユイナ、まだ気になる?」
隣に座るセレンが声をかけてきた。
「……はい。エルディンさんのこと、何も分からないままですから」
「私も気になってるよ。文香と一緒に会ったこともあるし、今回だって私たち三人が実際に話をしたんだからね」
セレンは窓の外へ顔を向けた。
「でも、今の王城へ戻るのは危険すぎる。使徒たちが何者かに命令されていたなら、その相手はまだ城にいるかもしれないから」
「そうですね……」
「エルディンについては、別の場所から調べる方法を考えよう。今は無事にエリンフォードへ戻ることが先だよ」
私はうなずいた。
これ以上、誰かに怪我をしてほしくない。
隣で腕をかばっているロアを見れば、今は無理をするべきではないことも分かる。
馬車は王都の門を抜け、エリンフォードへ続く街道を進んでいった。
*
道中、カレンは何度か馬車を止めて休憩を取ってくれた。
四頭の馬を休ませている間、セレンは私とロアの傷を確認してくれた。
「ロアは、しばらく剣を振らない方がいいね。傷口が開いたら、治りが遅くなるよ」
「分かった。気をつける」
「本当に頼むよ。君はすぐ無理をするから」
「……そんなつもりはないんだが」
セレンが苦笑した。
私も少し笑ってしまったけれど、ロアには早く治ってほしいと思う。
エマは休憩の間、馬たちに水を飲ませるカレンの手伝いをしていた。私も何かできないかと思ったけれど、カレンから座っているように言われてしまった。
でも、ずっと馬車の中にいるより、外へ出て身体を動かせるだけで気分が違う。再び走り始めた馬車の中で、エマが私の隣へ座った。
「ユイナ、今度はどこへ行くの?」
「まだ決まってないんだ。エリンフォードへ戻ってから、みんなで相談しようと思ってるよ」
「じゃあ、しばらくセレンのお家にいるの?」
「どうかな……。あの家も、もう安全とは言えないから」
エマは少し残念そうな顔をした。
「私、あのお家、好きなんだけどな」
「そうなの?」
「うん。お部屋もいっぱいあるし、本もいっぱいあったから」
確かに、セレンの家には本や研究資料がたくさん置かれていた。
エマにとっては、あれだけ本が並んでいる場所が珍しかったのかもしれない。
「またゆっくり来られるといいね」
「うん!」
エマが笑った。
その顔を見ながら、私はこの先の旅について考えた。
文香さんを見つけるために、これからも旅を続けなければならない。
けれど、次にどこを調べればいいのか、はっきりしていない。
王城でエルディンに会えたのに、結局、彼が何者なのかも、始原についての新しい手掛かりも得られなかった。
どこから調べ直せばいいのだろう。
*
エリンフォードへ戻ると、私たちはセレンの家へ向かった。
以前、この家の近くではセラフィンとルシエルに襲われている。カレンには少し離れた場所に馬車を止めてもらい、私とロア、セレンの三人で家の様子を確かめることにした。
「二人とも、怪我してるんだから無茶するんじゃないよ」
カレンが御者台から声をかける。
「分かっています。何かあれば、すぐに戻ります」
私が答えると、カレンはうなずいた。
「こっちはいつでも動けるようにしておくからね」
私たちは馬車を離れた。
周囲を警戒しながら家へ近づいたが、怪しい人影は見当たらなかった。ロアは家の周囲を確かめてから、私たちのところへ戻ってきた。
「今のところ、変わった様子はないな」
「そうだね。じゃあ、中へ入ろうか」
セレンが鍵を取り出し、玄関の扉を開けた。
家の中は、出発したときのままだった。
しばらく留守にしていたためか、室内には少し埃がたまっている。けれど、家具が動かされたような跡もなく、荒らされた様子は見られなかった。
「よかった。誰かに入られた形跡はなさそうだね」
セレンはそう言って、室内を確かめ始めた。
私も以前使わせてもらっていた部屋を覗き、置いてきた荷物がそのまま残っていることを確認した。
そのとき、玄関の方からセレンの声が聞こえた。
「……あれ?」
戻ってみると、セレンが何通かの郵便物を手にしていた。
「留守の間に届いていたみたい。しばらく確認できなかったからね」
セレンは封筒を一通ずつ確かめていたが、そのうちの一通で手を止めた。
「ルヴェリアからだ……」
「ルヴェリア?」
私が近づくと、セレンは差出人の名前を読み上げた。
「リゼル……という人からなんだけど、ユイナ、知ってる?」
「えっ? リゼルさんですか?」
「うん。知り合い?」
「はい! 前に一緒に旅をした人です!」
ロアも私の隣へ来た。
「リゼルから手紙が届いたのか」
「そうみたいだね。宛先は私になっているけど、君たちの知り合いなら、二人への連絡かもしれない」
私たちは居間へ移り、テーブルを囲んだ。
セレンが封筒を開けると、中には折り畳まれた二枚の手紙が入っていた。
「まず、私宛ての方を読ませてもらうね」
セレンは一枚を広げ、文章を読み始めた。
しばらくして、顔を上げる。
「なるほど。以前、君たちと一緒に旅をしていた人なんだね。今は二人がどこにいるか分からないから、私のところへ手紙を送ってくれたみたい」
「でも、どうしてセレンの住所が分かったんだ?」
ロアが尋ねた。
「アルディナで、私の先生に会ったって書いてある。先生から住所を聞いたんだろうね」
「アルディナの先生……」
私も思い出した。
ザロスとの戦いで負傷したあと、私を治療してくれた女医だ。
リゼルは、あの先生を訪ねたらしい。
「それで、こっちが君たち宛ての手紙だよ」
セレンがもう一枚を広げた。
「私が読んでもいい?」
「お願いします」
セレンは手紙を読み始めた。
『久しぶりね。二人とも元気にしていますか。
私は今、ドレナへ戻って、ガルダ村の復興を手伝っています。
実は、グレンが見つかりました。フェルド村で再会できたの。今は私と一緒に暮らしています。』
「……えっ?」
私はセレンを見た。
「グレンさんが……見つかったんですか?」
「そう書いてあるよ」
ロアも驚いた様子で、手紙を見ている。
「生きていたのか……」
私たちは、リゼルと一緒にグレンやフィンの行方を探していた。
ガルダ村にも、エルガ王城にも行ったけれど、二人がどうなったのかは分からなかった。ザロスを倒したあとも、何の手掛かりも見つからなかったのだ。
「よかった……。本当に、よかったですね」
リゼルの顔が浮かんだ。
ネレイ港で別れたとき、あの人は一人でも弟たちを探し続けると言っていた。
そのリゼルが、グレンと再会できたのだ。
「セレン、続きをお願いします」
「うん」
セレンは手紙へ戻った。
『フィンについても、分かったことがあります。
フィンのことは、できれば直接会って話したいと思っています。』
私はそこで少し気になった。
グレンが見つかったのなら、フィンも一緒だったのだろうか。
でも、手紙にはフィンが見つかったとは書いていない。
直接会って話したいというのも、何か事情があるからなのかもしれなかった。
ロアも何か考えているようだったが、何も言わなかった。
セレンが続きを読む。
『グレンから聞いたのですが、フィンを見つけたあと、あの赤い化け物に向かっていったそうです。私は、その化け物がザロスだったのだと思っています。
でも、グレンは向かっていったあとのことを何も覚えていません。次に気がついたときには、フェルド村にいたそうです。
今も身体の周りに赤いものが残っていて、洗っても消えません。本人は普通に生活していますが、何が起きたのか分からないままです。
ザロスと直接戦った二人なら、何か知っていることがあるかもしれないと思っています。』
セレンが読み終えると、私はロアの顔を見た。
「グレンさん、ザロスに向かっていったんですね……」
「ああ。だが、そのあとの記憶がないのか」
「それに、身体の周りに赤いものが残っているって……」
ザロスの赤が人間にとってどれほど危険なのか、私たちは知っている。
あの赤に触れれば色を奪われ、身体を崩されることさえある。
なのに、グレンは普通に生活できているらしい。
「セレン、こんなことってあるんでしょうか?」
「実際に本人を診てみないと分からないよ。そもそも、身体の周りに残っているものが何なのかも分からないからね」
「そうですよね……」
セレンは手紙を持ったまま、少し考えた。
「でも、気になるね。ザロスに向かっていったあとから記憶がないというのも、その身体の状態も」
「ザロスが崩れたあと、人間くらいの大きさの赤い身体が残っていたが、翌日には消えていた」
ロアが言った。
「はい。あれはザロスの死体だと思っていましたけど……」
あのとき残っていた赤い身体と、今もグレンの身体の周りに残っているという赤いものには、何か関係があるのだろうか。
どうやって生き延び、フェルド村へたどり着いたのだろう。
セレンは最後の部分を読み上げた。
『二人が文香さんを探して旅を続けていることは分かっています。
だから、無理にとは言えないけれど、もし来られるならドレナまで来てもらえませんか。
グレンにも二人を会わせたいし、私も久しぶりに顔が見たいです。
返事がすぐにもらえなくても大丈夫。私はドレナで暮らしながら、ガルダ村の復興を手伝っているので、こちらへ来てくれたら会えると思います。
身体には気をつけてね。
リゼル』
手紙を読み終えたセレンが、私たちを見た。
「どうする?」
私はすぐには答えられなかった。
リゼルに会いたい。
グレンが無事だったことも嬉しいし、直接会って話を聞きたい。
でも、私たちは文香さんを探して旅をしている。
ようやくアウレスタまで来たのに、今度はまた海を渡ってルヴェリアへ戻ることになる。
「……ロアは、どう思いますか?」
ロアは少し考えてから答えた。
「行った方がいいと思う」
「そうですか?」
「ああ。リゼルには世話になった。弟が見つかったなら俺も会いたいし、何が起きたのか本人から聞いてみたい」
ロアはセレンの持つ手紙を見た。
「それに、俺たちがザロスを倒したことと、グレンが生きていたことに何か関係があるのかもしれない。今の情報だけでは分からないが」
「……そうですね」
セレンもうなずいた。
「私もルヴェリアへ行くことには賛成だよ。グレンの身体は、一度ちゃんと調べてみたい」
「でも、文香さんを探す旅が……」
「今のところ、次の行き先は決まっていないでしょ? 王都で調べようとしていたエルディンのことも、すぐには進められそうにないしね」
確かに、その通りだった。
文香さんを探すことは諦めたくない。
でも、だからといって、ずっとアウレスタにいなければならない理由もない。
「……私も、リゼルさんに会いたいです」
口にすると、自分の気持ちがはっきりした。
「一緒に旅をして、何度も助けてもらいました。グレンさんが見つかったのなら、直接お祝いも言いたいです。それに、フィンさんのことも気になります」
「じゃあ、決まりかな」
セレンが微笑んだ。
私はうなずいた。
「はい。ルヴェリアへ戻りましょう」
*
私たちはカレンとエマを家へ呼び、届いた手紙のことを話した。
リゼルやグレンのことは、以前の旅で知り合った人たちだと説明する。
カレンは最後まで話を聞いてから、腕を組んだ。
「なるほどね。じゃあ、今度は海を渡ってルヴェリアへ行くってことかい」
「はい。できれば、みんなで行きたいと思っています」
「もちろん、あたしたちも一緒に行くよ。ただ、馬車をどうするか考えないとね」
「馬車ですか?」
「そうさ。あたしたちだけなら普通の客船でも行けるだろうけど、馬車と馬が四頭いるんだよ。船なら何でもいいってわけにはいかない」
そうだった。
カレンの馬車は大きいし、馬も四頭いる。
海を渡るなら、馬車を運べる船を探さなければならない。
「そういう船もあるんでしょうか?」
「大型の輸送船か、荷物も積める貨客船があるよ。ただ、どこの港から出ているか、いつ乗れるかは調べないと分からないね」
「じゃあ、船のことは私に任せてくれる?」
セレンが申し出ると、カレンは首を横に振った。
「船の手配なら、あたしがやるよ。昔から商売でいろんな港を使ってきたからね。こういうのは慣れてるんだ」
「そうだったね。じゃあ、お願いしようかな」
「ああ。馬たちを運ぶとなれば費用もかかるから、そこは覚悟しておいておくれよ」
「もちろん。必要な費用はこちらで負担するよ」
カレンがうなずいた。
その隣で話を聞いていたエマが、私の服を引っ張った。
「ユイナ、海って大きいの?」
「うん。とっても大きいよ」
「どのくらい?」
「向こう岸が見えないくらいかな」
「ええっ!そんなに?」
エマが驚いた顔をした。
「エマは、船に乗るの初めて?」
「うん! 楽しみ!」
「こら、エマ。まだ船が決まったわけじゃないんだよ」
カレンが注意すると、エマは少し口を尖らせた。
「だって、海を見たことないんだもん」
「まあ、港へ行くことにはなるだろうから、海は見られるさ」
そう言われて、エマは嬉しそうに笑った。
私もその顔を見て笑った。
船の手配も、馬車の運搬も、まだこれからだ。
でも、次に向かう場所は決まった。
私はセレンが机に置いた手紙をもう一度手に取った。
文字は読めないけれど、リゼルが私たちのために書いてくれた手紙だと思うと、懐かしい顔が浮かんできた。
ネレイ港で別れたとき、あの人は弟たちを探すために一人で残ると言った。
あれから何か月も経っている。
リゼルは、その間も諦めずに探し続けたのだ。
そして、ようやくグレンと再会できた。
私も、またリゼルに会える。
フィンのことや、グレンの身体に何が起きているのか、心配なことはある。
けれど、まずは二人に会って話を聞きたい。
私は手紙を丁寧に折り畳み、封筒へ戻した。
もう一度、ルヴェリアへ。
前に海を渡ったときはロアと二人だけだったけれど、今度はセレンも、カレンとエマも一緒だ。
私たちは、五人で海を渡ることになった。




