第8話 帰る場所
翌朝、私たちはドレナの宿を出て、ガルダ村へ向かった。
旅の荷物は宿に置き、必要なものだけを持ってきた。今日は実家の状態を確かめ、これからどうするかグレンと相談するつもりだ。
グレンがガルダ村へ帰るのは、フィンを捜しに出て以来だ。
村が襲われたことも、父さんと母さんが亡くなったことも、私から話を聞いている。でも、実際に家がどうなっているのかは、まだ見ていない。
以前、ユイナたちとこの道を通ったとき、私は弟たちの手掛かりが見つかることを願っていた。
今は、その一人が隣にいる。
そう思うと、グレンと一緒に帰ってこられたことが、改めて嬉しかった。
*
ガルダ村が見えてきた。
村の入口に近づくにつれて、グレンの歩く速度が遅くなった。
屋根を失った家や、壁が崩れたままの建物が並んでいる。以前来たときより道の瓦礫は片づけられていたが、修理が始まっていない家も多い。
「……こんなことになってたのか」
グレンが足を止めた。
「姉さんから聞いてはいたけど、ここまでひどいとは思わなかったよ」
グレンは近くの家を見てから、少し先へ歩いた。昔よく通った道を覚えているらしく、迷わず村の中央へ向かっていく。
途中では、数人の男たちが壊れた建物の前で作業をしていた。木材を運ぶ人の姿もある。少しずつだが、村へ戻ってきた人たちがいるようだ。
やがて、私たちの家が見えてきた。
屋根は半分ほど押し潰され、戸も外れたままになっている。窓枠の周囲も大きく崩れ、建物の片側には瓦礫が積もっていた。
グレンは家の前で立ち止まり、しばらく何も言わなかった。
「……俺たちが暮らしてた家なのにな」
グレンは潰れた屋根を見上げていた。
「初めて見たとき、私も驚いたよ。でも、奥の部屋は残ってるの。前にユイナたちと来たときは、そこで一晩泊まれたから」
「そうだったな。姉さんたち、ここに泊まったって言ってたよな」
グレンは入口の方へ歩いた。
「……中を確認しよう」
「ああ。ただ、壊れた屋根の下には近づかないようにしよう。残ってる木材が落ちてくるかもしれない」
グレンが入口に散らばった破片を脇へ除け、足元を確かめながら家に入った。
私もあとに続く。
中には壊れた家具や木片が残っていた。屋根が潰れた側は外から明かりが入り、床の一部には雨が入り込んだ跡もある。
私たちは危険な場所を避け、屋根が残っている奥へ進んだ。
グレンが部屋の中を見回している間に、私は壁のそばへ近づいた。
以前、ここに残した貼り紙があった。
「ああ、まだ残ってたんだ」
紙の端は少し傷んでいるが、文字は読める。
「グレン、これ。前に話した貼り紙」
グレンが隣へ来た。
「これか……」
壁に貼られた紙を、グレンが読み始めた。
『グレン、フィンへ。私はネレイ港にいる。戻ったら港へ来て。読んだら、この紙を外して持ってきて』
最後まで読んだあとも、グレンは紙の前に立っていた。
「……姉さん、ずっと待っててくれたんだな」
「うん。二人とも、どこかで生きてるって思いたかったから」
私は貼り紙に触れた。
「あのときは、あなたたちがどこにいるのか、何も分からなかったの。だから、もし家に帰ってきたら、私の居場所が分かるようにしておきたくて」
「そうだったのか……」
グレンは紙に書かれた自分とフィンの名前を見ていた。
「……フィンにも読んでほしかったな」
「うん」
「姉さん、ありがとう」
「何よ、急に」
「俺たちのこと、諦めないでいてくれて」
私はすぐに返事ができなかった。
二人とも死んでいるかもしれないと思ったことは、何度もある。もう見つからないのではないかと考えたことだってあった。
それでも、探すのをやめることはできなかった。
「……だって、私の弟たちだもの」
グレンはうなずいた。
私は紙を留めている金具に手を伸ばした。
「これ、外してもいいかな」
「ああ。もう姉さんはネレイ港にはいないからな」
私は紙が破れないように、慎重に壁から外した。
長い間、ここで二人の帰りを待っていた紙だ。
「取っておくのか?」
「うん。取っておく。せっかく、あなたが読んでくれたんだから」
グレンが少し笑った。
私は紙を折らないようにして、持ってきた袋へしまった。
*
貼り紙をしまったあと、私たちは奥の部屋を確かめた。
壁際には、グレンとフィンが使っていた寝台が二つ並んでいる。
「まだ残ってたんだな」
グレンは自分の寝台に手をかけた。
「俺がドレナで働くようになってからは、フィンがこっちで寝ることもあったんだ」
「そうだったね。自分の寝台が狭いって、よく文句を言ってたでしょう」
「ああ。俺が帰ってきても、なかなかどいてくれなかったよ」
グレンは懐かしそうに寝台を見ていたが、やがて隣にあるフィンの寝台へ顔を向けた。
「……あいつも、ここに帰りたかっただろうな」
私は何も答えられなかった。
「連れて帰ってやれなかったな」
「……グレン」
「分かってるよ。あのときは、どうしようもなかったんだってことは」
グレンは寝台の端に腰を下ろした。
私はフィンの寝台に座り、しばらく弟のそばにいた。
グレンが立ち上がったので、私も寝台を離れた。
部屋の中には、まだ家具や生活用品が残っている。これから住むために、使えるものと壊れているものを確かめる必要があった。
グレンは古い机を見つけ、脚の状態を調べ始めた。
「これ、父さんが直してたやつだな」
「ああ、そうだったね。脚がぐらつくからって」
「買い替えればいいのに、直して使うって聞かなかったな」
「母さんにも言われてたでしょう」
グレンは机を軽く揺らした。
「脚は残ってるし、また直せそうだな」
「じゃあ、これも使えるようにしたいね」
「ああ。修理する場所が決まったら、直しておくよ」
私は棚の中に残っている食器を確かめた。
割れてしまったものも多いが、いくつかは形を保っている。
その中に、見覚えのある器があった。
縁が少し欠けている。
母さんが、いつも使っていた器だ。
私はそれを両手で持ち上げた。
母さんは、まだ使えるからといって、ずっとこの器を使っていた。私が何度買い替えを勧めても、聞き入れなかった。
「姉さん?」
グレンが私のそばへ来た。
「……母さんの器があったの」
器を見せると、グレンもうなずいた。
「ああ。よく使ってたな」
私は器を机に置いた。
母さんが台所で食事を作っていた姿を思い出した。
父さんが帰ってくると、母さんは家族の分の食事を並べていた。グレンとフィンが先に食べ始めようとして、叱られたこともある。
今でも、家の中の様子をよく覚えている。
「……本当に、いないんだね」
言葉にしてから、涙がこぼれた。
父さんと母さんが死んだことは、もうずっと前から知っている。
それなのに、母さんの器を見ていると、また帰ってきてくれるような気がしてしまう。
「姉さん」
グレンが私の隣に立った。
「俺も、まだ実感がないんだ」
「……うん」
「姉さんから話を聞いて、父さんも母さんも死んだって分かってた。でも、ここへ帰ってきたら、二人とも普通にいるような気がしてたよ」
グレンは机のそばにあった椅子に座った。
「父さんに、仕事はどうしたって聞かれてさ。母さんには、また何日も帰ってこなかったって怒られるんじゃないかって」
「……そうだね」
「でも、帰ってきても誰もいないんだな」
私はグレンの隣に座った。
フェルド村で再会してから、グレンはずっと私を支えてくれた。
フィンの死を受け入れられず、家に閉じこもっていた私のために、食事を用意し、仕事にも出ていた。
けれど、グレンも家族を失っている。
私は自分のことで精いっぱいで、弟がどう感じているのか、きちんと考えられていなかった。
「……ごめんね」
「何が?」
「フェルド村では、私、自分のことで精いっぱいだったから。あなたもつらかっただろうに」
「姉さん……」
「グレンだって、父さんと母さんのことを悲しむ時間が必要だったよね」
グレンは少し考えてから、首を振った。
「姉さんと一緒にいられたから、俺も助かったんだよ」
「でも……」
「一人でこの家に戻ってきてたら、どうしていいか分からなかったと思う。姉さんがいてくれてよかったよ」
私はグレンの顔を見た。
「……私も、あなたがいてくれてよかった」
グレンは笑ってくれた。
私は涙を拭い、机の上に置いた器をもう一度見た。
この器も、机も、寝台も、できるだけ残しておきたい。
家を直すのは簡単ではないだろうけれど、二人で少しずつ進めていこうと思った。
*
私たちは屋根のある場所に残った家具を確かめたあと、入口の外へ出た。
グレンは建物の周囲を歩き、残っている柱や壁の状態を調べてから戻ってきた。
「どうだった?」
「屋根の修理は、かなり大がかりになりそうだな。柱も傷んでるから、俺一人じゃ難しいと思う」
「じゃあ、詳しい人に見てもらった方がいいね」
「ああ。村の復興を手伝ってる人たちに話を聞いてみよう。必要な材料をどこから運んでるのかも知りたいしな」
「ドレナで頼める人も探してみようか」
「そうだな。修理の仕方が分かれば、俺にも手伝えることはあると思うよ」
グレンは家を見上げた。
直す必要があるのは屋根だけではない。外れた戸や壊れた窓枠も、そのままにはできない。
実際にどれくらいの費用や時間がかかるのかは、まだ分からなかった。
「グレン、しばらくはドレナの宿に泊まるしかないね」
「そうだな。あの状態じゃ、安心して寝泊まりはできないからな」
「宿代もかかるし、早く戻れるようにしたいけど」
「急いで怪我をしても仕方ないさ。まずは安全に住めるようにしないとな」
「そうだね」
家の中には、まだ片づけなければならないものが残っている。
父さんと母さんの服も、フィンが使っていたものも、今すぐ捨てるかどうかは決められなかった。
修理を始めるときに、少しずつ整理していけばいい。
「そろそろドレナへ戻ろうか」
「ああ。明日は修理してる人たちに話を聞いてみよう」
私たちは家をあとにした。
「グレン」
「何だ?」
「家が直ったら、またこの家で一緒にご飯を食べようね」
「もちろんだよ」
「母さんの器も、ちゃんと洗って使おうかな」
「いいんじゃないか。まだ使えそうだったしな」
私は少し笑った。
以前とまったく同じ家には戻せないかもしれない。
それでも、あの家には私たちの思い出が残っている。




