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たくさんのサヨナラと愛に笑おう  作者: 横ヤン


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9/23

治療

 最初の通院は、思ったよりもあっさり始まった。


 「まずは抗がん剤治療を行いましょう」


 医師の声は、淡々としていた。


 「進行を遅らせることが目的になります」


 “治す”ではなく、“遅らせる”。


 その言葉が、静かに胸に落ちる。


 「どれくらい、持ちますか」


 気づいたら、そう聞いていた。


 少しだけ、間があく。


 「個人差がありますが……数ヶ月から一年ほどと考えてください」


 その現実的な答えに、なぜか納得した。


 ——ああ、そんな感じなんだ。


 どこか他人事みたいに、そう思った。


 治療はすぐに始まった。


 点滴室。


 同じように椅子に座る人たち。


 カーテンで仕切られた空間。


 静かな機械音。


 腕に針が刺さる。


 透明な液体が、ゆっくりと体の中に入っていく。


 「副作用として、吐き気やだるさが出ることがあります」


 看護師が優しく説明する。


 私は、軽くうなずいた。


 ——まあ、なんとかなるでしょ。


 そのときは、まだそう思っていた。


 (伊藤太一視点)


 初めて付き添った日。


 点滴を受けている彼女を見て、言葉が出なかった。


 いつも通りに笑っている。


 「暇だわこれ」


 そう言って、スマホをいじっている。


 でも、その腕には針が刺さっていて。


 その違和感が、どうしても消えなかった。


 「……大丈夫か」


 それしか言えなかった。


 「大丈夫だって」


 軽く返ってくる。


 その“いつも通り”が、逆に怖かった。


 最初の数日は、思ったより平気だった。


 少しだるいくらいで、普通に動けた。


 「ほら、言ったじゃん」


 太一にそう言って、笑う。


 でも——


 数日後。


 朝、起き上がれなかった。


 体が、鉛みたいに重い。


 胃の奥が、ぐるぐると気持ち悪い。


 「……無理」


 トイレに駆け込む。


 吐き気が、止まらない。


 何も出ないのに、体だけが反応する。


 息が上がる。


 冷たい汗が、背中を伝う。


 母が私の背中をさすりながら、何もできない自分が悔しがった。


 「大丈夫、大丈夫」


 そう言うしかない。


 でも、そう思ってくれるだけでありがたかった。


 私は、少し落ち着いたあと、床に座り込む。


 「……これ、きついわ」


 初めて、本音が出た。


 太一が、何も言わずに隣に座る。


 ただ、背中に手を置いてくれる。


 それだけで、少し楽になる。


 治療は、何度か繰り返された。


 そのたびに、体は少しずつ弱っていく。


 髪が抜け始める。


 朝、枕に残る髪。


 シャワーで、指に絡む毛。


 「……あーあ」


 鏡を見ながら、苦笑する。


 思ったよりショックじゃなかった。


 それよりも——


 “ああ、ちゃんと進行してるんだな”という実感のほうが強かった。


 医師からの説明は、徐々に変わっていった。


 「腫瘍の縮小は見られません」


 「現状維持、もしくはわずかに進行しています」


 言葉は柔らかい。


 でも、意味ははっきりしている。


 効いていない。


 医師に言われた。


 「治療を続けるかどうか、一度考えてもいいかもしれません」


 その言葉に、少しだけ笑ってしまった。


 「選べるんですね、これ」


 「はい」


 静かな返事。病院の帰り道。


 空がやけに広かった。


 「……どうする?」


 太一が聞く。


 少し考える。


 体のしんどさ。


 残された時間。


 全部、天秤にかける。


 「……やめよっかな」


 ぽつりと呟く。


 太一は、何も言わなかった。


 ただ、隣を歩いてくれる。


 「残りの時間さ」


 少しだけ笑う。


 「もうちょっと、ちゃんと使いたい」


 その言葉は、不思議なくらいすっと出てきた。


 迷いは、なかった。


 怖さは、あったけど。


 それよりも、“やりたいこと”のほうがはっきりしていた。


 「そっか」


 太一が、短く答える。


 それだけで、十分だった。


 ——この日から、私は“自分の終わり方”を考え始めた。

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