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畫界アルカディア  作者: 三島 唯奈
第11章 黄の使徒
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第7話 理由なき刃

 誰も、すぐには動けなかった。レグルスを覆っていた黄の加護はすでに消え失せている。だが、手にした長剣には、いまだ黄の加護が残っている。


 つい先ほどまで、その剣でロアの命を奪おうとしていたのだ。たとえレグルスから敵意が消えたように見えても、油断などできるはずもない。ロアは短剣を構えたまま、慎重に間合いを保ち続けた。


 しばらくして、レグルスが手にした長剣を見る。


「この剣には、まだ加護が残っているな」

「ああ」


 セラフィンが答えた。


 レグルスは次に、セラフィンの槍を見る。

 槍にも、セラフィン自身にも、もう黄の加護は残っていない。


「お前は、槍の加護まで失ったのか」

「ああ。槍も、俺自身もな」


 レグルスは戸惑うように左胸に手を当てた。私が緑を撃ち込んだ場所だ。


「俺も身体の加護を失っている。だが……いつ、こうなった?」


 セラフィンが黙る。


「俺は、自分の加護が消えたときのことを覚えていないが、お前はこいつらと戦って加護を失った」


 レグルスがおもむろに顔を上げ、私たち三人を見回す。


挿絵(By みてみん)


「この状況を見れば戦っていたことは分かる。だが……どうして俺たちが戦っていたのか、肝心の理由が思い出せない」

「俺も同じだ」


 セラフィンが険しい顔で続ける。


「こいつらと戦う理由があったはずなんだが、そこが記憶から抜け落ちている」 「なら、少し確認させてほしいんだけど」


 セレンが二人をまっすぐに見据えた。


「自分が何者なのかは分かってる?」

「当然だ」


 レグルスは迷いなく答えた。


「俺はレグルス。ルミナ王配下の『七人の使徒』の一人だ」

「俺もだ。セラフィン。王より加護を授かった身だ」


「……じゃあ、ルシエルのことも覚えている?」

「ああ、俺たちと同じ使徒の一人だ」


「ルミナ王のことは?」

「もちろん、覚えている」


 レグルスは答えた。


「王に仕えていることも、使徒としての役目もすべてな」

「じゃあ――私たちのことは?」


 レグルスは探るような目を私たち三人へ順に向ける。


「覚えていない」

「でも、戦う前から私たちの名前をご存じでしたよ」


 私がそう告げると、レグルスの眉間にしわが寄った。


「俺が、お前たちの名前を?」

「はい。宿に私たちを訪ねてきたとき、あなたは私たちの名を正確に口にしていました」


 横で聞いていたセラフィンも、息を呑んでこちらを見る。


「……俺はどうなんだ? 俺もそうだったのか」

「あなたと会うのは、今日が初めてではありません」


「……何だって?」

「エリンフォードで二度、あなたに襲われています」


「二度も、俺がお前たちを……?」

「はい。最初のときは、ルシエルさんもご一緒でしたよ」


「なぜだ?俺は何のために、お前たちを襲ったというんだ」

「それはこっちが聞きたいですよ。だから私たちは、それを確かめるために王都まで来たんです」


 セラフィンは押し黙る。

 レグルスはしばらく考えたあと、私たちへ問いかけた。


「今夜……俺は何と言って戦いを仕掛けた?」

「私たち三人を討つよう命じられたと言っていたよ」


 セレンが答える。


「誰からの命令だと?」

「それも尋ねた。でも、君は答えなかった」


 レグルスの表情がさらに険しくなる。


「ルミナ王の命令なのかと、はっきり聞いたよ。でも、それにも答えてくれなかった」

「王命だとは……口にしなかったんだな」


「少なくとも、私たちの前ではね」

「俺にも、王からこいつらを討てと命じられた記憶はない」


 傍らのセラフィンが言った。


「俺もだ」


 レグルスも同意した。


「だが、命令そのものを覚えていない以上、王命ではないとこの場で断言はできない」

「一つ、確認させて」


 セレンが二人へ声をかけた。


「セラフィンは槍の加護が消えたあとも、私たちと戦い続けていた。でも、本人の加護が消えた途端に戦うのをやめた」


 セラフィンの手が、自らの胸元へと伸びる。


「俺自身の加護が、消えた直後に……?」

「そう。それはレグルスも同じだった」


 レグルスがわずかに眉を寄せた。


「剣の加護は残っているが、今の俺はお前たちを敵だとは思っていない」

「そう。だから武器ではなく、本人の加護が命令と関係している可能性がある」


「加護が俺たちを操っていたとでも?」


 セラフィンの問いに、セレンはすぐに首を横に振った。


「それはないと思う。だって加護は前からあったんでしょ? それなら、加護そのものの性質とは考えにくい。何者かが加護に介入したのか、あるいは全く別の仕組みなのか。現時点では断定できない」


「……ルシエルを城へ戻したのは、俺の指示だったのか?」


 レグルスがロアを見る。


「ああ。お前がそう指示したんだ」


 ロアが答えた。

 レグルスの顔に戸惑いが浮かぶ。


「セラフィンの様子がおかしくなったあと、ルシエルまで加護を失わせるわけにはいかないと言って、撤退を命じた」

「それから、城へ戻って報告しろとも命じていたよ」


 セレンが付け加える。


「いったい誰に報告しろと?」

「そこも言ってなかったね」


 セラフィンも顔をしかめる。


「俺もルシエルに聞いた。誰の命令なのかってな。だが、何も答えずに行った」 「待て。ルシエル本人の加護はどうなった?」


「残っています」


 私が答えた。


「壊せたのは弓の加護だけです」


 レグルスの表情が変わる。


「……なら、ルシエルだけはまだ、命令に従っているということか」

「城へ戻る」


 レグルスが即座に言った。


「俺も行く。まずはルシエルを探すのが先だ。あいつがまだ命令に従っているなら、話を聞く必要がある。それに、このことを王へも報告しなければならない。俺たちが何をしたのか、そもそも王自身の命令なのかどうかを直接確かめたい」


 セラフィンも続いた。


「ちょっと待って」


 セレンが二人を止めた。


「城へ戻ったら、また何かされて私たちを襲いにくるってことはない?」


 レグルスがこちらを見る。


「今は加護を失ったことで、命令が一時的に解除されているだけかもしれない。もし誰かの策略なら、城に戻った君たちへまた命令を与えるんじゃないかな。そうしたらまた私たちを殺そうとするんじゃない?」

「可能性は否定できない」


 レグルスは少し考えてから答えた。


「だが、それでも戻らなければならない。ルシエルをこのままにはできない」

「他にも使徒が四人いる。あいつらまで動かされたら、もっと厄介になる」


 セラフィンも続けた。


「でも、私たちは一緒には行かないよ」


 セレンが言った。

 レグルスはすぐにうなずいた。


「その方がいい。今王城で何が起きているのか、俺たちにも分からないからな」 「使徒は七人いるんですよね?もし私たちが王城へ行ったら、別の使徒に狙われる危険もありますしね」


 私が言うと、セレンもうなずいた。


「それに、君たちが本当にこのまま正気でいてくれるかも、まだ確証が持てない。悪いけれど、一緒に城へ行くのは危険すぎる」

「当然だ」


 レグルスは私たちを見据えた。


「つい先ほどまで命を奪おうとしていた相手に、信用しろなどと虫のいいことを言うつもりはない」


 セラフィンも、気まずそうに私たちを見る。


「俺も同感だ。ましてや俺は、お前たちを襲ったのが一度や二度じゃないらしいからな」


「……はい」

「覚えていないからといって、やってしまった事実は消えない。……すまなかった」


 すぐに「大丈夫です」と返すことなど、到底できない。

 幾度も襲撃を受け、今日も本気で命を狙われたのだ。本人に記憶がないとはいえ、それですべてを水に流せるはずもない。


「……今は、ルシエルさんのことをお願いします」

「ああ」


 セラフィンがうなずいた。

 レグルスが城の方角へ向き直る。


「何か分かればお前たちにも報せたいが、この宿にはいつまでいるんだ?」

「まだ決めてないよ」


 セレンが答えた。


「ルシエルがこの場所を知ってる以上、ここに残るかどうかも含めて考えないとね」 「そうか」


 そこでセラフィンが何かを思い出したように私たちを見る。


「そういえば、さっき言ってた『エルディン』という男だが、やはり心当たりがない」

「俺もだ」


 レグルスも首を横に振る。


「城にそんな名前の人間がいた記憶はない」

「分かりました」


「だが城へ戻って、何か手がかりがないか調べてみよう」

「お願いします」


 レグルスとセラフィンは王城へ向かって歩き出した。

 二人の姿が通りの先へ消えるまで、ロアは短剣を鞘へ戻さなかった。


 二人の姿が完全に見えなくなったのを見届け、私はようやく肩の力を抜いた。その途端、安堵の隙を突くように腕の傷がずきりと疼く。


「ユイナ、腕を見せて」


 セレンが足早に歩み寄ってきた。


「私は大丈夫です。それより、ロアの傷をお願いします……」


 レグルスの剣に裂かれたロアの袖は血に染まり、傷口からは今も血が滲んでいた。


「……俺は後回しでいい」

「よくないよ。二人とも、すぐ手当てが必要だ」


 セレンはどこか呆れたような、けれど案じる声音で告げた。


「ですが、ここで処置を?」


 周囲の宿の扉や二階の窓から、こちらの様子を窺う人影がいくつも見えた。足元にはへし折れた矢や飛び散った破片が、まだあちこちに残っている。


「カレンたちのところへ戻ろう。向こうも心配で気が気じゃないはずだ」

「分かりました」


 私はガラスペンをしまい、三人で宿の裏手へ向かった。

 宿の裏に回ると、馬車のそばに立っているカレンの姿が見えた。


 私たちの足音に気づいたカレンが、馬車の中へ声をかける。

 するとすぐに扉が開き、エマが顔を覗かせた。


「ユイナ!」


 エマが勢いよく馬車から降りようとする。


「待ちな、エマ!」


 カレンが慌てて止めた。


「まだ何が起きるか分からないだろ」

「もう大丈夫です!」


 私が声をかけると、カレンは周囲を一度確認してから、ようやくこちらへ歩み寄ってきた。


「戦ってた連中は?」

「二人は城へ引き上げました。もう一人も、その前に城へ向かっています」


「逃げた?」

「はい。事情を話すと少し長くなるのですが……」


 言いかけたところで、カレンの表情が険しくなった。


「……ちょっと待ちな。二人とも怪我してるじゃないか」


 その言葉で私の怪我に気づいたエマが、馬車から降りて駆け寄ってくる。


「ユイナ、血が出てる!」

「大丈夫、矢がかすっただけだから」


「ロアも!」


 今度はロアの裂けた袖を見て、エマの声がさらに大きくなった。


「ロアの方がいっぱい出てる!」

「騒ぐほどじゃない」

「つべこべ言わずに、二人ともまず部屋に戻るよ。話は手当てを終えてからだ」


 カレンの有無を言わせない迫力に、私もロアも逆らえなかった。

 部屋へ戻るなり、カレンは水と清潔な布を用意した。


 まずロアの傷口に布を当て、出血を押さえる。


「セレン、ちょっとこのまま押さえてておくれ」

「分かった」


 セレンが代わって布を押さえると、カレンは私の方へ向き直った。


「ユイナ、先にこっち」

「ですが、ロアの傷の方が深そうでしたし……」


「人の心配をしてる場合かい。座りな」

「……はい」


 言われるまま椅子に腰を下ろし、傷の周りについた血を拭ってもらう。

 水を含んだ布が傷口に触れた瞬間、鋭い痛みが走った。


「痛っ……!」

「痛くて当然さ。矢が当たったんだからね」


「ほんの少し、かすっただけなんですけど……」

「傷が浅いのは見れば分かる。でも、ちゃんと洗っておかないと駄目だ」


 エマがすぐそばで、心配そうに私の腕を見ている。


「ユイナ……痛い?」

「ううん、ちょっとだけだよ」


「さっきは大丈夫って言ってた」

「エマを心配させたくなかったから」


「もう心配してるよ」

「……ごめんね、エマ」


 カレンが私の傷に包帯を巻き終えると、今度はロアの方へ移った。


「ほら、次はあんただよ。腕を出しな」

「これくらいなら放っておいても――」 「いいから出す」


 ロアは諦めて腕を差し出した。

 カレンはロアの傷を洗いながら、私たちを見回す。


「それで、外で何があったんだい?あの三人とは決着がついたのか?」

「一応はね」


 セレンが答えた。


「槍の男がセラフィン、剣の男がレグルス、弓の女がルシエル。三人ともルミナ王に仕える、『使徒』と呼ばれる者たちだった」


「王の使徒?」

「うん。しかも、私たち三人を討つ命令を受けていたらしい」


 カレンの手が止まる。


「王様の命令だったのかい?」

「それが分からないんだ」


 セレンは、セラフィンとレグルス本人の加護を壊したら、二人が私たちを敵だと思わなくなったことを説明した。


「待って。加護が消えたら、命令まで忘れたってことかい?」

「命令だけじゃない。二人は、以前から私たちと面識があったことすら思い出せなくなっていたんだ」


「でも、自分が使徒だってことや王様のことは覚えてる?」

「そこはちゃんと覚えていた」


 カレンが眉をひそめた。


「あんたたちに関わる部分だけ記憶にないって感じだね」

「そうなんだよ。でも、どういう仕組みなのかは分からない」

「それで、弓の女はどうしたんだい?」


 カレンがロアの腕に包帯を巻きながら聞いた。


「ルシエルはレグルスの指示で城へ向かった。彼女本人の加護は健在のままね」


 セレンが答える。


「じゃあ、その女だけはまだあんたたちを狙ってるってことかい?」

「たぶんね。少なくとも、他の二人と違って、命令で動いている様子だったよ」


 カレンの手が止まる。


「しかも、この宿の場所を知ってるんだろ?」

「はい」


 私が答えた。


「それなら、このまま泊まるのは危ないね」

「すぐ出発するか?」


 ロアが聞いた。

 カレンはすぐには答えなかった。


「馬車はいつでも出せるよ。でも、夜道は危険だ。二人とも怪我してるし、エマもいる」

「でもここにいると、ルシエルが戻ってくるかもしれない」


 私が言う。


「そう。だから、どっちが安全とも言い切れないんだよ」


 セレンが少し考えてから口を開いた。


「レグルスとセラフィンは、ルシエルを止めるために城へ戻った。でも、二人が止められるとは限らない。一応今夜はすぐ動けるように準備しておいて、交代で見張りながら朝まで様子を見るのがいいかな」

「私もそれがいいと思う」


 カレンがうなずく。


「何かあれば、そのときはすぐ馬車を出すよ」

「じゃあ、朝になったら王都を出るの?」


 エマが聞いた。


「そのつもりだよ」


 セレンが答える。


「どこへ行くんですか?」


 私も尋ねた。

 セレンは少し考えた。


「一度、エリンフォードへ戻ろうと思う」

「エルディンのことは、もう調べないんですか?」


「調べたいよ。私たち三人とも確かに会ってるのに、また城には最初から存在しなかったことになってる。このままにはできない」

「だったら、もう少し王都に残った方が……」


「でも、今ここで調べ続けるのはかなり危険だと思う」


 セレンは私の言葉を遮らず、静かに続けた。


「城でエルディンのことを尋ねたその日の夜に、使徒が三人も宿まで来た。この二つが関係しているかは分からないけど、警戒はしておいた方がいい」

「それに、ルシエルはまだ命令で動いていると思った方がいい」


 ロアが言った。


「うん。だから一度王都を離れようと思う」


 カレンが腕を組んだ。


「エリンフォードには、セレンの家があるんだろ?」

「あるけど、私の家もやつらには場所が割れてるよ。安全とは言えないけど、王都から離れている分、まだましかな。だからそこも長居をするつもりはない」


「なら、そこで今後を考えよう。今ここで無理に答えを出す必要もないさ」

「そうですね」


 私もうなずいた。

 朝になったら王都を離れ、いったんエリンフォードへ戻ることになった。


「それで今夜はどうする?」


 ロアが尋ねた。


「全員、寝るわけにはいかないね」


 セレンが答える。


「何かあったらすぐ馬車を出せるようにして、交代で起きていよう」

「私も起きてます」


 そう言った途端、カレンとセレンがそろって私を見た。


「あんたは寝てな」


 カレンが即座に言う。


「でも――」


「怪我をしているし、あれだけ戦ったんだ。今夜は身体を休めときな」

「だったら俺が起きてる」


 ロアが言った。


「あんたも寝るんだよ」

「俺は平気だ」

「一番ひどい怪我をしてるのに何を言ってるんだい」


 ロアが黙る。


「今夜は私とセレンで見張るよ。二人ともちゃんと休みな」

「そうだね。何かあればすぐ起こすから」


 セレンもカレンに同意した。


「……分かりました」


 ロアはまだ納得していない顔をしていたが、反論はしなかった。


「じゃあ、明日の朝、王都を出るんだね」


 エマが確認する。


「うん。明るくなったら出発しよう」


 私が答えると、エマは小さくうなずいた。


「それまで何も起きないといいね」

「そうだね」


 何気ないエマの言葉に、さっきまでの話がまた頭をよぎる。

 ルシエルはまだ命令から解放されていない。レグルスとセラフィンが止めてくれるとは思うけれど、今夜何も起こらない保証はない。


「ほら、エマも寝るよ」


 カレンが声をかける。


「うん」


 エマが素直に返事をしてベッドへ向かった。

 明日の朝、私たちは王都を離れる。


 エルディンのことも、使徒たちに命令を与えたのが誰なのかも、まだ分からない。  城へ戻ったレグルスたちは何を知ることになるのか。

 その答えが出ないまま、私たちは一度この街を離れることになった。

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