第5話 赤の加護
翌朝、薪を割る音で目が覚めた。
グレンはもう外で仕事を始めているらしい。
寝台から起き上がり、昨日の約束を思い出した。
薪をまとめるのを手伝う。
自分から言い出したことだけれど、朝になってみると、昨日ほど身体を動かす気にはなれない。もう少し寝ていようかとも思った。
でも、グレンは私が来ると思って仕事を始めているかもしれない。
しばらく迷った末、着替えて外に出た。
「おはよう」
グレンは薪割り台の前にいた。
「おはよう、姉さん。よく眠れたか?」
「まあまあね。もう始めてたの?」
「ああ。先に始めてた」
足元には、割り終わった薪が積まれている。
「ずいぶんあるじゃない」
「全部やらなくてもいいぞ。できるところまででいいから」
「分かってるわよ」
そう言ってしゃがみ込んだものの、何から始めればいいのか分からない。
薪を束ねるくらい、簡単にできると思っていた。でも、大きさも長さもばらばらで、適当に重ねると崩れてしまう。
「グレン、これ、どうやってまとめてるの?」
「長さの近いものを選んで、向きを揃えるんだ。細いのばかりだと崩れやすいから、太いのも混ぜた方がいい」
「そういうのは最初に言ってよ」
「そうかあ? 姉さんならできると思ったんだよ」
「やったことないわよ」
グレンが笑った。
私は薪を並べ直し、用意されていた縄で結わく。
ところが、持ち上げようとした途端、何本か抜け落ちてしまった。
「ああ、もう!」
「きつく縛らないとな。押さえておくから、もう一度締めてみてくれ」
グレンに手伝ってもらいながら、ようやく一束できあがった。
「これでどう?」
「いいんじゃないか」
「本当に?」
「持ち上げても崩れなければ大丈夫だ」
試しに持ち上げてみる。
今度は崩れなかった。
「できた」
「ああ」
「まだ一つだけだけどね」
「最初はそんなものだろ」
グレンは再び薪を割り始める。
私はその隣で、次の束を作る。
途中で何度か縄を締め直したが、二束目は一人でまとめることができた。
三束目をまとめ終えた頃には、腕が疲れてきた。
こんな仕事くらいで疲れるなんて。
以前なら、もっと長い時間働けたはずだ。
でも今日は、途中で投げ出したくなかった。
「姉さん、少し休んだらどうだ?」
「あと一つだけ」
「無理しなくていいんだぞ」
「無理してないわよ。これが終わったら休むから」
グレンはそれ以上言わなかった。
私は四束目をまとめ終えてから、家の前に置かれた椅子に腰を下ろした。
腕がだるい。
でも、自分の手で薪をまとめられたことは、悪い気分ではなかった。
グレンは割った薪を片づけてから、私のところへ来た。
「疲れたか?」
「少しね。ずっと家にいたから、身体が鈍ってるみたい」
「少しずつ戻せばいいさ」
「そう簡単に戻るかな」
「急ぐ理由もないだろ」
グレンはそう言って、私の隣に座った。
しばらく二人で休んでいると、村の中を歩いてきた男が声をかけてきた。
「グレン、今日はもう終わりか?」
「ああ。午後からなら手が空くけど、何かあるのか?」
「いや、急ぎじゃないんだ。明日、倉庫の荷物を動かしたいんだが、手を貸してもらえないかと思ってな」
「分かった。朝からか?」
「ああ。助かるよ。じゃあ、頼むな」
男は私にも軽く挨拶して、村の奥へ歩いていった。
「本当に頼りにされてるのね」
「力仕事が多いからな。俺に向いてるよ」
「あんたは身体が大きいからね」
「姉さんには、よく邪魔だって言われたな」
「狭いところに立たれると通れないんだもの」
「今も変わらないだろ」
「そうね」
私は笑った。
グレンも笑っている。
昔と変わらないやり取りができることを、少し嬉しく思った。
それから、ふとグレンの全身を覆う赤い色が気になった。
再会した日から視界には入っていたが、あのときはグレンが生きていたことと、フィンが死んだことで頭がいっぱいで、ほかのことにまで目を向ける余裕がなかった。
その後も、グレンの身体に何が起きているのか、詳しく聞いたことはない。
私はしばらく迷ってから聞いてみることにした。
「ねえ、グレン。その赤いの、まだ消えないんだね」
「あか?」
「ああ、そうか。赤って言ってもわからないね。その身体の周りにある普通とは違う色のことだよ」
グレンは自分の身体を見下ろした。
「ああ、あかって言うのか。身体を洗っても、これは消えないんだよ」
「最初からそうだったの?」
「気がついたときには、もうこうだったよ。最初は身体中にもっと濃いものが付いてたんだ。洗ったら大半は落ちたけど、身体の周りにあるこれだけはどうしても消えない」
「痛かったりしないの?」
「痛みはないよ。村の仕事も普通にできるしな」
「そう……」
グレンが無事に暮らせているのは分かっている。
けれど、この大陸で赤い色が何を意味するのか、私は嫌というほど知っている。
「怖くないの?」
「何が?」
「その赤よ。フィンを殺した化け物も、赤かったんでしょう?」
グレンの表情が変わった。
「……ああ」
「自分の身体に同じような色があるなんて、気持ち悪くない?」
「気にならないわけじゃないさ。でも、どうしようもないしな」
私はグレンの全身を覆う赤をもう一度見た。
赤い色は残っている。
でも、目の前にいるのは間違いなく私の弟だ。
「私は、ちゃんと調べた方がいいと思う」
「そうだな」
「今まで気にしてあげられなくて、ごめん」
「姉さんはそれどころじゃなかっただろ」
グレンは責める様子もなく言った。
その言葉がありがたかった。
でも、いつまでも弟に甘えているわけにはいかない。
フィンのことを考えると、今でも何もできなくなる日がある。
でも、グレンは生きて帰ってきてくれた。
私には、まだこの弟のためにできることがあるはずだ。
*
昼食を終えてから、私は洗濯物を畳んでいた。
椅子に掛けてあったグレンの上着を片づけようとすると、そのそばに赤い飾りのついた首飾りが置いてあることに気づいた。
身体を覆う赤とは違う。
グレンが自分で身に着けているものらしい。
「ねえ、これ、何?」
私は首飾りを手に取った。
グレンがこちらを見る。
「ああ、それか」
「前から持ってたっけ?」
「いや。昔からの持ち物じゃないよ」
「どこで手に入れたの?」
グレンは少し考えた。
「最初に意識が戻ったとき、近くに落ちてたんだ」
「拾ったの?」
「ああ。自分の身体と同じ色をしてたんで、何か関係があるかもしれないと思って持ってきた」
「そうだったの」
私は飾りをもう一度確かめた。
赤い色を持つものを、グレンが拾った。
それも、記憶を失ったあとに。
「危ないものじゃないの?」
「特に、何も起きてないよ」
「そういう問題じゃないでしょう。得体の知れないものを身に着けてたら、何が起きるか分からないじゃない」
「姉さんの言うことも分かるけど、これを捨てたら、手掛かりが一つなくなるだろ」
確かにそうだ。
グレンは赤い化け物に向かっていったあと、何が起きたのか覚えていない。
記憶が戻らない以上、身体に残った赤と、この飾りが数少ない手掛かりになる。
「分かった。でも、何かおかしなことがあったら、すぐ外してよ」
「ああ、そうする」
私は首飾りをグレンに返した。
そのとき、一つ気になっていたことを思い出した。
「グレン。あなた、あの赤い化け物がどうなったか知らないんだよね?」
「俺はやつに向かっていったところから覚えていないからな。どうなったんだ?」
「私が一緒に旅をしていた、ユイナとロアっていう二人が倒したの」
グレンが驚いた顔をした。
「倒した?」
「うん。あの化け物にはザロスっていう名前があって、始原と呼ばれる存在だったの」
「始原?何だ、それは?」
「私も彼らと旅をするまでは知らなかったんだけど、普通の人間とは違う、特別な色の力を持つ存在なの。ザロスは赤の始原だったんだって」
「そうだったのか……。そんな相手を、二人が倒したのか」
「そうよ」
グレンはしばらく黙っていた。
「姉さんも、二人と一緒にあの化け物を調べていたのか?」
「そうよ。ザロスを倒すために、いろいろ調べてきたんだから」
「そうか。姉さんも、ずっと大変だったんだな」
「私はいいのよ。それより、あなたがあの化け物に向かっていったことと、今こうして赤を纏っていること、何か関係があるのかもしれない」
「俺もそう思う」
「ユイナとロアなら、何か分かるんじゃないかな」
「二人は今、どこにいるんだ?」
「アウレスタ大陸へ行ったよ。文香っていう人を探してるの」
「アウレスタか。ずいぶん遠いな」
「そうね。海を渡らなきゃいけないし」
私は少し考えた。
ユイナたちと別れてから、もう何か月も経っている。
今、あの二人がどこにいるのかも分からない。
ただ、ユイナは文香を探して旅を続けると言っていた。
どこへ向かったのか、まったく知らないわけではない。
「グレンのこと、二人に知らせたいな」
「俺が見つかったことか?」
「それもあるけど、身体の赤や記憶のことも。あの二人なら、何か分かるかもしれないでしょう」
「そうだな。俺も一度話してみたい」
グレンは自分の身体を見下ろした。
「この赤が何なのか、どうして俺が生きてここにいるのか、ずっと分からないままだからな」
「……うん」
私は椅子に座った。
ザロスが倒されたと聞いたとき、グレンはどう思ったのだろう。
フィンを殺した相手だ。
憎くないはずがない。
「ねえ、グレン」
「何だ?」
「ザロスが死んだって聞いて、どう思った?」
グレンは少し間を置いた。
「正直に言うと、まだ実感がないんだ」
「そう……」
「フィンを殺した相手が、もういない。そう聞いて安心したところもある。でも、自分に何が起きているのか分からないし、あいつがいなくなったところで、フィンは帰ってこない」
私は黙って聞いていた。
「でも、あの化け物がもう誰も襲わないのなら、それはよかったと思うよ」
「……そうだね」
グレンは私の隣に座った。
「姉さんは?」
「私は……」
すぐには答えられなかった。
ザロスが死んだときは、これでようやく弟たちを探せると思った。
あの化け物がいなくなった今なら、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
そう信じていた。
探し続けた末に、グレンとは再会できた。
でも、フィンはもういなかった。
「まだ、よかったなんて思えないかな」
「そうか」
「ザロスが死んだことは嬉しいよ。父さんも母さんも、フィンも殺したんだから。でも、そう思ったところで、何も戻ってこないし……」
そこから先を続けられなかった。
グレンは黙って私の話を待っていた。
「ごめん。うまく言えない」
「無理しなくていいよ」
「……うん」
しばらくして、グレンが立ち上がった。
「姉さん、午後は休んでてくれ。俺は村の仕事を少し手伝ってくるよ」
「うん。行ってらっしゃい」
戸口まで歩いたところで、グレンが振り返った。
「姉さん」
「何?」
「俺も、自分に何があったのか知りたいと思ってる」
「……うん」
「でも、今すぐにどこかへ行かなくてもいいさ。姉さんだって、まだ無理はできないだろ」
私は少し考えてから、うなずいた。
「そうだね。もう少し、ここにいさせて」
「もちろんだよ」
グレンはそう言って出かけていった。
私は机の上に置かれた食器を片づけた。
今までの私は、フィンのことばかり考えていた。
もちろん、忘れられるはずなんてない。
でも、グレンの身体に何が起きているのか、調べることはできるかもしれない。
帰ってきた弟のために、何かしてあげたい。
そう思えたのは、久しぶりだった。
いつかドレナへ戻ろう。
ガルダ村のことも、放っておくわけにはいかない。
その前に、もう少し身体を動かせるようにならなきゃ。
私は戸を開け、朝まとめた薪をもう一度確かめた。
四束とも、ちゃんと形を保っている。
まだ少し疲れていたけれど、明日も何か一つ、自分にできることをやってみようと思った。




