13.火傷
思わずキリアンを見る。キリアンは厳しい顔をしていた。
「リカルド・ラ・ケイラド」
キリアンが、瘴気の塊に呼びかける。
……えっ。この地縛霊が、リカルド、つまり第一王子?地縛霊の影が揺れる。ほんの少し、瘴気が薄れた。
「……きみは?」
喋った!
「俺はオロラド国の人間だ。彼女もそう。ケイラド国から瘴気が漏れていて、調査に来た」
普通に話すのね、ドキドキしちゃう。
ドキドキって言っても、恋の高鳴りの方じゃなくて未知との遭遇にね。瘴気塗れの、いつからここにいるかも分からない相手に対して普通に話しかけるキリアンは肝が座りすぎている。
私でさえちょっと、躊躇った。だって、相手が人間なのかも分からない。
第一王子だったとして、今も彼は人間と言えるの?彼が瘴気を生み出した人間なら、対峙した瞬間私たちも狙われるかもしれない。リスクが高すぎるのよ。
第一王子も面食らったようだった。そうよね。普通に話しかけられたら戸惑うわよね。彼も、自分がどんな状況なのかはわかってるのだろう。
とはいえ、これでひとつだけわかった。第一王子は、堕ちていない。対話可能だ。
「そう……そうか。そっか、ケイラド国から、ということは、ケイラド国は、もう」
「この瘴気は、あなたがコントロールしてるのか?」
「そう、かもしれない。けど、違う、と思う」
第一王子の返答は歯切れが悪い。自分でもわかってないのかしら。
「第一王子殿下。初めまして。王子はいつからここにいらっしゃるのです?」
「……あの日から、ずっと。僕は……」
上手く言葉にならない。そんな印象を受ける。懐中時計を確認。五十五分。ギリギリだ。
「王子、聞いてください。ケイラド国は、壊滅しました。王城から吹き出し瘴気は、国中を蝕みました。私たちは、ここに来る前に中央を通りましたが、動物どころか虫すら姿を見ませんでした。ケイラド国は、そのほとんどが生命活動できる状態にありません」
残酷だけど、真実だ。第一王子は、なにかに躊躇して言葉を話せていない。だから、外の世界の情報を教える。
第一王子は絶句したようだった。瘴気が濃くて、顔は見えない。うすらと指先が見える程度。
「王子は、どうしてそんな姿になってしまったのですか?王子は闇堕師なのですか?」
闇堕師、その言葉に瘴気の塊がぴくりと動く。
それから、彼は蹲った。そういえば、このひとは数年間ずっと立ちっぱなしだったのかしら。疲れないのかな。霊体、なのかしら。
「僕はっ……僕は……。きみも、そこの彼も。きみたちは、聖祈師?聖祈師なら、知っている?聖祈師は、闇堕師にもなり得る、って。僕は、知らなかったんだ……」
呻くように、王子は言った。
聖祈師が、闇堕師に?
そんな話は聞いたことがないわ。キリアンを見る。彼も首を横に振る。やはり、知らない。
「聖祈師が闇堕師に堕ちるとは本当なのですか?」
私も合わせて彼の目線に屈む。
王子は蹲りながら答えた。その声はくぐもっている。
「本当だ。何より、この僕が証拠だ。聖祈師は、深い絶望を味わうと、その力が反転する。聖力が、瘴気に。浄化が、汚染に。闇堕師になってしまうんだ」
「……王子は、絶望されたのですか」
何に、だろう。
やっぱり、家族の人間関係かしら。
そう思って聞くと、王子はぽつりと答えた。
「………民に。貴族に」
予想外の返答だ。
「僕は、昔から王であれと育てられた。母の期待は大きかった。母は、今世代一の聖祈師と言われた。だから、父と母は結婚したんだ。だけど、平民で聖力の強い娘が現れた。それが、後の第二夫人だ。やがて彼女にも子が生まれ、その子供は僕の弟になった。僕は、彼と競わされた。僕たちの考えなんてまるきり無視されて、新聞に好き勝手書かれて、ライバルに仕立てあげられたんだ」
第一王子と第二王子は仲が良かったのか。
「僕は、彼より秀でていなければならなかった。正妃の息子だから。だけど、弟……クリスの方が、出来はよかった。聖力も強かった。このままだと、クリスが王太子に指名されてしまうかもしれない。僕はそれでも良かった。でも、やつらは許さなかった。だから、やつらは考えたんだ。クリスを殺してしまえばいいって」
クリス……クリストファー第二王子は、瘴気が爆発的に広まる前までは生存していた。
砦に行ってからは、消息不明だ。
「それでやつらは、計画を立てたんだ。軍事演習を行えばいい、そこで始末してしまえば……って」
「軍事演習……まさか、王子たちが砦に派遣されたのは瘴気の汚染じゃなくて」
「瘴気の汚染?その時は、いつも通りだったよ。いつもと変わらない、平穏な日々。だけど、砦でクリスは殺された。賊が侵入したとか、暗殺者が乗り込んできたとか、適当な理由をつけてね。僕が気付いた時には、手遅れだった。……クリスは、殺されたんだ。僕が、不出来だったせいで。僕のせいで、クリスは死んだ!」
それが、第一王子が堕ちた理由。
騙されて、弟を殺された。
だから許せなかった。
深い絶望と恨みで、王子は聖祈師ではなく、闇堕師になってしまったのだ。
「辛いんだ。苦しいんだ。みんな、いなくなった。クリスを殺したやつは、みんな。でも、まだ苦しい。瘴気に塗れて、息が、できない。それなのに僕は生きている。僕は、どうすればよかったんだろう。王位継承権を放棄すれば、良かったのかな。他人の期待に応えるだけの人生なんて、何も楽しくなかった……」
まだ、第一王子は十代半ばだったと聞く。
私はそっと、王子を抱きしめた。キリアンの結界から出て。
「リアライド!」
「大丈夫よ」
正直、あんまり大丈夫じゃない。参ったわね。
こんなに瘴気濃度が高いひとを抱きしめたことがないから、想像以上だ。ビシバシくる。
静電気Lv100、みたいな。
ギリ雷攻撃じゃない。あちこち痛いけど、離さない。じゅう、と私なのか、王子なのか分からないけどどちらからか、焦げるような音がする。相反する力が触れ合って、反発している。
「リ、アライド……?」
キリアンが呼んだから、名前がわかったのだろう。たどたどしく彼が呼ぶ。
「真面目な子だったのね」
蹲る男の子の頭を撫でた。じゅう、とまた音。
あ、焼けてるの私の手だ。やば。火傷みたいになってる。聖力Lv999+でも厳しかったか。
まあ、瘴気の塊みたいなものだし、仕方ない。
「リアライド……!!焼けてる!ダメだよ、離して!!」
こんな状態なのに、彼は私の心配をする。
今は私の心配より、自分の心配でしょうに。
良い子なのでしょうね、本当に。
「これくらい構わないわ。そのうち治るもの。気にしない」
傷は、癒せるもの。構わないわ。
「頑張ったのね。偉いわ。だけどもう、頑張らなくていいのよ。もう、誰かのために頑張らなくていいの」
きっとこの子には、こう言ってあげる大人が必要だった。
頭を撫でて、褒めて、受け入れてくれる大人が。
早くに大人にならざるを得なかった子供は、一体どこで、誰に甘えればいいのだろう。
子供は甘やかされて育つもの。甘えられるのは、子供の特権だというのに。それを許されなかった。不憫で、健気。
この子は、自分を許すことすらできなくなっている、頑張り屋さんだ。今も、苦しんでいる。
私は王子の頭をゆっくりと撫でた。瘴気で頭はよく見えないし、指先は感覚がない。
グロいことになっていたらどうしよう。
でも、手はとめない。
髪を撫でた感覚が得られなかったのは、残念。
「目を閉じて。ゆっくり、息を吐いて、吸って。ええ、いい子。何も考えないの。何も。よく、聞いてね。あなたは頑張ったわ。頑張りすぎてしまったくらいに。責任感が強くて、真面目で、誇り高い王族だった。あなたは、誇っていい。あなたは、あなたの信念を貫き通したの。それはすごいこと。私にはできない。あなたは、すごいことをしたのよ」
私には多分、無理だわ。
きっと、その貴族たちにはやり返してしまうし、最悪国を捨てる。今みたいにね。
だけどこの子は王族だから、国を愛していたから、責任があったから。
それができなかった。母の期待に応えようとして、貴族のプレッシャーに押し潰されそうになって、弟を守ろうとした。愛の深い子。
「私は、あなたを尊敬してる」
結果的に、堕ちてしまったとしても。
彼は今も苦しんでる。
それならもう、救われて欲しい。
そう思った。
瘴気が晴れる。第一王子は、あどけない顔をしていた。まだ少年だ。
泣き濡れた顔で私を見た彼は、最後に口を開いた。
ありがとう、と言っているように聞こえた、けど──次の瞬間、王子が溜め込んでいた瘴気が多分、爆発した。
「リアライド!!」
それをもろに食らって、意識が飛ぶ。
あ、星が瞬く。




