第3話 残された二人
朝になったことは、窓から入る日差しで分かった。
昨夜はほとんど眠れなかった。布団にくるまったまま、いつの間にか朝を迎えていた。起き上がる気にはなれなかった。身体は重いのに、頭の中は昨夜のままだった。
フィンは死んだ。
考えないようにしても、そこへ行き着く。
グレンが見つけたときには、もう身体の半分ほどが消えていた。それでも息はあって、グレンのことも分かっていた。
帰りたいと言った。
私に謝っていた。
昨夜グレンから聞いた話をそこまで思い返したところで、布団を顔まで引き上げた。隣の部屋から物音が聞こえた。しばらくして、部屋の戸が開いた。
「姉さん、起きてるか」
返事をしなかった。
グレンは部屋へ入ってきたが、寝台のそばまでは来なかった。
「水、ここに置いていくぞ」
机に器を置く音がする。
「食べ物もある。食べられそうなら食べてくれ」
「……いらない」
「分かった」
それだけ言って、グレンは部屋を出た。食べろと何度も言われると思っていた。
昔なら、私の方が弟たちにあれこれ言っていた。朝は食べろとか、出かけるなら行き先を言えとか、遅くなるなら誰かに伝えろとか。
フィンはそういうことをうっとうしがっていた。
グレンはいつも文句を言わずに聞いていた。
今、すぐ隣にはグレンがいる。でも三人だった頃を思い出すと、あの頃の二人が遠くへ行ってしまったような気がする。
私は布団の中で膝を抱えるように身体を丸めた。
昼を過ぎても、机の食べ物には手をつけなかった。
水だけは飲んだ。喉が渇いていたから飲んだだけで、生きるために何かしようと思ったわけではない。
外から薪を割る音が聞こえてくる。
一定の間隔で音が続き、しばらく止まって、また始まる。グレンは昨日と同じように村の仕事を手伝っているらしい。
どうして普通に動けるのだろう。
一瞬そう思って、すぐにそう考える自分が嫌になった。
フィンが死んだのは昨日のことじゃない。
グレンはもっと前に、腕の中でフィンを失っている。そのあとザロスに向かっていき、記憶を失った。何があったのか分からないまま、この村にやって来た。
私が知らなかっただけだ。
グレンはもう、フィンの死を受け入れられたのだろうか。
夕方近くになって、グレンが戻ってきた。
机の上を見て、食べ物がそのまま残っていることに気づいたらしい。けれど何も言わず、冷めた食事を持って部屋から出ていった。
「グレン」
自分から呼んだのに、何を言おうか決めていなかった。
戸口でグレンが止まる。
「何だ?」
「……昨日」
「ああ」
「私、あなたにひどいこと言った」
グレンは返事をしなかった。
「何で助けなかったのって。あなたがそこにいたのにって」
「……」
「あなたのせいじゃないってことは分かってるの」
言葉にした途端、また涙が出てきた。私は手の甲で拭った。
「分かってるのに、あのときは本当にそう思った。グレンが見つけたなら、連れて帰ってきてよって。どうしてフィンも一緒に連れてきてくれなかったのって」
「姉さん」
「最低だよね。あなたもフィンを助けたかったに決まってるのに」
「……」
「でも――」
「俺も自分を責めたよ」
私は顔を上げた。
「もっと早く見つけていればとか、あのとき何かフィンのためにできることがあったんじゃないかとか。何度も考えた」
「……」
「でも、何を考えてもフィンは戻らない」
グレンの言い方はとても静かだ。
自分を納得させるために言っているようには聞こえない。ただ、ずっと一人で考えてきたことを話しているように思えた。
「だから、姉さんは俺を責めてもいい」
「……」
「それくらい言われても仕方ないと思ってる」
「……」
そう言うと、グレンは黙った。
「あなたまでいなくなったと思ってたの。ずっと二人を探してた。昨日やっとあなたに会えて、本当に嬉しかったのに、すぐフィンは死んだって言われて……何をどう考えればいいのか、分からない」
「ああ」
「グレンが生きてて嬉しいって思うと、フィンのことを忘れてるみたいな気がする。フィンのことを考えると、今度はあなたと再会できたことを喜んじゃいけないみたいになる」
自分でもおかしなことを言っていると思う。
そんなはずはない。
二つは別のことだ。
頭では分かっているのに、心の中ではきれいに分かれてくれない。
グレンは少し考えてから言った。
「俺は、姉さんにまた会えてよかったよ」
「……うん」
「フィンが死んだこととは別だ」
「分かってる」
「すぐに整理できなくてもいいだろ」
私はグレンを見た。
「……そうだね」
それ以上、話は続かなかった。
グレンも無理に話を広げてこなかった。
翌日も、私はほとんど家の中で過ごした。
次の日も、その次の日も。
グレンは朝になると必ず水と食事を用意してくれた。昼は村の仕事を手伝い、夕方に戻ってくる。私が食べていなくても何も言わない。ただ、次に持ってくる量は少し減らされた。残すことを前提にしたのだと思うと腹が立ったが、実際に食べないのだから文句は言えない。
四日目の昼、空腹は感じなかったが、身体に力が入らなくなった。
寝台から立ち上がったところで足元がふらつき、壁に手をついた。その拍子に、壁際の小さな棚が揺れて音を立てた。
その音を聞いたのか、外にいたグレンが入ってくる。
「姉さん?」
「大丈夫」
「大丈夫には見えない」
「寝てれば治る」
「食べてないからだろ」
「分かってる」
グレンは机の上の器を私の近くへ持ってきた。
「全部食べろとは言わない。少しでもいいから」
「……食べたくない」
「食べたいかどうかじゃなくて、身体がもたない」
言い返そうとしたが、立っているだけで精一杯で、言葉が出てこなかった。
私は寝台へ座り直す。
「偉そうに」
「俺はちゃんと食べてるからな」
「そういう意味じゃない」
少しだけ腹が立った。
その腹立たしさが、昨日までとは少し違うものに思えて、余計に嫌になる。
こんな軽口を普通に言い返せる自分がいる。
フィンが死んだのに。
器を受け取ったまま動けずにいると、グレンが向かいの壁際に座った。
「見てなくていいよ」
「ああ」
「いるじゃない」
「一人にはしないって言ったからな」
「……頑固ね」
「ああ」
私はしばらく器を持っていた。
やがて一口だけ食べた。
味はほとんど分からなかった。
グレンは何も言わない。
二口目を食べる。
そこで限界だった。
「もう無理」
「分かった」
器を返すと、グレンは何も言わずに食事を下げた。
食べられたからといって、何かが変わるわけじゃない。
フィンがいないことも、父さんと母さんがいないことも変わらない。明日になれば元気になれるとも思えない。
それでも、その日の夜、私はもう一度食べ物を口にすることができた。
*
フェルド村に来てから何日目なのか、途中から数えなくなった。
朝が来ればグレンが起きて、作業に行く。
夕方になれば戻ってくる。
私が話したくない日は、必要なこと以外は何も言わない。
夜眠れずにいるとき、隣の部屋からグレンの寝返りを打つ音が聞こえることがあった。
その音を聞くと、少しだけ安心した。
グレンは、ちゃんとここにいる。
けれど、グレンがここにいると実感するたび、フィンはもういないのだという事実も思い知らされる。
私はまだ、そこから抜けられなかった。




