第6話 故郷へ
翌朝、出かける支度をしているグレンに、私は上着を手にしたまま声をかけた。
「グレン、今日は倉庫の仕事だったよね」
「ああ。村の人に頼まれてるんだ」
「私も行っていい?」
グレンは上着を着る手を止めた。
「一緒に来るのか?」
「うん。昨日は薪を束ねる手伝いもできたし、今度は村の仕事も手伝ってみようと思って」
「倉庫の荷物は重いものが多いぞ」
「重いものはあなたが運べばいいでしょう。私にできる仕事だってあるかもしれないじゃない」
グレンが笑った。
「そうだな。じゃあ、一緒に行こうか」
私は上着を羽織り、グレンと家を出た。
村の倉庫までは、それほど遠くない。
以前なら気にも留めなかった距離なのに、しばらく歩いたら足が重くなってくる。
グレンは私に合わせて歩いてくれていたが、途中で休もうとは言わなかった。
それがありがたかった。
倉庫に着くと、昨日グレンに声をかけてきた男が出迎えてくれた。
「おお、グレン。来てくれたか」
「ああ。今日は姉も連れてきたんだ」
「こんにちは。何か手伝えることはありませんか?」
男は私を見て、少し考えた。
「そうだな。今日は奥の荷物を整理したいんだが、運ぶだけじゃなくて仕分けもしなきゃならん。そっちを頼めるか?」
「はい。それならできると思います」
「助かるよ。ここのところ人手が足りなくてな」
倉庫の中では、古い木箱や布袋が棚から下ろされ、通路に並べられていた。
グレンは男と一緒に大きな箱を運び始めた。
私は床に置かれた荷物の中身を確かめ、男に教えられた場所へ仕分けしていく。
使える道具と、修理が必要なもの。
まだ中身の残っている袋と、空になった袋。
最初は一つずつ確認していたが、仕事の進め方が分かってくると、少しずつ手が動くようになった。
「そこの箱もお願いできるかい?」
「はい。今の分を片づけたら取りかかりますね」
「ああ。壊れ物が混じってるかもしれんから、気をつけてくれ」
箱の蓋を開けると、食器や小さな道具が布に包まれていた。
割れているものを脇へ除け、使えるものをまとめていく。
途中で何度か休みながら、午前中いっぱい働いた。
グレンは大きな棚を動かしたり、荷車へ荷物を積んだりしていた。
グレンの身体には、今も赤い色が纏わりついている。
初めて会う人なら驚くだろう。
でも、ここでは誰も騒がない。
「グレン、そっちの棚も頼めるか?」
「分かった。でも先にこの箱を積んでしまうよ」
そんな会話が当たり前のように交わされている。
グレンはもう、この村の住人として受け入れられているのだ。
それが少し嬉しかった。
*
昼近くになって、荷車を引いた男が倉庫へやって来た。
積み込む荷物を受け取りながら、倉庫の男と話をしている。
「今日はドレナまで行くのか?」
「ああ。向こうもまだ人手が足りないらしい。しばらくは運搬の仕事が続きそうだよ」
ドレナ。
久しぶりに聞いたその名前に、私の手は止まった。
「すみません。ドレナへ行かれるんですか?」
荷車の男が振り返った。
「ああ。あんた、ドレナの人か?」
「近くのガルダ村の出身です」
「ガルダ村か……。あそこはひどい目に遭ったな」
「はい」
男は荷車に積まれた荷物を確かめながら続けた。
「ドレナの方は、少しずつ元に戻ってきてるよ。壊れた家が多いから、まだまだ時間はかかるだろうけどな」
「ガルダ村は、どうなっているか知りませんか?」
「詳しくは知らんが、村へ戻って片づけを始めた人もいるって聞いたよ」
「そうですか……」
「あんたも戻るつもりなのか?」
「いえ、まだ……」
私は答えに迷った。
いつかは戻らなければならないと思っている。
ガルダ村には、父さんと母さんとフィンが暮らしていた家がある。
ザロスに襲われて、村は壊された。
ユイナたちと訪れたとき、その惨状を自分の目で確かめている。
何も知らないわけじゃない。
でも、あのときはグレンとフィンの手掛かりを探すことばかり考えていた。
もう一度あそこへ戻って、フィンがいないことを受け止められるだろうか。
「姉さん?」
気づくと、グレンがそばに来ていた。
「ああ、ごめん。何でもないよ」
「少し休むか?」
「うん。そうする」
私は倉庫の外に置かれた椅子へ座った。
グレンも荷物を運び終えると、隣に腰を下ろした。
「ドレナの話をしてたな」
「聞こえてた?」
「ああ。向こうも復旧が進んでるらしいな」
「そうみたいね」
私は少し考えてから、グレンに尋ねた。
「あなた、ドレナに戻りたい?」
「戻りたいさ。傭兵をしてた頃は、あそこが俺の生活の中心だったからな」
「そうだよね」
「姉さんは?」
「……まだ分からない」
グレンは何も言わずに待っていた。
「いつかガルダ村に戻らなきゃって思ってる。でも、戻って何をすればいいのかな」
「村の復興なら、俺も手伝えると思うよ」
「そういうことじゃなくて……」
自分でも、何を言いたいのかうまく説明できない。
「父さんも母さんもいない。フィンもいない。あそこに戻ったら、もうみんな帰ってこないってことを、また思い知らされる気がするの」
グレンはしばらく考えていた。
「俺も、村があんなことになったって聞いたときは、信じられなかったよ」
「……うん」
「俺はまだ、あの村が今どうなっているのか見ていないからな。でも、姉さん一人で戻るわけじゃないだろ」
私はグレンを見た。
「俺も一緒に行くよ。家族が暮らしてた場所なんだから、俺もどうなっているのか確かめたい」
「グレン……」
「何が残ってるのかは分からないけどな。帰ってから、できることを考えてもいいんじゃないか?」
私はすぐには答えられなかった。
グレンはフィンの死を知っている。
父さんと母さんが死んだことも、私から聞いている。
それでも故郷へ帰りたいと言う。
きっと、グレンにだって怖い気持ちはあるはずだ。
「……少し考えさせて」
「ああ。急がなくていいよ」
その日は午後の仕事を終えてから、二人で家へ戻った。
*
それからも私はフェルド村で暮らしながら、少しずつ仕事を手伝うようになった。
最初は倉庫の荷物を整理する程度だったが、村の人たちから頼まれることも増えていった。
もちろん、毎日働けたわけではない。
朝から身体を動かせる日もあれば、起き上がる気になれない日もあった。
フィンのことを思い出して、何も手につかなくなることもある。
そんな日は、グレンに今日は休むと伝えた。
以前なら、そんな自分が嫌になっていただろう。
でも、それでいいんだと思えるようになってきた。
ある日、倉庫の仕事を終えた帰り道で、以前野菜を届けてくれた女の人と会った。
「あら、今日は一人かい?」
「はい。グレンはまだ仕事を手伝ってます」
「そうかい。あんたもずいぶん元気になったね」
「おかげさまで。ご心配をおかけしました」
「そういう時もあるさ。今が元気ならそれでいいじゃないか」
女の人は笑いながら、手にしていた籠を持ち直す。
「そういえば、グレンさんから聞いたんだけど、いずれはドレナへ戻るんだって?」
「まだ決めたわけじゃないんですけど……」
「そうかい。寂しくなるねえ。それにあの人がいなくなると、力仕事を頼む相手を探さないといけないしね」
「本当に、グレンは働き者ですよね」
「あんたもだよ。倉庫の人も助かってるって言ってたよ」
思いがけない言葉に、少し照れくさくなった。
「ありがとうございます」
「まあ、帰る場所があるなら、いつまでもここに引き留めるわけにはいかないけどね」
女の人と別れたあと、その言葉を考えながら歩いた。
帰る場所。
私にとって、ガルダ村はまだそう呼べる場所なのだろうか。
家族と暮らしていた家は今も残っているが、以前の生活はもうない。
でも、あそこにはまだ村を立て直そうとしている人たちがいるらしい。
私だって、あの村で育った一人だ。
誰かが復興してくれるのを待っているだけでいいのだろうか。
帰ったところで、父さんも母さんもフィンもいない。
それは分かっている。
でも、グレンがいる。
二人なら、できることがあるかもしれない。
*
グレンと再会してから、四か月ほどが過ぎた頃だった。
夕食を終えたあと、私はグレンに話しかけた。
「ねえ、グレン。そろそろドレナへ戻ろうと思うんだけど」
グレンが顔を上げた。
「決めたのか?」
「うん。ここにいても、いつも村のことが気になると思うの」
「そうか」
「それに、ガルダ村の復興が始まってるなら、私も手伝いたい。あそこで暮らしてたんだから」
グレンはうなずいた。
「俺も手伝うよ。力仕事なら、少しは役に立てるだろう」
「少しどころじゃないでしょう。あなた、ここでもずいぶん頼りにされてるんだから」
「そうか?」
「自覚ないの?」
グレンは笑った。
私も少し笑ってから、続けた。
「ただ、一つ心配なことがあるの」
「何だ?」
「あなたが纏っている赤のことよ。フェルド村の人たちは受け入れてくれてるけど、ドレナではどうか分からないでしょう?」
「ああ。それは俺も考えてた」
「ザロスに襲われた人たちが、赤を纏ったあなたを見たら……」
そこまで言って、口を閉じた。
私だって、グレンの赤を見るとザロスを思い出す。
何も知らない人が怖がっても、不思議ではない。
「隠すわけにもいかないしな」
グレンは自分の身体を確かめた。
「でも、俺はドレナへ戻りたい。向こうには世話になった人たちがいるし、何か言われたとしても、丁寧に説明するよ」
「あなた自身が覚えていないことも多いでしょう」
「それは仕方ないさ」
グレンらしい答えだった。
「……そうね。私も一緒に説明するよ」
「助かる」
「それと、ドレナへ戻ってからのことも考えないとね。あなたはまた傭兵の仕事をするつもり?」
「今すぐには決められないな。しばらくは村の復興を手伝いたいし、自分の身体のことも気になる」
「私も、まずはガルダ村のことを考えたい」
帰ってから何をするか、全部決まったわけではない。
でも、帰ろうという気持ちは固まった。
「じゃあ、明日から準備を始めようか」
「そうね。村の人たちにも、お世話になったお礼を言わなきゃ」
グレンはうなずき、食器を片づけ始めた。
私はその隣で、何から荷物をまとめようかと考えた。
フェルド村へ来たときは、弟たちを探すための荷物しか持っていなかった。
今はグレンがいる。
この村で増えた持ち物もあるから、荷物をまとめるには少し時間がかかりそうだ。
二人でドレナへ戻る。
*
翌日、私は倉庫の男に、近いうちに村を離れるつもりだと伝えた。
「そうか。残念だが、仕方ないな」
「今までありがとうございました」
「礼を言うのはこっちだよ。ずいぶん助けてもらったからな」
男は少し考えてから言った。
「ドレナへ行くなら、荷車に乗せてもらえるか聞いてみようか?こっちからも時々荷物を送ってるからな」
「いいんですか?」
「空きがあれば、だけどな。歩いて行くよりは楽だろう」
「ありがとうございます。助かります」
「グレンにも伝えておいてくれ。出発するまでに、もう一度くらい仕事を頼むかもしれんが」
「はい。きっと喜んで引き受けますよ」
男が笑った。
私は倉庫を出て、家へ向かった。
途中、顔見知りの人たちにも声をかけ、ドレナへ戻ることを伝えた。
これまでお世話になったお礼も、一人ずつ伝えた。
別れ際に、「また会えるといいね」と言葉を交わした。
そんなやり取りを重ねるうちに、フェルド村を離れるのが少し惜しくなってきた。
ここは、何も知らずにやって来た村だ。
でも、グレンと再会できた場所でもある。
フィンが死んだと知り、何か月も塞ぎ込んだ場所でもある。
村の人たちに助けられて、ようやく普通の生活を取り戻し始めた。
今の私にとって、もう見知らぬ村ではない。
夕方、グレンが帰ってきた。
「姉さん、どうだった?」
「みんなに話してきたよ。倉庫の係の人が、ドレナまで荷車に乗せてもらえないか聞いてくれるって」
「それはありがたいな」
「出発するまでに、もう一度くらい仕事を頼むかもしれないとも言ってたよ」
「構わないさ。今まで世話になったんだからな」
予想どおりの答えに、私は笑った。
「そう言うと思った」
グレンは手を洗ってから、私の隣に座った。
「姉さん、ガルダ村に戻るのは怖くないか?」
突然の言葉に、少し驚いた。
「……怖いよ」
私は正直に答えた。
「村へ戻ったら、きっとまた父さんや母さんのことを思い出すと思う。フィンのことだって」
「ああ」
「でも、大丈夫になるまで待ってたら、いつ帰れるか分からないもの」
グレンは黙って聞いていた。
「帰ったら、泣く日があると思う。でも、できることを少しずつやっていきたい」
「そうだな」
「あなたも一緒に帰ってくれるんでしょう?」
「もちろんだよ」
その返事を聞いて、私はうなずいた。
フィンは帰ってこない。
父さんも母さんも、もういない。
それは、これからも変わらない。
でも、グレンは帰ってきてくれた。
今度は私たちが、故郷へ帰る番だ。
私は立ち上がり、荷物をまとめるために寝台のある部屋へ向かった。




