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十二、あたたかいものつめたいもの(聖女視点)


 わたしは聖女。

 わたしはけっこんしたらしい。

 ちょうどその頃、わたしはさむくて気持ち悪くて痛くてぐるぐるして、言われた場所で立っているのも辛くて、早く終わらないかな早く終わらないかなとばかり考えていたから、けっこんというのがどういうものなのか良く分かっていなくて、今まで暮らしていた場所とは違う、白だけじゃない色彩のある場所に連れて行かれて、「今日からこちらが聖女様のお部屋です」と言われてびっくりした。

 神殿じゃないのに、ローファとチシャもちゃんといる。

 良かった。

 ローファはよく怒るけれど『祈り』のご褒美に氷粒をくれるし、チシャがいると何となくほっとする。だから最初にチシャを見たとき、大神官様にお願いして側付きにしてもらった。


「聖女様、ちゃんと聞いておられますか! 牛や豚や鶏が駄目だということは、熊だって駄目に決まっているでしょう! そんなものを食べるから動けなくなるんです!」


「ろ、ローファ様、まずは大神官様にお聞きしてみましょう。ひょっとしたら『穢れ』がないかもしれませんし。それよりももし『穢れ』を摂取して聖女様の具合がお悪いのだとしたら一大事です。まずはお休み頂かないと」


 チシャが取りなしてわたしを寝かせてくれようとしますが、ローファはまだ怒っています。


「単なる食べ過ぎに決まっています。熊なんて滅多に王都では食べられない高級なお肉を頂いて胃がビックリしたんでしょう。そんなことで甘やかしてはなりません」


 確かにお腹はいたいけれど、お腹を中心に体がぽかぽかしてきます。

 指先や足はまださむいけれど、体の中心は少しあたたかい。


「良いですか、聖女様は産まれながらに『穢れ』を背負われているのです。父親が誰かも分からぬ卑しい生まれの貴女を、大神官様が見つけ、聖女にしてくださった。ゆめゆめその御恩を忘れず、大神官様のお言いつけに従い、身を慎まなくてはなりません」


 お腹はポカポカしてきたけれど、やっぱりいたい。

 ちょっと吐き気も込み上げてきました。

 すわってはダメでしょうか。

 でも、お説教の間にすわるとローファはもっともっと怒るのです。


「……?」


 わたしは違和感に首を傾げました。

 少しだけ、ぼーっとするのがマシになっている気がします。

 ぐるぐるぐらぐらぼーっとして、自分がだれなのかどこにいるのか分からなくなってしまうような、あの足下の地面がなくなってしまうような感覚がありません。

 お肉を食べたから?

 がんばって食べたから、少しだけきんにくがついたのかもしれません。きんにくがあれば、何でものりこえられる……はず。

 あれ? これはだれの言葉?


「聖女様! いつまでも具合の悪いふりなんかなさってもわたくしの目は誤魔化せませんよ! 嘘は穢れの元です」


 ローファが何か言っています。が、わたしはせっかく食べたお肉を吐き出さないようにするのに一生懸命であまり聞いてませんでした。吐く、ダメ、もったいない。


◇◇◇


「聖女様、オブシディアン殿下が朝食を用意してくださいましたよ」


 チシャが朝から食事を運んできてくれました。昨日お腹を痛くしたから特別ですよと言って、テーブルではなくベッドに用意してくれました。

 ローファはいません。ローファは夜は神殿に帰るので。


 朝からごはんをいただける。なんてしあわせ。おにくはあるでしょうか。


「……チシャ、王子サマは聖女のことがきらいでしょうか」


 深めのお皿の中に入っていたのは、灰色と緑のドロドロしたものでした。美味しそうな匂いはしますが、お肉には見えません。


「そ、そんなことありませんよ聖女様。昨日聖女様が熊肉でお腹が痛くなったのを心配して、えーっと、ソバの実の雑炊だそうです。山菜と、キノコと、兎肉のつみれも入っているそうです!」


「兎肉。兎を食べて、きんにくはつくでしょうか」


「きんにく? ええーっと、兎は脚力が凄いですから、きっと大丈夫です」


 なるほど。確かに兎のジャンプは凄かった。

 あれ? わたしは兎を見たことがあったでしょうか。

 チシャが差し出してくれた木のスプーンで雑炊をすくって食べようとして――ボチャンとスプーンが深皿の中に落ちました。

 なんてこと。

 今までフォークもスプーンも必要のない小さな木の実か葉っぱしか食べてこなかったから、スプーンで食べ物を持ち上げるきんにくがなくなってしまっていたのです。

 何度も持ち上げようとしては失敗するわたしを見て、チシャが目元を押さえながら代わりにフウフウして食べさせてくれました。

 チシャはやさしい。

 チシャに食べさせてもらう王子サマのごはんは、とても美味しかった。つめたかった体の中が、じんわりぽかぽかしていきます。


「おいしい、なつかしい。チシャ、聖女はなんだかなつかしいです」


「そうですか、それは良うございました」


 わたしは前に兎を食べたことがあったでしょうか。

 少なくとも、神殿に来てからはなかったように思います。神殿で神官が食べるお肉は牛か豚か鶏なので。

 でも、なんだか前に兎を食べたとき、わたしはとても幸せだった気がします。それがなんだったかは思い出せませんけれど。


 チシャは嬉しそうにニコニコしてわたしに雑炊を食べさせてくれましたけれど、五回くらいでお腹がいっぱいになってしまいました。

 もっと食べたい。でも食べられない。


「チシャ、どうしました? 聖女はまだ食べられます」


「聖女様、お腹に手を当てているじゃありませんか。嘘をついてもチシャには分かります。もうお腹いっぱいなんでしょう? でもまだ本当にちょっとしか食べていませんから、これはとっておいて、また後で温め直していただきましょう」


 嘘。確か昨日、ローファも嘘をついても分かると言っていました。チシャもわたしの嘘が分かると。でも、同じ言葉なのに違って聞こえるのはどうしてでしょう。


 チシャは、わたしが食べきれなかった雑炊を、わたしが見える場所にとっておいてくれました。

 今日は王子サマに会えないそうですけれど、雑炊が見えると王子サマが近くに感じられる気がします。

 立派なきんにくのうつくしい王子サマ。わたしを『愛さない』と言ってくれた王子サマ。王子サマは今何をしているのでしょうか?


「何ですこれは汚らしい」


 午前中の『祈り』の時間になりました。神殿からローファがやって来ます。

 ローファはチシャを部屋の外に出すと、サイドテーブルの上に載っていた雑炊を見て眉をしかめました。

 確かに雑炊はとても美味しかったけれど、灰色に緑。うつくしくはない。


「それは王子サマの……」


 びしゃっ、とローファが雑炊の残りをゴミ箱に棄てました。

 わたしのかすれた声は聞こえなかったようです。

 ごめんなさい王子サマ。全部食べられなかった。せっかく作ってくれたのに、ほとんど棄ててしまった。ごめんなさい兎さん。せっかくわたしに食べられるためにお肉になってくれたのに。


「さあ、『祈り』をはじめましょう」


 『祈り』はいたい。『祈り』を終えると気持ちが悪くなって、何か食べたい気持ちはなくなる。

 国中の全ての民が、わたしの『祈り』を必要としている。

 わたしは、わたしは、聖女だから。

 聖女とはそういうものだから。


「よく頑張りましたね、聖女様。最近『祈り』の量が少なくなって大神官様が憂えておいででしたが、今日の『祈り』でしたら大神官様もお喜びでしょう」


 ずいぶん久しぶりに、ローファに褒められた。

 大神官様が喜ぶとローファも嬉しい。大神官様はうつくしいから。

 くらくらするわたしに、ローファがジャラジャラといつもよりたくさんの氷粒をくれた。


「さあ聖女様、これを食べればさっぱりしますよ。わたくしは大神官様に『祈り』を届けて参ります……チシャ! 聖女様をお願い」


 『祈り』をすると氷が食べたくなる。でも、氷を食べるとお腹の中からつめたくなっていく。

 ガリ、ガリ、ガリ、ガリ。

 ポカポカだった雑炊はもうない。小さな氷をつまむ指先も冷たい。

 さむい、さむい。気持ち悪い。


「聖女様……」


 なぜか眉尻を下げるチシャを、わたしはぼんやりと見上げた。




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