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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第11章 黄の使徒
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第8話 途切れた記憶

 王城の門が見えたところで、ルシエルはようやく足を緩めた。

 走り続けたせいで、呼吸が乱れている。それでも立ち止まる気にはなれない。


 早く報告しなくては……。

 手にした弓には、もう加護はない。

 

 弦も弓身も壊れておらず、矢を射ることはできる。

 だが、今は自分の弓より気になることがある。

 

 セラフィンだ。

 

 槍の加護を失ったあとも、彼は戦い続けていた。ところが本人の加護が消えた途端、戦う理由も、受けた命令も分からなくなった。

 あれは一体、何だったのか。


「……何なのよ」


 門にいた兵が駆け寄ってくる。


「ルシエル将軍?」

「通して」


「レグルス将軍とセラフィン将軍は?」

「あとから戻るわ」


 兵は弓を見て、何かに気づいたようだった。


「その弓……」

「今はいい」


 それ以上話さず、城内へ入る。

 誰かに説明するより先に、報告しなければならない。


 レグルスから受けた命令でもある。

 城へ戻り、状況を報告しろ。


 その相手が誰なのかを、ルシエルは知っている。

 城の奥へ進む。廊下に人影はない。


 迷うことなく階段を上がる。

 この先へ行くのは初めてではない。


 角を二つ曲がり、一つの扉の前で止まった。

 扉を二度叩く。


「入れ」


 声を聞き、ルシエルは扉を開けた。

 エルディンは机のそばに立っていた。


「戻りました」


 エルディンは、ルシエルだけが戻ってきたことに訝しげな表情を浮かべた。


「レグルスは?」

「まだ戦場に残っています。セラフィンもです」


「なぜお前だけ戻った?」

「レグルスの命令です。状況を閣下に報告しろと」


 エルディンは黙って報告の続きを待った。


「任務は失敗しました」


 口にした瞬間、悔しさが込み上げてくる。


 王に仕える七人の使徒のうち、三人が派遣された。

 それでも、ユイナたちを討つことはできなかった。


「セラフィンが加護を失いました」


「槍か?」

「両方です」


 エルディンの眉がわずかに動く。


「本人の加護も?」

「はい」

「それで?」


 その言い方に、ルシエルはわずかに違和感を覚えた。セラフィンが加護を失ったと聞けば、普通なら本人の無事を気にするはずだ。

 だがエルディンが尋ねたのは、そこではなかった。


「……戦うのをやめました」

「自分から?」

「違います」


 あのときのセラフィンの顔が浮かぶ。


「自分が何をしているのか分からなくなったようでした。私たちに、誰の命令なのかと聞いてきました」

「そうか」


 それだけだった。

 驚きもしないし、聞き返しもしてこない。

 ルシエルは思わずエルディンの顔を見た。


「驚かないんですね」

「何にだ?」


「セラフィンです。本人の加護が消えた途端、命令を忘れたんです」


「それは今聞いた」

「なら――」


 ルシエルは言葉を止めた。

 おかしい。


 自分はセラフィンと何年も共に王に仕えてきた。

 あんなセラフィンは初めてで、今も頭から離れない。

 なのにエルディンは、まるで起こり得る結果を確認しただけのように見える。


「何かご存じなんでしょうか?」


 エルディンは答えなかった。


「セラフィンに何が起きたのか、閣下は知っているんですか?」

「お前の加護は?」


「私には残っています。失ったのは弓の加護だけです」

「なるほど」


 その言葉にも、ルシエルは引っかかった。


「弓の加護が消えても、お前は任務を覚えている」

「当然です」


 答えたあと、ふと疑問が浮かんだ。

 なぜそんなことを確認するんだ?


「レグルスはどうなっている?」

「私が離脱した時点ではまだ戦っていました」


「本人の加護は?」

「残っていました」

「そうか」


 エルディンは少し黙った。

 やがて、机の上に置かれていた書類へ手を伸ばしかけ、やめた。


「なら、もう長くはかからないかもしれないな」


「何がです?」

「いや」


「今、何て――」

「任務は中止だ」


 ルシエルは言葉を失った。


「……何ですって?」

「三人を討つ必要がなくなった」

「待ってください」


 一歩、エルディンへ近づく。


「レグルスはまだ戦っています。私も戻れます。弓の加護は失いましたが、射ることはできます」


「もう戻る必要はない」

「なぜですか?」


「状況が変わった」

「何が変わったんです?」


 答えは返ってこない。

 ルシエルの中にあった違和感が、警戒へと変わり始めた。


「そもそも――」


 口にしかけて止まる。

 自分たちは、なぜユイナたちを討とうとしていたんだ。


 命令を受けた。

 それは覚えている。


 三人がルミナ王に害をなす可能性がある。

 そう認識していたことも覚えている。


 では、彼らがいったい何をした?

 ユイナたちが王を襲ったところを見たのか。


 王城へ侵入したのか。

 誰かを殺したのか。


 何一つ浮かんでこない。


「……あの三人は、何をしたんですか?」


 エルディンは何も言わない。


「私たちは、あの三人が王に害をなすと聞きました。でも私は、それを示すものを一つも見ていません」


「そんなことは気にする必要はない」

「あります」


 今度はすぐに返した。


「私は王の使徒です。王のために戦います。そのために授かった加護であって、理由もなく人を殺すためのものじゃありません」


 エルディンの顔から、初めて表情が消えた。


「誰が、あの三人を危険だと判断したんですか?」


 返事はない。


「王ですか?」


 自分で口にしながら、それは違うと思った。

 ルミナ王から直接命じられたなら、それを忘れるはずがない。


「私は王から、あの三人を討てと命じられていません」


 言葉にすると、それは確信に変わった。

 レグルスもセラフィンも、王から命令を受けたとは話していなかった。


「では誰が――」


 ルシエルは目の前の男を見る。

 答えは、最初からここにあったのだ。


「あなたが命じたんですね?」


 エルディンは否定しなかった。

 その沈黙だけで十分だった。


「……どうして」

「ルシエル」

「どうして私たちに、あの三人を殺させようとしたんです?」


 声が少し強くなる。


「王の命令でもないのに、私たちを――」

「もういい」

「よくありません」


 ルシエルは引かなかった。


「セラフィンは加護を失って、命令を忘れた。あなたはそれを聞いても驚かなかった。レグルスの加護についても、まるで何が起こるか知っているような言い方をした」


 エルディンは黙って聞いている。


「あなたは私たちに何をしたんですか?」


 静かな声が返ってきた。


「全て終わったことだ」

「私には終わっていません」


 ルシエルは弓を握る指に力を込めた。


「私はさっきまで、理由も分からず人を殺そうとしていたんですよ」

「理由なら与えた」

「与えた?」


 その言葉で、ルシエルの警戒が一気に強まる。


「何を……言っているんですか」


 エルディンがこちらへ一歩近づいた。

 反射的にルシエルも身構える。


「そこで止まってください」


 エルディンは止まらなかった。


挿絵(By みてみん)



「止まって!」


 ルシエルは矢を一本取り出し、弦につがえた。

 加護はなくても射ることはできる。

 だが、エルディンはそんなことをまるで気にしていない。


「もう、お前が覚えている必要はない」

「何を――」


 ふいに、夢から覚めたような感覚がした。


 ここはどこだ?


 それに、目の前にいるこの男は誰だ?


 そこで、自分が目の前の男に弓を向けていることに気づいた。


 私は何をしている?


 そして、手にした弓から黄の加護が消えていることに気づいた。

 なぜ加護が消えている?


 自分の身体には、まだ黄の加護が残っている。

 ここに来るまで何をしていたのか、まるで思い出せない。


「……あなたは、誰ですか?」


 男は答えない。

 思い出そうとしても、何も出てこない。


 ルシエルは一歩退いた。

 知らない男が、自分を見ている。


 それなのに自分は、なぜかこの男と二人きりで部屋にいる。

 弓を握る手に汗が滲んだ。


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