命がけの旅行 ~みんなと過ごした、かけがえのない時間~
旅行当日の朝。
私はまだ暗いうちに目が覚めた。
時計を見る。
午前四時半。
集合時間まではまだかなりある。
それなのに眠れなかった。
楽しみで仕方なかった。
遠足前の子どもみたいだな、と自分でも思う。
ベッドの上でゆっくり体を起こす。
すぐに背中の奥が痛んだ。
みしり、と骨の内側を誰かに押されるような痛み。
思わず顔をしかめる。
それでも今日は気分が良かった。
鏡を見る。
頬は痩せた。
髪も抗がん剤の影響で短くなった。
顔色も決して良くない。
以前の私を知る人が見れば、きっと驚くだろう。
それでも。
今日はそんなことはどうでもよかった。
今日はみんなに会える。
そのことだけで胸がいっぱいだった。
母が部屋へ入ってくる。
「起きてたの?」
「うん」
「早すぎるでしょ」
母は笑った。
久しぶりに見る穏やかな笑顔だった。
姉も準備をしている。
太一も朝早くから迎えに来てくれた。
みんなが私を旅行へ連れて行こうとしている。
その事実だけで泣きそうになる。
集合場所に到着すると、すでに何人もの同級生が集まっていた。
「おー!」
「友希恵!」
「久しぶり!」
次々と声が飛んでくる。
私は車いすに座ったまま笑った。
「みんな変わってないね」
「お前もな」
誰かがそう言って笑う。
私は思わず吹き出した。
「いや変わったでしょ!」
「どこが?」
「めちゃくちゃ痩せたじゃん!」
「元々太ってたからプラマイゼロ」
その瞬間。
みんなが声を上げて笑った。
その笑い声が嬉しかった。
病気になってから。
私の周りには「頑張って」「大丈夫?」という言葉が増えた。
もちろん嬉しかった。
でも。
同時に私は病人になっていた。
みんなの心配の対象になっていた。
けれど今日の同級生たちは違った。
昔と同じように接してくれる。
それが嬉しかった。
本当に嬉しかった。
さらに今回の旅行には、会社の同僚たちも駆けつけてくれていた。
「友希恵さん、今日は上司禁止だからね」
後輩がそう言う。
「私、上司だったことないけど?」
「いやいや、めちゃくちゃ怖かったです」
「嘘つけ」
そんなやり取りにまた笑いが起きる。
会社では病気が分かってから、みんな私に気を遣っていた。
無理をさせないように。
傷つけないように。
でも今日は違った。
同級生も。
会社の仲間も。
みんなが病気じゃない私として接してくれている。
それが何より嬉しかった。
車が走り出す。
窓の外には春の景色が流れていく。
畑。
川。
山。
空。
どれも見慣れた景色なのに、なぜか特別に見えた。
これが最後かもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
でも不思議と悲しくなかった。
むしろ。
見られて良かったと思った。
目的地は海だった。
私が昔から好きだった場所。
駐車場に着くと潮の香りがした。
海風が頬を撫でる。
久しぶりだった。
こんな風を感じたのは。
太一が車いすを押してくれる。
砂浜近くの遊歩道。
青い海が広がっている。
太陽の光が水面で揺れている。
波の音が聞こえる。
私は思わず立ち止まった。
「きれい……」
自然に言葉が漏れた。
隣で杏子が笑う。
「だろ?」
私は頷く。
涙が出そうだった。
こんな景色をもう一度見られるなんて思わなかった。
みんなで写真を撮った。
ふざけたポーズをした。
笑った。
笑い過ぎてお腹が痛くなった。
久しぶりだった。
こんなに笑ったのは。
昼食は海の見えるレストランだった。
私はあまり食べられなかった。
少し食べただけで苦しくなる。
それでもみんなは何も言わなかった。
代わりにくだらない話ばかりしていた。
高校時代の失敗談。
先生のモノマネ。
昔好きだった人の話。
会社での失敗談。
新人時代の黒歴史。
笑い声が絶えなかった。
私はその時間を噛みしめるように過ごした。
一人一人の顔を見る。
みんな年を取った。
それでも。
あの頃の面影がちゃんと残っている。
それが嬉しかった。
夕方。
海へ沈む夕日を見た。
空が赤く染まる。
海も赤く染まる。
風が少し冷たくなる。
みんな自然と静かになった。
誰も話さない。
ただ景色を見ていた。
私はその時間が好きだった。
言葉がなくても繋がっている。
そんな気がした。
ふと杏子を見る。
杏子も海を見ている。
会社の後輩を見る。
静かに夕日を眺めている。
太一を見る。
私の隣に立っている。
母も姉もいる。
みんながいる。
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
病気になってから。
何度も思った。
どうして私なんだろう。
まだやりたいことがあった。
まだ生きたかった。
まだ終わりたくなかった。
だけど。
今なら少しだけ分かる気がする。
人生は長さだけじゃない。
誰と生きたかなんだ。
誰に支えられたかなんだ。
私は一人じゃなかった。
ずっと。
ずっと一人じゃなかった。
夜。
宿に戻る。
みんなで部屋に集まった。
お酒を飲む人。
お菓子を食べる人。
ゲームをする人。
それぞれ好き勝手に過ごしている。
私は布団にもたれながら、その様子を見ていた。
笑い声が響く。
誰かが大笑いしている。
誰かがツッコミを入れる。
本当にくだらない。
でも。
そのくだらなさが愛しかった。
私はふと思った。
もし私がいなくなった後。
みんながこうして集まってくれたら。
みんなで笑ってくれたら。
きっと嬉しい。
最初は。
お別れ会なんて家族と太一だけでいいと思っていた。
大勢に見送られるのは苦手だったし。
弱っていく姿を見られるのも嫌だった。
静かに終わりたいと思っていた。
でも。
今日一日を過ごして考えが変わった。
同級生たちと笑った。
会社の仲間たちと笑った。
みんなが私を特別扱いせず、いつもの友希恵として接してくれた。
その時間が本当に嬉しかった。
私は改めて気付いた。
私はこんなにもたくさんの人に支えられて生きてきたんだと。
だったら。
最後もちゃんと伝えたい。
ありがとうを伝えたい。
お別れをしたい。
悲しいだけの時間じゃなくていい。
今日みたいに。
笑ったり泣いたりしながら。
私のことを思い出してくれたらいい。
その時。
心の中で決まった。
母に伝えよう。
姉にも伝えよう。
太一にも伝えよう。
私がいなくなったら。
お葬式じゃなくて。
お別れ会にしてほしい。
そして。
同級生のみんなも。
会社の同僚のみんなも。
呼んでほしい。
今日ここにいる人たちに来てほしい。
私がどれだけ幸せだったか。
どれだけ感謝していたか。
ちゃんと知ってほしい。
みんなに集まってほしい。
みんなに笑って帰ってほしい。
だって私は。
最後まで幸せだったのだから。
部屋の中では同級生たちと会社の仲間たちの笑い声が続いている。
私は静かに目を閉じた。
耳に届くその声を聞きながら思う。
旅行が終わったら話そう。
母に。
姉に。
太一に。
お別れ会のことを。
みんなを呼んでほしいということを。
きっと驚かれるだろう。
反対されるかもしれない。
それでも伝えたいと思った。
今日のみんなの笑顔を見たから。
今日のみんなの優しさに触れたから。
もし人生に終わりがあるのなら。
こんな時間を知れたことが。
私にとって最高の贈り物だった。
胸の奥が温かかった。
痛みは消えない。
病気も消えない。
未来も変わらない。
それでも。
今この瞬間だけは。
心から幸せだと思えた。
最終話までの書きだめができたので一気に公開していこうと思います。




