第7話 ふたり分の帰り道
ドレナへ戻ると決めてから、数日が過ぎた。
倉庫の男が荷車の持ち主に話をつけてくれたおかげで、明日の朝、村を出発できることになった。
私は家の中に広げた荷物を、もう一度確かめていた。
着替えや旅道具に加えて、村の人たちからもらった品や、ここで使っていた生活用品もある。全部を持っていくわけにはいかないので、必要なものを選んでまとめているのだが、なかなか片づかない。
「姉さん、これはどうする?」
グレンが、部屋の隅に置いてあった道具を指した。
「それは置いていこう。ここで使ってたものだし、次に家を借りる人に使ってもらいましょう」
「そうだな。じゃあ、こっちへまとめておくよ」
グレンは私が持っていくと決めた荷物を、縄で結わき始めた。
大きな身体を屈めて、黙々と荷造りをする弟を見ていると、まだ少し不思議な気持ちになる。
数か月前までは、どこにいるのかも分からなかった。
今はこうして、一緒に故郷へ帰る準備をしている。
「グレン」
「何だ?」
「あなた、ここを離れるの、寂しくない?」
グレンは縄を結ぶ手を止めた。
「寂しくないと言えば嘘になるな。ずいぶん世話になったし、ここで知り合った人たちもいるから」
「そうだよね」
「でも、ドレナにも帰りたい。姉さんと一緒に戻れるなら、なおさらな」
「……うん」
私は畳んでいた服を荷物の中へしまった。
グレンにとっても、この村はただの仮住まいではなくなっているのだろう。
自分に何が起きたのか分からないまま、見知らぬ土地へたどり着いた。
そんなグレンを、村の人たちは受け入れてくれた。
私もここへ来てから、ずいぶん助けられた。
何もできずに家へ閉じこもっていた私が、こうして帰る準備をしていられるのも、グレンと村の人たちのおかげだと思う。
*
その日の夕方、以前野菜を届けてくれた女の人が家を訪ねてきた。
「明日、出発するんだってね」
「はい。今まで本当にお世話になりました」
「何を言ってるんだい。あんたたちには、こっちもずいぶん助けてもらったよ」
女の人は、手にしていた包みを私へ差し出した。
「これ、道中で食べておくれ。たいしたものじゃないけどね」
「そんな、もらってばっかりで……」
「遠慮することないよ。荷車で行くとしても、腹は減るだろう?」
断っても引き下がりそうになかったので、ありがたく受け取ることにした。
「ありがとうございます。大切にいただきます」
「グレンさんも、向こうで元気にやるんだよ」
「ああ。今までありがとう。本当に助かったよ」
「こっちこそ、世話になったね。身体には気をつけるんだよ」
「また人手が必要になったら、声をかけてくれ。すぐには無理だけど、機会があれば手伝いに来るから」
「そうしておくれ」
女の人は笑ってから、私の方を見た。
「あんたも無理しすぎるんじゃないよ。元気になったからって、何でもできるようになるわけじゃないんだからね」
「はい。気をつけます」
「グレンさん、ちゃんと見ててやっておくれよ」
「分かってるよ」
「ちょっと、二人とも。私は、子供じゃないんだから」
三人で笑った。
女の人が帰ったあと、私は受け取った包みを荷物のそばへ置いた。
「いい人だったね」
「ああ。俺がこの村に来た頃から、いろいろ世話を焼いてくれたんだ」
「そうだったんだ」
「姉さんが来てからも、心配してくれてたよ」
「……うん。知ってる」
私がようやく外へ出られるようになった日、井戸で会ったときのことを思い出した。あの人は、ずっと家に閉じこもっていた理由を尋ねなかった。
ただ、普通に話しかけてくれた。
あれがどれほどありがたかったか、今ならよく分かる。
荷造りを終える頃には、すっかり日が暮れていた。
夕食のあと、私は部屋の中を片づけ、最後に忘れものがないか確かめた。
グレンが使っていた寝台も、私が何か月も寝て過ごした寝台も、明日からは使わなくなる。ここへ来た日のことを思い出す。
グレンと再会して、フィンが死んだと知らされた。
あの日から、長い時間が経った。
最初の頃は、ここから出ていく日が来るなんて考えられなかった。
今でもフィンのことを考えれば泣いてしまうし、明日から普通に暮らせるという自信もない。それでも、帰ろうと思えるようになった。
私は寝台に腰を下ろし、隣の部屋にいるグレンへ声をかけた。
「グレン、明日は早いんでしょう?」
「ああ。朝のうちに荷物を積むらしいよ」
「じゃあ、もう寝ようか」
「そうだな。姉さん、おやすみ」
「おやすみ」
明日、私たちはこの村を離れる。
そう考えると、すぐには眠れなかった。
*
翌朝、家の前には荷物を積んだ荷車が止まっていた。
倉庫で見かけた男が、荷台に積んだ箱の縄を締め直している。
「おお、準備はできたか?」
「はい。よろしくお願いします」
「荷物はそれだけか?それなら載せられるな。そこの空いてるところに置いてくれ」
グレンが荷物を持ち上げ、男に確認しながら積み込んでいく。
私は最後に家の中を確かめてから、戸を閉めた。
振り返ると、倉庫の男や、何度か仕事を一緒にした村の人たちが集まっていた。
「元気でな、グレン!」
「ああ。みんなも元気で」
「ドレナでも仕事を頼まれるんじゃないか?」
「そうなったら、また働くさ」
「本当に働き者だなあ」
男たちが笑った。
私も一人ずつに挨拶をして回った。
何度も礼を言ったので、最後には何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
「また、顔を見せに来ますね」
倉庫の男にそう伝えると、彼は笑いながらうなずいた。
「当たり前だ。いつでも来な」
「ありがとうございます」
「今度は、もう少し元気な顔で来いよ」
「はい」
荷車の男に呼ばれ、私たちは荷台へ向かった。
先に乗り込んだグレンが、私の手を取って荷台へ引き上げてくれた。
腰を下ろすと、男が手綱を取った。
「それじゃあ、出るぞ」
荷車がゆっくり動き始めた。
私は村の人たちへ手を振った。
「みんな、ありがとう!」
何人もが手を振り返してくれる。
グレンも隣で手を上げていた。
家々が遠ざかり、村の入口を過ぎても、私はしばらく後ろを振り返っていた。
「姉さん」
「何?」
「また来ような」
私はグレンの顔を見た。
「……そうだね。また二人で来よう」
グレンがうなずいた。
今度来るときは、どんな暮らしをしているのだろう。
できれば、今より少しでも元気になっていたい。
そんなことを考えながら、私は荷車の前方へ向き直った。
*
ドレナまでの道中、私たちは荷物の積み下ろしに合わせて何度か休憩を取った。
荷車に乗っていられるのはありがたかったが、長く座り続けていると腰が痛くなる。休憩のたびに身体を伸ばしている私を見て、グレンが笑った。
「姉さん、歩いた方が楽なんじゃないか?」
「そんなわけないでしょう。歩いたら、もっと疲れるわよ」
「それもそうか」
「あなたは平気なの?」
「多少は疲れるけど、歩くよりはずっと楽だよ」
「身体が大きいと、こういうとき不便ね」
「今さらだな」
昔から、私たちはこんなやり取りをしていた。
フィンがいた頃は、あの子もよく話に加わってきた。
グレンの大きな身体をからかっては、逆に頭を撫で回されて怒っていた。
そんな光景を思い出すと、やっぱり寂しい。
けれど、今はグレンとの会話をやめずにいられる。
少し前なら、フィンのことを思い出しただけで、その日はもう何もしたくなくなっていただろう。
私も、少しは変わったのかもしれない。
途中の休憩中、グレンが私の隣へ座った。
「姉さん、ガルダ村の家はまだ残ってるんだよな?」
「うん。かなり壊れてたけど、家は残ってたよ」
「そうか。それなら、帰ってから使えるかもしれないな」
「そうだね。でも、掃除はしないと。しばらく誰も住んでないから」
「俺も手伝うよ」
グレンは少し考えてから続けた。
「父さんと母さんのものも、まだ残ってるんだろうか」
「……分からない。あのときは、あなた達の手掛かりを探すことで頭がいっぱいだったから」
「ああ、そうだよな」
私は、ガルダ村を訪れたときのことを思い返した。
壊された村。
人のいなくなった家々。
そして、誰も帰ってこない私たちの家。
「あ、そうだ。私、家に貼り紙をしてきたんだよ」
「貼り紙?」
「あなたとフィン宛てにね。もし戻ってきたら、私がネレイ港にいるって分かるように」
グレンが驚いた顔をした。
「そんなものを残してくれてたのか」
「だって、二人ともいつ帰ってくるか分からなかったから」
「そうか……」
「今も残ってるかな」
「どうだろうな」
あの貼り紙を書いたとき、私は二人がどこかで生きていると信じたかった。
グレンが帰ってきて、あれを読んでくれるかもしれない。
フィンも、いつか――。
私はそこで考えるのをやめた。
グレンが私の隣に座っている。
今は、そのことを大切にしようと思った。
*
ドレナに近づくにつれ、木材や石材を積み、町へ向かう荷車を見かけることが増えてきた。町へ入ると、以前壊れていた建物に新しい木材が組まれ、屋根を直している人たちの姿が見えた。
修理の途中らしい建物も多いが、町の人たちは少しずつ以前の暮らしを取り戻そうとしているようだった。
「だいぶ変わったな」
グレンがつぶやいた。
「そうね。私が最後に来たときより、修理が進んでるみたい」
「俺が傭兵をしてた頃は、あの辺りは店が並んでたんだ」
グレンは、建物が壊れたままになっている一角を指した。
「よく買い物に来た場所なんだけどな」
「そうだったね」
私も昔の町並みを思い出した。
けれど、今は以前と同じ場所だと分かるものの、建物の様子がずいぶん違う。
ザロスが残した被害は、まだ町のあちこちに残っている。
荷車が荷下ろしの場所に着き、私たちは荷物を受け取った。
「ここからは歩いて行けるか?」
「はい。大丈夫です」
「助かりました。ありがとう」
グレンも男に礼を言い、荷物を持ち上げた。
私たちが歩き出したところで、近くにいた人たちがこちらを見ていることに気づいた。最初は、大きな荷物を抱えたグレンが珍しいのだと思った。
けれど、違った。
「おい、あの男……身体の周りに何かまとわりついてないか?」
誰かが小声で言った。
グレンの身体を覆う赤。
フェルド村では当たり前のように受け入れられていたが、ここではそうはいかないらしい。通りかかった女の人が、グレンを見て足を止めた。
連れていた子供を自分のそばへ引き寄せ、少し離れていく。
グレンも気づいたようだった。
「姉さん、やっぱり驚かれるな」
「……そうね」
「仕方ないさ。俺にだって、自分に何が起きたのか分からないんだから」
グレンは落ち着いていた。
けれど、私はそう簡単には受け止められなかった。
この赤が何なのかは、まだ分からない。
でも、グレンが村の人たちを助けて、毎日働いていたことを私は知っている。
何か悪いことをしたわけでもないのに、怖がられているのが悔しい。
「姉さん、そんな顔するなよ」
「だって……」
「俺が普通に暮らしてるところを見てもらえば、少しずつ慣れてくれるさ」
「そんなに簡単かな」
「簡単じゃないかもしれない。でも、隠せるものでもないしな」
私はグレンを見上げた。
弟は、いつものように穏やかな顔をしている。
「……あなたって、昔からそういうところあるよね」
「どういうところだ?」
「自分のことなのに、あまり気にしないところ」
「気にしてないわけじゃないよ」
グレンは少し笑った。
「ただ、知らない人が怖がるのも分かるからな。俺だって、あの赤い化け物を見たときは、危険なやつだと思ったからな」
「……そうだね」
「だから、時間をかけて分かってもらうしかないさ」
私はうなずいた。
確かに、すぐに受け入れてもらえるとは限らない。
でも、グレンがこの町で暮らしたいと言うなら、私も一緒にいるつもりだ。
*
その日は町の宿に部屋を取ることにした。
荷物を運び込み、ようやく腰を下ろした頃には、二人とも疲れていた。
「明日はどうする?」
私が尋ねると、グレンは少し考えた。
「まずはガルダ村へ行ってみたいな。家がどんな状態なのか、自分の目で確かめたい」
「そうね。私も村がどうなってるのか、ちゃんと確かめたい」
「無理はしなくていいんだぞ」
「分かってる。でも、今度はちゃんと見ておきたいの」
以前ガルダ村へ行ったとき、私はグレンとフィンの手掛かりを探すことしか考えていなかった。家に戻っても、そこで暮らそうとは思えなかった。
あの家を、私一人の帰る場所にはしたくなかったから。
けれど、今は違う。
「グレン」
「何だ?」
「明日、家に行ったら、少し時間をもらってもいい?」
「ああ。構わないよ」
「父さんと母さんのこともあるし、フィンのことも……。きっと、すぐには片づけられないと思う」
「俺も同じだよ。あの村がどうなったのか、まだ自分の目で見ていないからな」
グレンはしばらく黙ってから続けた。
「姉さんが話してくれたことは分かってる。でも、実際に家へ帰ったら、どう思うのか自分でも分からない」
「……うん」
「だから、明日は二人で行こう」
「そうだね」
私は荷物の中から、明日使うものを取り出した。
ガルダ村へ戻る。
あの家に帰っても、以前のような暮らしには戻れない。
でも、今度はグレンと一緒に家の戸を開けることができる。
私は明日の準備を終え、荷物を部屋の隅へ寄せた。
何から始めればいいのかは、まだ分からない。
まずは、二人で家へ帰ってみようと思った。




