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たくさんのサヨナラと愛に笑おう  作者: 横ヤン


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10/23

サヨナラ 1

会社のビルを見上げたとき、少しだけ足が止まった。

「……久しぶりだなあ」

私は小さく呟いた。

自動ドアが開いて、いつもの空気が流れてくる。

少し乾いた、オフィス特有の匂い。

受付の横を通って、エレベーターに乗る。

エレベーターの鏡に映る自分の顔は、少しやつれていた。

でも、見なかったことにする。——いつも通り。

それを、最後まで突き通したかった。

フロアに着くと、キーボードの音が一斉に耳に入る。

「おはようございます」

いつも通りの声で言う。一瞬だけ、空気が止まった。

「え、久しぶりじゃん!」

さゆりが立ち上がって、こっちに来る。

「大丈夫?体調」

その言葉に、少しだけ間があく。周りのみんなも気になるのか、こちらを見ている。

でも、私はすぐに笑っとこう返した。

「まあまあ」

曖昧に返す。

「無理すんなよ?」

軽く肩を叩かれる。

その何気ない優しさが、胸に刺さる。

(さゆり視点)

やっぱり、変だ。

顔色もそうだけど。

それよりも、纏っている空気が違う。

いつもみたいに雑じゃない。

まるで何もなかったように“整ってる”。

それが、逆に違和感だった。

(主人公視点)

自分のデスクに座る。

見慣れたモニター。

積まれた書類。

全部、そのままなのに。

どこか“もう自分の場所じゃない”気がした。

パソコンを立ち上げる。

メールを開くと未読の通知が並ぶ。

ひとつずつ処理していく。

指は動く。でも、何かが違う。違和感にさいなまれながら時間が過ぎるのは早かった。

昼休み。

「一緒に行こ」

さゆりに声をかけられる。

いつもの店。いつもの席。いつものメニュー。

「やっぱこれだよね」

笑いながら、同じものを頼む。

(さゆり視点)

普通に話してる。

でも、どこかで線を引かれてる感じがする。

踏み込めない。

踏み込んじゃいけない気がする。

でも——

「ねえ」

思わず、口に出していた。

「なんかあった?」

その言葉に、少しだけ手が止まる。

——やっぱり、気づくよね。

少しだけ、迷う。

ここで言うか。でも……。

さゆりには、自分からちゃんと言いたかった。

「……ちょっとさ」

覚悟を決め、ゆっくり顔を上げる。

「病気でさ」

さゆりの表情が、固まる。

「がんなんだよね」

言葉にした瞬間さゆりの顔色が変わった。

さゆりは一瞬、何を言われたかわからなかったような表情でこちらを見て一言。

「……え?」

それしか出なかった。

それを見て私は少しだけ笑う。

「しかもさ、まあまあやばいやつ」

軽く言ったつもりだった。

でも——

さゆりの目に、涙が浮かぶ。

「ちょっと待ってよ」

声が震えている。

「何それ?」

ああ、やっぱりこうなるか。

 そう思いながら、でも目を逸らさない。

「だからさ」

少しだけ、真面目な声になる。

「仕事、ちゃんと引き継ぎたいなって思って」

 さゆりはその言葉で、全部つながった。

今日来た理由。この違和感。その行動の全て。

「……やだ」

小さく、声が漏れた。

「やだって言われてもなあ」

私は、苦笑する。

「まあ、決まってることだからさ」

そう言いながら、心の奥が少しだけ揺れる。

でも、それを表に出さない。

--午後。

上司にも話をした。

会議室。閉じられた空間。

静かな声で、事実だけを伝える。

自分の状況や今後の予定を。

上司は、しばらく何も言わなかった。

そして、深く息を吐いた。

「……そうか」

それだけだった。でも、その一言に思いの全部が詰まっていた。

私は、デスクに戻る。いつもの席。

でも、引き継ぎが済めばここにはいられない。

引き継ぎの資料を作り始める。

細かく、丁寧に。抜けがないように。

それは、仕事としてじゃなくて——

自分の一つの“区切り”としてやっている気がした。

帰り際。さゆりが、無言で隣に立つ。

一緒にエレベーターを待つ。

何も話さない。

でも、その沈黙が、やけに重い。

エレベーターの扉が開き、中に入る。

扉が閉まる直前。

さゆりが、小さく言った。

「……これで最後なの?」

一瞬だけ、答えに詰まる。

でも、すぐに笑う。

「いや、また来るよ」

軽く言う。

それが嘘だって、自分でもわかっていた。

エレベーターが下に降りていく。

静かな振動。数字がひとつずつ減っていく。

——ここに来るのも最後だな。そう思った。

でも、不思議と後悔はなかった。

私は、ちゃんと働いた。ちゃんと関わった。

ちゃんと、ここにいた。それで良かった。

外に出ると、夕方の空が広がっていた。

少しだけ風が冷たい。

「……よし」

小さく呟く。

まだ、やることはある。

ちゃんと、全部終わらせるために。

次に進もうと思った。

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