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十一、聖女の病(現在)

十一、聖女の病(現在)


「さて、怖くないですからな、このジジイにちょいと診せてもらえますかな。はい、ちょっと手首を触りますよ、脈を拝見」


 コンドライト大叔父が、鶏ガラのような聖女(モリオン)の腕を取り、舌を出させて喉をのぞき、目蓋をめくった。それから確認するように、四角い鞄から取り出した小瓶の蓋を開け、中身を嗅がせる。


 聖女の肌に直接触れることに、ローファがキンキン叫んで怒っていたが、ウラユリがさらりと魔法障壁を作って閉じ込めていた。

 普通、魔法障壁は外からの攻撃を弾くために作るものだが、逆パターンの場合も有効らしい。ローファの声は全く聞こえなくなった。


「このニオイをどう思いますかな? 嫌いなニオイ? 好きなニオイ?」


 聖女が好きだと問われて頷くと、大叔父は、ハッキリと断言した。


「重度の貧血ですな」


 俺も全く同じ意見だ。

 聖女の下目蓋の裏は真っ白だった。青白い、むしろ隈と混ざって青黒いほどの顔色も、ガサガサの肌も、俺がかつて見慣れたものだった。立ちくらみも動悸も貧血の症状だ。

 治癒魔法や回復薬は傷を癒やすが、失った血は戻らない。食事をして時間をおくことでしか回復しないものだ。戦場で大きな怪我を負い、表面的な怪我を治し無理をおして戦場に戻る兵が、よくこんな顔色をしていた。


「胸がドキドキすることがあるでしょう? 目の前が真っ白になったりもする? 変なものが美味しく感じることは? そうですね、例えば歯ごたえの良いもの、木の実や氷、石、土などですかな」


 チシャが目を見開いて両手で口を押さえた。


「聖女は、氷が好きです」


 ガサガサに乾いて、ヒビ割れた小さな声だった。

 まだ十五の少女の声とはとても思えない、酒焼けした老人のような声だった。

 記憶に残る、五歳の無邪気なモリーの声とはまったく違う。


 俺の、せいか。

 俺が十年前、モリーを王都に連れてこなかったら。孤児院に預けなかったら。モリーは神殿に見つかることなく、普通の少女のように普通に生きられたのだろうか。 


「そうですかそうですか、それは貧血の症状ですよ。先ほど嗅いでもらった小瓶の中身は、地面から湧き出す油でしてな。普通の人間には悪臭に感じられる物です。しかし、何故か血が足りない人はそのニオイを好ましく思うらしい」


 聖女はもう一度小瓶のニオイを嗅ぎ、小首を傾げた。

 その仕草が、何故かひどく懐かしく感じた。


「それでは、体中に虫が這ったような感覚がすることは?」


 小さいけれど、猫を踏んづけたような悲鳴をチシャが上げた。

 もげそうなほど首を縦に振るチシャを横目に、大叔父は患者を落ち着かせるような穏やかで誠実そうな笑みを浮かべた。


「そうですか、それは辛かったですね。安心してください、それも貧血の症状ですから、血の材料になるものをたくさん食べれば治りますよ」


 戦場で、大人しく寝ていない傷病兵を殴り飛ばし、気絶させて寝かせていた医者と同一人物だとはとても思えない。

 

「聖女様は何がお好きですか」


「王子サマです」


「んんっ」


 間髪入れずに返された返答に、俺の喉が変な音を立てた。


「ほうほう、それはそれは」


 長い付き合いの大叔父が、ニヨニヨした顔でこちらを見るのに肘鉄を叩き込みたい衝動を何とか抑え込みながら、俺は素知らぬ顔を作る。 


「聖女は、お肉が好きです。王子サマはお肉をくれました」


 今度は笑いを抑えながら、哀れみのこもった目で見られた。


「ぶふっ」


 いや抑えられてない。王族のポーカーフェイスどこいった。


「そうですか、肉は血を作るのに良い食べ物ですから、たくさんお食べくださいね。オススメはレバーですが、ご婦人には少し食べづらいかな」


「レバー! 食べてみたいです。でも聖女は、牛と豚と鶏と米と麦と粟と大豆と小豆は食べてはいけないのです。レバーはそれに含まれませんか?」


 大叔父は目を見開き、ゆっくりと俺と聖女の顔を見比べた。


「いやはや、これだからこじらせ男というやつは。青春を戦場で過ごしたとはいえ、看過できかねる性癖ですな。いくら細い女性がお好きとはいえ、これはDVで訴えられても仕方がない案件ですぞ」


「誰がこじらせ男だ誰が。俺の指示なわけないだろう。大神官だ。むしろ俺は、もっとしっかりと」


「ほう、脳筋だとは思っていましたが、筋肉ムキムキの男が好きだとは知りませんでしたな。そんなの戦地になら山盛りいたでしょうに。ああ戦地で見過ぎたせいか。見渡す限りのムキムキですからな、精神を病むのも……いや一種の現実逃避ですな」


「こら笑うな納得するなウラユリ。自分は対象外っぽくて良かったじゃない、ゾアビッツと付き合いが長いのはそういうわけかじゃない、俺はノーマルだ」


 部屋の端で腹を抱えて震えるウラユリを睨んでいると、大叔父はヒゲをひと撫でして真面目な顔で言った。


「冗談です」


 ぷひっ、と変な音がした。

 見下ろした先で、顔をクシャッとさせて、聖女(モリオン)が笑っていた。


「牛と豚と鶏が食べられなくても、世の中には羊も山羊も兎も蛇も虫もいる。オススメは熊の手ですな。あれはまたとない珍味……そうだ殿下、裏の樹海へひとっ走り、二頭ほど捕まえてきてはもらえませんかな。聖女様の治療に使いますので」


「妻に食わすのは夫の役目だからな、否やはないが、何をしれっと自分の分まで確保しようとしているんだ」


「おやバレましたか」


 というかさっきの食べられるものリスト、何か変な物まで混ざってなかったか?


「つま、おっと」


 聖女の微かな声に、俺はしゃがんで目線を合わせた。


「どうした?」


 聖女は鶏ガラのような顔の中で、そこだけは大きな金目を瞬かせて俺を見上げていた。

 というか、俺が十日以上食わせてこの見た目って、結婚したときは死ぬ寸前だったんじゃないか……?


「王子サマは、聖女のこといらないと言ってました」


「げほっ」


 思わず咽せた俺を、大叔父が冷ややかに見下す。


「それは聞き捨てなりませんな」


「いや、その、確かに最初に会った時、『俺は既に唯一を失ってしまったから君を愛せないと思う』とは言ったが」


「聖女のこといらないのに、ごはんくれる。聖女は王子サマ大好きです」


「ぐふっ」


 刺さった。

 最初に事実を告げておいた方が良いだろうと思って言った台詞だったが、あえて言う必要はなかったんじゃないか? との冷や汗が凄い。


「いや、あの、いらないってわけじゃなくてだな」


「……王子サマも聖女のこといりますか」


 なんでそこで悲しそうに目を伏せるんだ? いらないと言われたいのか?


「聖女のこと、いらないと言ってくれた人は初めてだったので」


「うん、いらない、俺には聖女なんて必要ないぞ。愛してない。愛せない、と思う」


「ありがとうございます!」


 そんな目で見るんじゃないウラユリ。墓穴を掘った感半端ないが、だって仕方がないだろう! いらないと言われてこんな嬉しそうに笑ってるんだぞ。どうしろっていうんだ。



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