閑話 柊 咲夜視点 姉の気持ち
昔から、あの子は変わっていた。
いや、正確には——強かった。
転んでも泣かない子だった。
膝を擦りむいても、「大丈夫」と言って立ち上がる。
こっちは見ているだけで痛くなるのに、本人はケロッとしている。
「ほんとに平気なの?」
そう聞くと、
「平気だって」
笑って答える。
その笑い方が、昔から少しだけ無理をしているように見えた。
でも、それ以上は踏み込まなかった。
——あの子は、そういう子だから。
そうやって、どこかで線を引いていた。
病院で話を聞いたとき。
頭の中が、やけに静かだった。
母は隣で、息を詰めている。
医師の言葉は、はっきり聞こえていた。
「膵臓に悪性腫瘍が確認されます」
「進行している状態です」
「手術は難しいと考えられます」
全部、理解できる。
理解できるからこそ、逃げ場がなかった。
泣くこともできなかった。
泣いたら、何かが壊れる気がした。
代わりに、頭の中で整理を始めていた。
——どれくらいの期間なのか。
——治療の選択肢は。
——生活はどうなる。
考えないといけないことが、次々に浮かぶ。
それを、ひとつずつ並べる。
そうしないと、立っていられなかった。
帰り道、母が崩れそうになっているのが、わかった。
あの人は、感情で受け止める人だ。
だから、自分が支えなければいけないと思った。
自然に、そう思った。
「伝えないと」
あのとき口にした言葉は、覚悟というより、確認だった。
逃げないための。
家に帰って、あの子の顔を見たとき。
やっぱり、と思った。
気づいている。
何も言わなくても、わかっている顔だった。
「いいよ、言って」
そう言われたとき、一瞬だけ言葉が詰まった。
この子は、どこまでわかっているんだろう。
どこまで覚悟しているんだろう。
怖くなった。
でも、言った。
「膵臓」
その一言で、全部が決まる気がした。
あの子は、取り乱さなかった。
それどころか、こっちを気遣った。
「泣くの、あとにしない?」
そんなことを言う余裕が、どこにあるのか。
呆れるくらい、あの子らしかった。
——ほんと、変わらない。
でも。その変わらなさが、今は少し怖い。
強がっているだけじゃないのか。
無理をしているんじゃないのか。
気づけるのは、自分しかいない気がした。
夜、自分の部屋に戻る。
ドアを閉めた瞬間、体の力が抜けた。
ベッドに座り込む。
スマホを握ったまま、何もできない。
頭では理解しているのに、感情が追いつかない。
いや—— 追いついたら、崩れる。
だから、止めているのかもしれない。
「……はあ」
深く息を吐く。
天井を見上げる。白い天井。
さっきまでいた病院と、同じ色。
そのことに気づいて、少しだけ苦笑する。
どこにいても、現実はついてくる。
あの子は、どうするんだろう。
どう生きるんだろう。
そして、自分は——
どう支えるべきなんだろう。
答えは、まだない。
でも、ひとつだけ決めたことがある。
「最後まで、向き合う」
小さく、声に出した。
逃げない。目を逸らさない。
あの子がどんな選択をしても、隣にいる。
それが、自分にできることだから。
立ち上がる。
ドアノブに手をかける。
リビングには、きっといつもの空気がある。
少しだけ覚悟をして、ドアを開けた。
——日常は、もう同じじゃない。
それでも、その中で続けていくしかないのだと、知りながら。




