24. 理の魔女と私の義務
――お城の私の執務室。
ペニシリンの培養が本格的に始まって約3ヶ月が過ぎた頃。
国境の封鎖や徹底した煮沸消毒・外出自粛といった水際対策によって時間を稼ぎ、その間にサルファ剤の初期ロットはコルネリウスさんや彼に協力した多くの職人たちのおかげで何とか配備できる量が積み上がっていた。
その間、ペニシリンもなんとか少しずつ生産できるようになり、フィリーネさんたちが複数の有望な生産株を見つけて並行して培養を進めたことでペニシリンの生産量も増えていた。
国のサポートも受けたまさに総力戦となっていた。試作段階では私も研究所に入ったが、それ以降はフィリーネさんやオリヴィアさん、研究所のスタッフ、そして、多くの薬学者や薬師たち、信頼できるこのチーム任せていたのだ。スタッフはシフトを組んで昼夜問わず動いてくれていた。
私は猩紅熱患者が出た場合に現場に出るスタッフの教育・訓練など、他にもやることが多かったので、そうするしかなかったという一面もあるが……
そして、今日、フィリーネさんが報告のために私の執務室に来たのだ。
「エステルちゃん!ついにペニシリンの初期ロット予定数に到達したわよ!」
珍しくドヤ顔でそう言うフィリーネさんは嬉しさのせいだろうか、私の机に叩きつけるように報告書を置く。
「ステラちゃんがくれた手順書のおかげで私たちだけでもここまで揃えられたわ!」
毎日上がって来る報告書である程度予想は出来ていたし、このタイミングでフィリーネさん自ら私のところに来るという時点で察していたが、実際にその言葉を聞けると安心する。また1つ肩の荷が下りた感じだ。
いや、まぁ、最低限のペニシリンが整ったというだけであり、まだたくさん荷物を背負っているのだけれど……
「……フィリーネさんや……オリヴィアさんをはじめとした……みんなのおかげですね」
「お疲れ様です、フィリーネ様。……やりましたね、エステル様」
あの会議からずっと忙しくしていた私を近くで見ていたリリアもほっとした様子だ。
「やった~!これで病気も怖くないってことですよね~」
ルルアは相変わらず能天気である。だが、それは違う。あくまでも最低限だ。とはいえ、予定していた最低限の備えは完了したのも事実だから、複雑な気持ちだよね。ペニシリンの第1号が完成した時も思ったけど、嬉しいは嬉しい、けど、この状況では喜べないのだ。
「……お疲れ様でした、……と言いたいところですが……まだ最低限、……引き続き、お願いします」
「わかっているわよ?……でも、1歩が2歩になり、3歩……そして、みんなで力を合わせてここまでたどり着けたのは大きいわよね~?」
「……はい。……それは間違いありません」
「少しくらいは喜んでも良いんじゃないかしら?」
「……その通りですね」
フィリーネさんたちはそれでいい。彼女たちの仕事はひとまず初期ロットを完成させ、その後も引き続きペニシリンを生産することだからだ。予定数到達というこのひと区切りはものすごく大きいことだ。
「オリヴィアさんはますます気合が入っているわよ?ちょっと暴走しすぎないか心配だけどね~」
コルネリウスさんたちや職人たちもそうだし、騎士や国民、グランツラント王国のすべての人に言えることだが、働き詰めの疲れ、緊張感による疲れ、外出自粛の疲れ、そういう様々な疲れやストレスが出始めている中で暴走を心配されるほど元気なオリヴィアさんはすごいと思う。
「……オリヴィアさんは……すごいですね」
「すごいというか~、何と言うか~。まぁ、間違ってはいないかな~」
「フィリーネさんが来ているということは何か大きな問題でも?」
テオバルト殿下が部屋に入って来る。
「良い報告ですよ、殿下。ペニシリンの初期ロット予定数に到達しました!」
「なるほど、それは良い知らせですね。フィリーネ様やエステルの努力が実ったということは、この国としても、俺としても喜ばしいことです」
「……まだ最低限……だけどね」
「それでも十分評価に値する。少なくとも俺はそう思っている」
「……ありがとう。……でも、戦いはここから。……まだ準備が……できただけに過ぎない」
「相変わらずだな。お前は……」
それが国王陛下から与えられた私の役目だ。私の役目は準備を整えることで終わりじゃない。その先もあるのだ。
「だが、少しは休んだらどうだ?お前に倒れられては困る」
そうは言われましても……困りますよね。
「……布告式で……私が倒れるのを……期待していた……殿下がそれを……言う?」
「お前も言うようになったな。……だが、今は状況が違うだろ」
ただの冗談に真面目に返されても困るよね。
「殿下のおっしゃる通りですね。エステル様は少しくらい休んだほうが良いです。私はずっと見てきたのでわかります」
「私もエステル様はもう少し休んだ方がいいと思うな~」
「そうよ?エステルちゃんが倒れたら大変なことになるわよ?休むのも仕事の内じゃないかしら?」
「……わかりました。……休める時は休みます」
渋々そう決意をした私であったが――
「たたた、大変なのであります~!!!」
大慌てで部屋に入ってきたのはまたおつかいを頼んでいたユーリアさんだ。
「どうした?そんなに慌てて」
「……ユーリアさん。……何があったの?」
「フェアケールで猩紅熱のような症状の患者が次々と出始めているようなのであります~。大騒ぎになっているのであります~」
「何だと?……それを何故エステルにすぐに上げない!?」
「……だから、私が来たのであります。エステル様に伝えて欲しいって頼まれて……なのです」
「ユーリアさんに……怒鳴っても……仕方ない」
「……そうだな、すまない。まずいことになったな。いや、遂にこの時が来たというべきか……」
フェアケールといえば、グランツラント王国北部の大都市である。
「まずいことになったわね?エステルちゃん」
「……すぐにフェアケールを封鎖して、……フェアケールに繋がる主要な街道、……いやすべての街道を封鎖しないと……全土に広がる。何とかして……北部に抑え込まないと……」
「それはこちらで対応する。すぐに騎士を配備して完全に封鎖するように命じておく。問題は現場のほうだな。上手く対応できると良いのだが……」
その通りだ。訓練はしてきた。だが、実際の現場で誰もが訓練通りにできるとは限らない。
「……私が行く」
「何を言っている!?そんなこと許すわけがないだろ!」
「そうよ?エステルちゃんがいかなくても……それにここにだってエステルちゃんにしかできないことはあるはずよ?」
「そうです。私も反対です。エステル様にもしものことがあったら私は……」
「そうだよ!行っちゃダメだよ!嫌だよ、そんなの!」
「私も反対であります~。さすがの私も病気からエステル様をお守りすることはできないのであります~」
みんなごめん。その気持ちはありがたい。でも、これは私の責任であり、私の義務だ。初めからそう決めていたことである。
「――みんな聞いて!その気持ちは嬉しい。……でも、猩紅熱対策は国王陛下から……すべてを託されているのは……この私、エステル・サビドゥリアだから。……これはその私が決めたこと。……その意味を……わかって欲しい」
こうして、私はテオバルト殿下たちには一度却下されたが、それを押しのけて、現場チームとともに、フェアケールに、そして現場に向かうのであった。
それが私のなすべきことだからだ。私があの会議で提案したことで、どのような未来が待っているのか。それを直接見届ける義務がある。それが私の責任だ――
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
少しでも面白いと思っていただけた場合はページ下の【★★★★★】やブックマークで応援していただけると執筆の励みになります!




