第2話 ザロスの大剣
フィンの墓を離れ、グレンと一緒に街道へ向かった。
丘の斜面を下りながら、私は一度だけ振り返った。さっきまでいた場所は草に隠れ、もう墓標は見えない。でも、次に来るときは迷わず行けると思う。
「姉さん、足元に気をつけてな」
「うん。大丈夫」
グレンが少し先を歩き、石の多いところを避けながら道を選んでくれる。
街道へ戻ると、ローデン丘の大木が目に入った。
以前、ユイナとロアと一緒に歩いた場所だ。
あの二人がザロスを倒した翌日、私たちはエルガ王城へ向かった。その途中で、奇妙なことがあったのを思い出した。
ザロスの死体が消えていたのだ。
戦いが終わったあと、ザロスの巨大な身体は崩れ、人間ほどの大きさの死体が残ったとユイナから聞いている。
ところが翌日、同じ場所を通ったときには、どこにも見当たらなかった。
あのときは王城へ向かうことを優先し、詳しく調べずに通り過ぎてしまった。
私は足を止めた。
「……そういえば」
グレンが振り返る。
「どうした?」
「少し、確かめたい場所があるの」
「どこだ?」
「ユイナたちがザロスと戦ったところ。大木の向こう側なんだけど」
私は以前通った道を指した。
「ザロスを倒したあと、死体が残っていたらしいの。でも、翌日にはなくなってたんだって」
「死体が?」
「うん。ユイナもロアも、不思議がってた」
グレンは私の指した方へ顔を向けた。
「ザロスの死体か……」
「そう。あのときは何も分からなかったけど、今なら何か手掛かりが見つかるかもしれないと思って」
「……そうだな。俺も見ておきたい」
グレンがうなずいたので、私たちは大木の方へ歩き始めた。
街道の石畳は、ところどころ割れたままになっている。大きな亀裂が走り、石が浮き上がっている場所もあった。
周囲には、今も赤が残っている。
ザロスがいなくなったからといって、侵食された土地がすぐに元へ戻るわけではない。赤が消えていくには長い年月がかかる。今すぐ取り除くなら、ロアの力が必要だ。
私は赤の残る場所を避け、侵食されていない石畳を選んで進んだ。
「姉さん、この辺りで戦ったのか?」
「そうだよ。私がここへ来たときには、もう戦いは終わってたけどね」
「そうか……」
グレンは周囲を見回した。
「俺は、あいつに向かっていったところまでは覚えてるんだ。でも、そのあと何が起きたのか、どうしても思い出せない」
「ここを見たら、何か思い出せそう?」
「今のところは何も。でも、もう少しこの辺りを見てみるよ」
グレンは割れた石畳を見下ろした。
しばらく周囲を確かめていたが、やがて首を振った。
「……駄目だな。何も思い出せない」
「無理に思い出そうとしなくていいよ」
「ああ。分かってる」
グレンは少し笑った。
私は大木の向こう側へ回った。
以前通ったときの景色を思い出す。
ユイナが死体のなくなった場所を調べ、ロアも周囲を確かめていた。
割れた石畳。
地面に残った赤。
あのときと、ほとんど変わっていない。
「確か、この辺りだったと思う」
私は足を止めた。
ザロスの死体があったという場所を、少し離れたところから確かめる。
当然、死体は見当たらない。
周囲にも、何かを運び出したような跡は残っていなかった。
「……やっぱり、何もないね」
グレンが隣に立った。
「ここに死体があったのか?」
「ユイナたちはそう言ってたよ。でも、私が来たときにはもう消えてたの」
私は大木の方へ目を向けた。
あれからずいぶん時間が経っている。当時の痕跡が残っているとは限らないけれど、何も分からないままなのは気になる。
「誰かが運んでいったのかな」
「あんな大きな化け物の死体をか?」
「残っていたのは、人間くらいの大きさだったらしいよ」
「そうなのか……」
グレンは地面を見た。
「それなら運べなくはないだろうけど、誰がそんなことをしたんだろうな」
「分からない。そもそも、本当に誰かが運んだのかどうかも……」
そこまで話したところで、少し先の赤いものが目に入った。
割れた石畳のそばに、細長いものが横たわっている。
地面に残る赤と重なっていたため、最初は気づかなかった。
「あれ……?」
私は目を凝らした。
「グレン、あそこに何かある」
弟が私の指した方を見た。
「剣……か?」
「ちょっと待って。あれ、前にも見たような……」
私は足元の赤を避けながら、近くへ回り込んだ。
地面に横たわっていたのは、大きな剣だった。
幅の広い刃と、長い柄。
普通の人間が使う剣よりも、ずっと大きい。
刀身そのものが赤く、その表面をさらに別の赤が覆っている。
私はすぐに思い出した。
「……ザロスの剣だ」
「これが?」
「うん。あの化け物が持ってたものだと思う」
以前、ここを通ったときにも大剣が落ちていた。
あのときは死体が消えていたことばかり気になって、剣のことは詳しく調べなかった。
けれど、この形には見覚えがある。
ただ、一つ気になることがあった。
「……でも、おかしいな」
「何が?」
「こんなに小さくなかったはずなの」
目の前の大剣は、グレンほど身体の大きな人なら扱えそうな長さだった。
しかし、ザロスが使っていたのは、人間の何倍もある巨体にふさわしい巨大な剣だ。倒されたあとに地面へ残っていたものも、今よりずっと大きかったと覚えている。
「小さくなったってことか?」
「そう見えるよ。前はもっと大きかったもの」
グレンは大剣を確かめた。
「別の剣ってことはないのか?」
「形は似てるし、落ちてる場所も同じだから……」
私は周囲を見回した。
ほかに武器らしいものはない。
これほど特徴のある剣が、偶然同じ場所へ置かれていたとは考えにくかった。
「たぶん、同じ剣だと思う」
「そうか。でも、どうして大きさが変わったんだろうな」
「誰かが何かしたのかもしれないけど……」
そう口にしてから、私は大剣をもう一度見た。
こんな武器の大きさを変える方法なんて、私には分からない。
グレンも不思議そうに剣を見ていた。
そして、何かに気づいたように自分の腕へ目を向けた。
「姉さん。この剣を覆ってるもの、俺の身体にあるのと似てないか?」
「え?」
私はグレンの腕と大剣を見比べた。
グレンの肌は普通の人間と同じように見える。
ただ、その身体の外側は、赤に覆われている。
剣も同じだった。
刀身そのものが赤いだけでなく、その表面をさらに赤が覆っている。
「……本当だ。同じように見えるね」
「だろ?」
グレンは自分の手を開いた。
「俺の身体に何が起きてるのか、この剣を調べれば何か分かるかもしれないな」
「そうかもしれないけど……」
私は大剣を見た。
ザロスの赤は、人間にとって危険なものだった。
それが今も剣に残っているのなら、安易に触るべきではない。
「グレン、気をつけてね」
「ああ」
弟はうなずいてから、剣のそばにしゃがんだ。
「……持ってみてもいいか?」
「えっ?」
「この大きさなら、俺にも扱えそうだ」
「でも、それ、あの化け物の剣だよ?何が起きるか分からないよ」
グレンは剣と自分の腕を見比べた。
「そうだな。でも、俺の身体にも同じような赤があるだろ。関係があるなら、確かめてみたいんだ」
グレン自身も、自分に何が起きたのか分からないまま暮らしている。
その理由を知りたいと思うのは当然だろう。
けれど、私はまだ不安だった。
「……少しでもおかしいと思ったら、すぐに手を離してね」
「ああ。分かってる」
グレンは大剣の柄に手を伸ばした。
私は離れた場所から、その様子を見守った。
弟の大きな手が柄を握る。
しばらく、そのまま動かなかった。
「グレン?」
「ああ。大丈夫だ」
グレンは立ち上がりながら、大剣を持ち上げた。
幅の広い刃が地面から離れる。
弟は両手で柄を握り直し、剣を身体の前で構えた。
「……持てたな」
「大丈夫? 痛くない?」
「ああ。何ともないよ」
グレンは自分の手を確かめた。
剣に触れたところも、変わった様子は見られない。
私はほっとした。
「でも、無理しないでね」
「ああ。ちょっと重さを確かめてみるよ」
グレンは私から十分に距離を取り、周囲に人がいないことを確認した。
それから、両手で大剣を構え直した。
大きな刃が、ゆっくりと動く。
グレンは剣を肩の高さまで持ち上げ、斜めに振り下ろした。
続けて構えを変え、今度は横へ振る。
私は思わず見入ってしまった。
あれほど大きな剣なのに、グレンの動きは滑らかだった。
グレンは以前、傭兵として働いていた。武器の扱いには慣れている。
それにしても、初めて握ったとは思えないほど自然に振っていた。
グレンはもう一度剣を構え、刃先の向きを確かめてから動きを止めた。
「どう?」
私が尋ねると、グレンは少し驚いたように笑った。
「……驚いたな。俺が使うには、ちょうどいい大きさだ」
「そんなに?」
「ああ。重さも問題ない。これなら普通に戦えるよ」
グレンは大剣を片手で持ち直し、もう一度柄を確かめた。
「そんなに大きかったなら、俺には扱えなかっただろうな」
「そうだね……」
私は大剣を見た。
グレンのために作られたような大きさ。
そして、グレンの身体と同じように赤で覆われている。
どうしてこんな剣が、ここに残っているのだろう。
グレンは大剣を地面へ下ろし、もう一度自分の手を確かめた。
「持っても、何も起きなかったな」
「うん……」
私は剣の赤を見つめた。
グレンには何の異変もない。
けれど、それだけで安全な剣だとは言い切れなかった。
「ほかの人には、まだ触らせない方がいいと思う」
「そうだな。俺もそのつもりだよ」
グレンはうなずいた。
*
「姉さん、この剣、持って帰ってもいいと思うか?」
しばらくして、グレンが尋ねた。
「ドレナへ?」
「ああ。ここに置いて帰るより、手元にあった方が調べられるだろ」
私は大剣を見た。
確かに、グレンの身体との関係が分かるかもしれない。
でも、ザロスが使っていた武器を町へ持ち込むことには、少し抵抗があった。
「……危なくないかな」
「分からない。でも、俺が持っても何も起きなかったし、ほかの人には触らせないようにするよ」
「そうだね。それなら……」
私は少し考えてから、うなずいた。
「持って帰ろうか。ユイナとロアが来てくれたら、見てもらえるかもしれないし」
「ああ。俺も二人に聞いてみたい」
グレンは大剣を持ち上げた。
先ほど確かめたとおり、重さに苦労している様子はない。
グレンは刃先を下へ向けて大剣を持ち直し、私の方を見た。
「帰ろうか、姉さん」
「うん。ちょっと待ってね」
私は墓を作るために借りてきた道具をまとめ直した。
そのとき、道具を包んでいた厚手の布が目に入った。
「グレン、剣の刃はこれで包んでおこう」
「ああ。そうだな」
私は布をグレンに渡した。
グレンは大剣を地面に置き、刃の部分に布を巻いて、ほどけないようにしっかり結んだ。
「帰りは、私が荷物を持つよ」
「大丈夫か?」
「墓標はもう立ててきたし、道具だけなら平気だよ」
「じゃあ、頼む」
私は道具を持ち、グレンと一緒に街道へ戻った。
大剣は、弟が普通に持ち歩ける重さだった。
ただ、布で包んだとはいえ、刃が大きいので、人や物に当たらないよう注意する必要がある。
グレンは周囲を確かめながら、私と並んで歩いた。
しばらく進むと、大木が遠ざかっていく。
私はフィンのことを思い出した。
今度来るときは、家の修理がどこまで進んだか、あの子に話してあげよう。
「姉さん?」
グレンがこちらを見た。
「ごめん。フィンのこと考えてた」
「そうか」
「また来たいね」
「ああ。俺も来るよ」
私はうなずき、グレンと並んで歩き始めた。
そのあと、街道の脇で少し休憩をとった。
グレンは大剣を人が通らない場所へ置き、私から水筒を受け取った。
「それにしても、今日は思わぬものを見つけたな」
「本当だね」
グレンは大剣へ目を向けた。
「この剣のこと、ユイナたちなら何か分かるかな」
「うん。会えたら聞いてみよう」
私たちは休憩を終え、ドレナへ向かって歩き始めた。
*
ドレナの北門が見えてきたのは、夕方だった。
町へ近づくにつれて、行き交う人の姿が増えてくる。
グレンは布で包んだ大剣の刃先を下へ向け、人とすれ違うときには十分に距離を取っていた。
門の近くまで来ると、朝に会った見張りの男が気づいた。
「おお、戻ったか。墓は作れたのか?」
「はい。グレンと二人で作ってきました」
「そうか。そりゃよかったな」
男はうなずいたが、グレンの持つ大剣を見ると表情を変えた。
「……おい、何だ、その剣は?」
「ローデン丘で見つけたんです」
「ずいぶん大きな剣だな。そんなものが落ちてたのか?」
「はい。持ち帰って調べてみようと思っています」
男は大剣を見ながら、眉を寄せた。
「危ないものじゃないだろうな?」
「俺が持つ分には問題ありません。ただ、ほかの人には触らせないようにします」
「そうか。宿の人にもちゃんと話しておけよ」
「分かりました」
男は私たちを門の中へ通してくれた。
「気をつけて帰れよ」
「ありがとうございます」
礼を言って、私たちは町へ入った。
夕方の通りには、仕事を終えて帰る人たちがいた。
グレンは大剣を持っているため、いつもより目立っている。
すれ違う人の中には、足を止めて剣を見る者もいた。
私たちは人通りの多い道を避け、少し遠回りして宿へ向かった。
宿に着くと、まず主人に事情を説明した。
変わった大剣を持ち込むことに主人は驚いていたが、ほかの客が触れないようにすることを条件に、部屋へ置くことを認めてくれた。
グレンは大剣を部屋の奥へ運び、倒れないように置き場所を確かめた。
私は荷物を下ろし、椅子に腰を下ろした。
「……今日は疲れたね」
「ああ。思っていた以上に長い一日だったな」
グレンも向かいの椅子に座った。
私は部屋の奥に置かれた大剣を見た。
赤い刀身と、それを覆う赤。
グレンの身体にも、同じように赤が残っている。
なぜ大きさが変わったのか。
どうしてグレンは、あの剣を普通に扱えたのか。
今は、何も分からない。
「ねえ、グレン」
「何だ?」
「今日はフィンのお墓を作れて、よかったね」
「ああ。俺もそう思うよ」
グレンは少し笑った。
「これで、また会いに行ける場所ができたな」
「うん。家の修理が進んだら、報告しに行こうね」
「そうしよう」
私は窓の外を見た。
窓の外からは、町を行き交う人々の声が聞こえていた。
ザロスがいなくなってから、ドレナにも少しずつ人が戻ってきた。
ガルダ村の復興も、まだ時間はかかるけれど進んでいる。
「明日はまた村へ行くの?」
私が尋ねると、グレンはうなずいた。
「ああ。柱を運ぶ仕事があるからな。姉さんはどうする?」
「私も行くよ。家の中も、まだ片づけるところが残ってるし」
「そうか。じゃあ、また一緒に行こう」
「うん」
グレンは大剣へ目を向けた。
「……この剣のことも、いつか分かるといいな」
「そうだね。ユイナたちに会えたら、相談してみよう」
「ああ。俺も二人に会うのが楽しみだよ」
私はうなずいた。
手紙はもう出してある。
二人が無事に読んでくれるかどうかは、まだ分からない。
でも、もし会えたら、グレンのことを一緒に考えてほしい。
私はそう思いながら、明日の仕事に使うものを片づけ始めた。




