22. 理の魔女と理の壁
――お城にある私の執務室。
あれから私はフィリーネさんやオリヴィアさんに後を託して執務室に籠る日々を送っている。必要なことは伝えてきたし、資料を渡しておいたので、あとは研究所のみんなを信じるしかない。各所には同じように資料を渡しているし、
私は温度調節の仕組みを見つけることができず、無駄な時間がただ過ぎていくばかりだ。
「エステル様、またこんなに散らかしていらっしゃいますが、一体何があったらこんな短時間でこんなことに……」
まぁ、彼女が呆れるのも当然である。机には山積みになった本、そして、それが倒れて床に散らばった本、そこら中が本だらけである。
机に紙を広げ、本を見ながら温度調節の仕組みを考えているうちにそんなことになったのだ。リリアたちが片付けても、彼女たちがいない間にこの惨状になるのだ。
「わぁ、また酷いことになってるね~。お片付けしよ~!」
ルルアは呆れる様子もなくすぐに片づけてくれるのだ。
「それで、ユーリアさんはどこにいらっしゃるのでしょうか?」
「……おつかい」
「エステル様、あまり護衛をおつかいに出さないでください。護衛の意味がなくなってしまいます」
ごもっともである。だが、彼女には図書室から私が指定した本を持ってくるという使命があるのだ。ただ、細かくは指定していない。そもそも1度読んだものは必要ないし、読んだことのない本が必要なので、こんなジャンルの本とか、こんなタイトルの本とか、そんな条件を出しているだけである。
「……ごめん」
やっぱりだめだ。この古代書にも温度管理魔導具の仕組みに役立ちそうな魔術などは書かれていない。まぁ、ダメ元で読んでみただけだが、少しは役立ちそうなものがあると期待していたところもある。というか、きっかけが欲しいのだ。きっかけさえあればその後は試行錯誤して進められそうだからだ。
温度計なら方法はいろいろ考えられる。だが、そこから温度管理魔導具に持っていく方法が見つからないのだ。できそうでできないのである。
ちなみに魔術は補助としては使うことはあっても、温度管理という核心の部分では役に立たない。それは温度が概念であるからだ。物質の状態、あるいは熱や熱量などを人間が理解できる指標に当てはめたに過ぎない。その指標を決めたのは人間だ。このため自然界にも魔術にも物質の状態、あるいは熱や熱量を温度に変換する指標がないのだ。人間がいないと変換できないし、その人間も道具がなければ温度を正確に測れない。当然であるが、魔術は概念を操作したり参照したりはできないのだ。
となると、例えば「水銀がどれくらい膨張したら何度か」ということを理解した上で、魔術でその状態になるように水銀を生成する必要がある。ただし、物によっては違うので水なら水、アルコールならアルコール、灯油なら灯油など、空気なら空気、すべてについてそれぞれ「どういう状態なら何度か」ということを理解したうえでそれを生成しなければならない。そんなことは、まぁ、理論上は出来ても実際には不可能である。そもそも、そんなことをするくらいなら、自分で火や道具を使ってその状態にしたほうが早い。
そして、逆はもっと不可能だ。例えば、その水銀は今何度なのか、これは魔術で物質の状態、あるいは熱や熱量を温度に変換できない以上はどうしようもなく、自分で今水銀がこの状態だから何度と理解するか、温度計を使うしかない。
ということで、結局、温度管理魔導具を作るならば科学の理に頼るしかない。
とはいえ、電子回路もセンサーもない世界でそれを作らなければならないのだ。熱で膨張する物を利用して仕組みを作ろうとしたが、これもいい案が浮かばなかった。できそうでできない、理想とは程遠い。理論上は出来ても魔導具に落とし込めなかったら意味がない。
そんなことを考える日々なのだ。
あぁ、もう、本当にしんどいです。電子技術って本当にすごい。
「エステル様、少しお休みになられてはいかがですか?」
「……ありがとう。……リリア。……でも……これが私の……やるべきことだから。……フィリーネさんも……コルネリウスさんも……頑張っている。……それに……エレオノーラさんも……待ってくれている……から」
「え~、少しくらいお茶にしましょうよ~」
ルルアはいつも通りである。まぁ、確かに少しくらい休憩するのもありかな。
「……じゃあ、……少しだけ」
「私が言っても聞いてくれなかったのに姉様が言ったら休憩するのですね」
あ、リリアが拗ねてしまったようだ。
「……ごめん」
「ただいまであります~!本を探して来たのであります~!」
ちょうど本をいっぱい抱えたユーリアさんも戻って来る。そして、その後ろにはエルナの姿もあった。
「……ありがとう、ユーリアさん。……エルナは……何か用?」
「何か用?ではありませんわ!聞きましたわよ!最近休憩もせず、ろくに食事もなさらずに机と本に向かって何かなさっているようですわね!もう少しお体を大切にしてくださいませ、ステラお姉様!大事な時に倒れられては困りますわ!もう少しお立場というのを考えてくださいませ!いいですわね?休むことも大切ですわよ!」
すごい圧ですごく心配してくれている。良い子だよね、エルナ。
「……うん、ありがとう。……これから……お茶にする……つもりだった」
「あら、そうでしたの?私もご一緒しますわ。……それとお母様も心配なさっておりましたわよ?」
王妃陛下にも心配をかけていたのか。申し訳ない。
「睡眠時間はちゃんと確保できておりますの?」
「……それは……大丈夫」
「それならいいですわ。……ルルアもリリアもちゃんと見張っておくのですわよ」
テオバルト殿下もエルナも私を何だと思っているのだろうか。そんなことを思いながら、私はリリアが淹れてくれた紅茶を飲む。
「そう言えば、聞いてくださいなのです!今日のお昼に新作のココナッツミルクの冷製フランを食べたのであります~!」
この城の食堂ってそんなのも出しているのか。
ココナッツと言えば、まぁ、中世ヨーロッパ、いや大航海時代のヨーロッパでも出回っていないと思うけど、この世界では造船技術が発達していたり、そもそも魔導具が畜魔石内臓だったことで古くから冷蔵庫もあるし、なんなら古い冷蔵庫は蓄魔石内蔵型なので、船にも積めたからね。という要因もあって、世界の食材って結構出回っているんだよね。
この船の一般的な船は撥水塗料をコーティングした頑丈な木にさらに強化魔術を施した木造船。とはいえ、風車を動力にして複数の歯車を上手くかみ合わせた両舷スクリュー式、いわゆる2軸推進の船であり、風車は風魔術の魔導具で動かしているみたい。もちろん、魔導具は畜魔石内蔵なので魔力が切れてもチャージすれば問題ない。古くから造船技術に優れていた海妖種の人たちが作った仕組みらしい。で、保険でマストも付いているみたい。私はこの世界で生まれてから海を見たことがないので、実際に船を見たことはないけどね。
話は大きく逸れたけど、そんなわけでココナッツも普通に流通すてるんだよね。
え?待って!ココナッツ?ココナッツといえば、ココナッツオイルだ。ココナッツオイルの融点は……
「――これだ!……これを使えば……いけるかも」
「わぁ!びっくりしたのであります~。エステル様ってそんな声も出せるのでありますね!」
「どうかなさいましたか?そんな声を出すなんて珍しいですわね」
私は自分の机に戻り、広げてあった紙に設計図を書き始める。そうか、これだったのか。今まで何で気づかなかったんだろう。
「お姉様?いったい何がありましたの?休憩するのではありませんでしたのーーーっ!!!」
エルナのそんな声などお構いなしに私はペンを走らせるのであった。
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