第1話 弟の墓
アルディナからドレナへ戻って、数日が過ぎた。
ユイナとロアに宛てた手紙は、もう海を渡る便に預けてある。二人が読んでくれるかは分からないけれど、今は返事を待つしかない。
その間も、ガルダ村では復興の仕事は続いている。
今日も私は、壊れた家から運び出された木材の仕分けをしている。グレンは少し離れた場所で、修理に使う太い材木をほかの男たちと荷車に積んでいる。
実家の修理も相談は進んでいるものの、必要な木材がそろわず、まだ取りかかれない部分が多い。それまでは、村の仕事を手伝いながら、家に残ったものを片づけるつもりだ。
「リゼルさん、こっちの板も見てもらえる?」
「はい、今行きます」
一緒に作業していた女の人が、地面に並べた板を指している。長さも傷み具合もばらばらで、途中から折れているものもある。
「使えそうなのは向こうへ運んでね。折れてるのは、こっちに分けておいて」
「分かりました」
一本ずつ確かめていると、片方の端が大きく欠けた板が見つかった。傷んだ部分を切り落とせば、残りはしっかりしている。手に持ったまま、しばらく眺めた。
フィンの名前を刻むなら、これくらいの大きさで足りるだろうか。
グレンからあの子の最期を聞いて以来、墓を作ることは何度も考えた。でも、実際にどうするかは決められずにいた。
フィンの身体は消えてしまい、遺品も残っていない。墓を作っても、そこに埋めるものは何もない。でも、あの子の名前を残せる場所が欲しかった。
「あの、この板、もらってもいいですか?」
女の人に尋ねると、手元の板を確かめてくれた。
「いいよ。何かに使うの?」
「弟の墓標にしようと思って」
「……そうかい。だったら持っていきな」
「ありがとうございます」
私は板を仕事の邪魔にならない場所に置き、残りの仕分けを続けた。
今度こそ、グレンに話してみよう。
*
昼の休憩になると、グレンが私のところへやって来た。
「姉さん、そっちはどうだ?」
「あと少しで終わりそう。グレンは?」
「午後も材木運びだよ。向こうの家は、ようやく屋根に取りかかれるらしい」
「そうなんだ。よかったね」
「ああ。家が直っていくのを見ると、俺も張り合いがあるよ」
グレンは私の隣に座り、持ってきた食べ物を取り出した。フェルド村で再会した頃よりも、ずいぶん元気になったように見える。
私も食事を済ませ、水を飲んでから話を切り出した。
「ねえ、グレン。フィンの墓を作りたいんだけど」
弟がこちらを向く。
「……墓か」
「うん。朝、墓標に使えそうな板をもらったの。そこに名前を彫って、立ててあげたいと思って」
グレンは少し黙ってから、うなずいた。
「いいと思うよ。俺も、何かしてやれないかって考えてた」
「よかった。グレンがどう思うか、気になってたんだ」
「反対する理由なんかないさ。ただ、どこに作る?」
「ローデン丘にしたい」
口にすると、あの大木のある丘が頭に浮かんだ。ユイナとロアと一緒に何度か通った場所だ。
「フィンが最後にいたところ、覚えてる?」
「ああ。だいたいの場所なら案内できる」
「じゃあ、そこへ連れていってくれないかな」
「分かった。俺も行くよ」
グレンはすぐに答えたものの、少し考え込むように私の顔を見ていた。
「姉さん、あそこへ行って大丈夫か?つらい事を思い出すと思うぞ」
「それは……分かってる」
フィンが死んだと聞いた日、私はグレンを責めてしまった。あのときのことを思い出さずにはいられないだろう。
「だけど、行きたいの。あの子に、ちゃんと会いに行ける場所を作りたい」
グレンは私の顔を見てから、穏やかに笑った。
「そうだな。二人で作ってやろう」
「ありがとう」
「俺の弟でもあるんだから、お礼はいらないよ」
私は笑って、朝にもらった板を見せた。
「これなんだけど、名前を彫れるかな?」
グレンは立ち上がり、板を手に取った。
「欠けたところを切り落とせば十分使えるな。仕事が終わったらやってみよう」
「私も手伝うよ」
「もちろん。姉さんにも働いてもらわないとな」
「今だって働いてるでしょ」
「ははっ、そうだったな」
そんなふうに笑い合えたことに、私は少し救われた。
*
夕方、作業を終えたあと、私たちは墓標を作り始めた。借りた作業台の上で、グレンが板の傷んだ部分を切り落とし、私は切り口を整えた。
「これくらいなら、名前も入るだろ」
「うん。長さもちょうどいいと思う」
私は紙にフィンの名前を書いた。それを見ながら、グレンが板の中央へ薄く印をつけていく。文字の位置を二人で確かめてから、グレンが小さな刃物で彫り始めた。
「難しい?」
「曲がるところがな。力を入れすぎると欠けそうだ」
「急がなくていいよ」
「ああ。でもこれが今日の一番大事な仕事だからな」
私は板が動かないように押さえた。グレンの手元では、ひと削りごとに木の表面が少しずつ変わっていく。
「フィンがここにいたら、これを見て何て言うかな」
私が尋ねると、グレンが顔を上げた。
「名前が曲がってるって、俺に文句を言うかもな」
「ふふっ。それは言いそう」
「だったら、もう少し丁寧に彫らないとな」
二人で笑った。
弟の名前を彫りながら笑っていることが、自分でも少し不思議だった。あの子のことを思い出しても、悲しいだけではなくなっている。
最後の文字を彫り終えると、グレンは削りかすを払い、板を立てて見せてくれた。
「これでどうだ?」
名前の線は少し不揃いだけれど、はっきり読める。
「うん。これがいい」
「よかった」
グレンは道具を片づけ、貸してくれた人へ返しに行った。私たちは翌日の仕事を休ませてもらうことにして、土を掘る道具を借りた。
それから墓標を布に包み、グレンと一緒にドレナの宿へ戻った。
壁に立てかけた墓標を見ると、明日はいよいよフィンの墓を作るのだと思った。
フィンはもう帰ってこない。
分かっていても、こうして形にするのは怖い。
その夜は、寝るまで何度も墓標を見てしまった。
*
翌朝、私たちはドレナの北門から街道へ出た。
グレンが道具を持ち、私は布に包んだ墓標を抱えて歩く。
町を離れると、使われなくなった畑が続いた。倒れた柵や砂のたまった水路が残っている一方で、修理を始めている人たちの姿も見えた。
「姉さん、板は重くないか?」
「大丈夫。それより、一日仕事を休んでも平気なの?」
「みんなで分担してるから大丈夫だよ。それに、今日はフィンの墓を作る日だろ」
「……そうだね」
しばらく歩くと周囲に岩が増え、緩やかな坂の先にローデン丘の大木が見えてきた。石畳には、以前の戦いで割れた跡が残っていた。
今はもう、あの化け物を恐れずに歩ける。ユイナとロアがザロスを倒してくれたからだ。
「こっちだ」
グレンが街道を外れ、草の生えた斜面へ入った。
私は足元の石を避けながら後を追った。道と違って踏み固められておらず、ところどころ土が崩れやすい。
しばらくして、グレンが立ち止まった。
「……この辺りだったと思う」
そこは大木から少し離れた、ごく普通の斜面だった。草が伸び、小石が散らばっている。誰かが倒れていたと分かるものは、何も残っていない。
「ここで見つけたの?」
「ああ。倒れてた。俺が抱き上げたのは、あの辺りだ」
グレンが近くの地面を指した。
私はその場所を見つめた。
フィンは、ここでグレンに会えたんだ。
最後に家へ帰りたいと言えたことだけは、よかったのだろうか。
「……グレン、どこに立てようか」
弟は周囲を見て、街道から少し離れた平らな場所を指した。
「あそこなら、人が通る邪魔にならないし、土も掘れそうだ」
「うん。あそこがいい」
二人で小石を拾い、墓標を立てる場所を整えた。
グレンが土を掘り始め、私は邪魔になる石を取り除いた。途中で道具を代わってもらったが、硬い土を掘るのは思った以上に大変だった。
遺体も遺品もない。墓標を立てるだけの小さな墓だ。それでも、二人の手で作ることに意味があると思った。
穴ができると、私は布を外して墓標を立てた。グレンが根元に土を戻して固め、最後に傾いていないか二人で確かめた。
「……できたね」
「ああ」
木の板に名前が刻まれ、その根元を土と石が囲んでいる。立派なものではないけれど、私たち二人で作った墓だ。
私は墓標の前にしゃがんだ。
*
「フィン。遅くなってごめんね」
声に出すと、すぐに涙が出てきた。
「私、ずっとあなたたちを探してたんだよ。帰ってきたら、勝手に家を出ていったことをいっぱい怒ろうと思ってたのに」
私は板に刻まれた文字を見た。
「……帰ってきてほしかったな」
グレンが隣にしゃがんだ。私は涙を拭って、続きを話した。
「グレンは帰ってきたよ。今、二人でガルダ村の家を直そうとしてるの。まだ壊れたところばかりだけど、ちゃんと住めるようにするつもり」
フィンが使っていた寝台も、家に残っている。
「あの寝台も捨てないよ。直せるところは直して、残しておくからね」
グレンが静かにうなずいた。
私の隣で、弟はしばらく墓標を見ていた。そして、ゆっくり口を開いた。
「フィン。家へ連れて帰ってやれなくて、すまなかったな」
私はグレンを見た。
「お前が帰りたいって言ってたのは、覚えてるよ。俺も連れて帰るつもりだった。でも、間に合わなかった」
グレンは手を膝に置き、俯いた。
「……もっと早く見つけてやれたらな」
その言葉を聞いて、フェルド村でグレンを責めた日のことを思い出した。
あの頃は、私もグレンも、フィンを失った悲しみでいっぱいだった。
「グレン」
私が声をかけると、弟が顔を上げた。
私はその手を取った。
「今日は、二人でフィンの墓を作れたね」
「……ああ」
「これからも、一緒にあの子の話をしようね」
グレンは私の手を軽く握り返した。
「そうだな。フィンのこと、忘れずにいよう」
「うん」
フィンのいない寂しさは、これからも消えないと思う。それでも、グレンと一緒なら、あの子の話をしていける。
私は墓標に向き直った。
「フィン、また来るね。今度は家の修理がどこまで進んだか、話しに来るから」
グレンも立ち上がり、墓標の根元を確かめた。
「俺もまた来るよ」
帰る前に、私はもう一度墓標を振り返った。
草の間から、フィンの名前が見える。
これからは、ここへ来ればあの子に話しかけられる。
「行こうか、グレン」
「ああ」
弟と並んで、私たちは街道へ戻る道を歩き始めた。




