4.見捨てます、宣言
妖精界にもルールがありそうね。
「でも、近場ならできるもん!」
と、ふわふわの白い綿あめみたいな胸を張ってくれたエリュンの協力を取り付けて、関所はパスすることに決まった。
その時、エリュンの耳がぴくりと動く。
「あ!良かった、まだいたね!」
ぱっと振り向けば、走ってくる黒髪の男。なんだろう、あのフォーム。走り慣れてないのかな。なんか、面白い走り方をしているわね……。両手が一緒に出てる。どういうこと?走りにくくないの?
彼は私たちの元まで来ると、肩で息をしていた。膝に手をついて、ゼェハァと呼吸をしている。
「ご、ごめ、ちょっ……ちょっと、全力疾走したの、何年振り、かな」
「ジョアン……お前、有事の時どうするんだ?そんなんじゃ逃げきれないぞ」
呆れたようにキリアンが言う。あ、このひとがジョアン・デアーレ。キリアンが紹介しようとしてくれたひと。
十秒ほどして、ようやく息を整えたジョアンが顔を上げる。黒縁メガネ。ずり落ちそうになってる。彼は「ごめん」と一言断り、ポケットからハンカチを取り出してメガネを拭いた。グリップが汗で滑っていたみたい。
それを終えてふたたびメガネをかけてから、ジョアンは私を見てにこやかに微笑んだ。なるほど、胡散臭そう。
「初めまして、あなたがリアライド・デ・フェルゼですね。私はジョアン・デアーレ。デアーレ商会の次男です。以後お見知り置きを」
「初めまして。ラストネームは不要です。今の私はただのリアライドですから。それと、自己紹介していただいたのに申し訳ないのですが、私と知り合いになるのはおすすめできませんわ。デメリットしかありませんから。何せ、二カ国の王族から追われてる身ですし」
何せ今の私はオロラド国だけでなく、蕗の国の王族にも目をつけられてるものね!
私と知り合いになるのは不利益しかない。
ジョアンはもう知ってるでしょう、デアーレ商会の息子なんだから。情報は早いはず。
現に彼はニコッと笑うだけで否定しなかった。
「私は、私の勘を信じています。デアーレ商会の教えなんですよ。自分の勘を信じろ、と。最後にものを言うのは直感だってね。だから、私は自分の勘を信じます。あなたはいずれ、大事な存在になる。国にとっても、デアーレ商会にとってもね。今も既に、デアーレ商会としてはあなたと取引をしたいくらいなんですよ?知り合って不利益どころか、益にしかなりません」
おお、弁が立つ。流石商人。
ニコニコと微笑んでいる黒メガネの男は、先程まで全力疾走をしていたとは思えない。
これがプロというものなのね。
「それで、きみに……ああいや、きみたちに渡したいものがある。今からオロラド国に行くんだろう?多分、きみたちが思うよりオロラド国の状況は悪い」
ジョアンが顔を顰めて言った。
「状況が悪い?それはどういうことですの?」
これは取引になっちゃうかしら。私が聞かない方が良かったかな。そう思ったが、私の思考を読んだようにジョアンはにっこりと笑った。
「代金なら、キリアンがじゅうぶんすぎるほどに働いてくれました。これを機に、専属契約を取り付けたかったんだけど、逃げられました。悔しいですよ。キリアン、今すぐじゃなくていいから、うちにこない?給料はきみが望むくらいには出すし、シフトも好きにしていい。流石に1ヶ月に1回の出勤とかだと困るけど、二十日くらいは休んでもいいよ?」
ええ?すごい、太っ腹。それくらいキリアンが有能ってことなんでしょうね。
それ、月給制?固定給で休みが二十日。高待遇どころの話ではない。羨ましいわね。私がその話受けたいくらい。
「何回も言ってるだろ、ジョアン。俺はデアーレ商会とは契約しない」
ジョアンは額に手を当てた。
「……デアーレ商会を気遣っての返事だって知ってるよ。きみを雇えば、間違いなくグンドウェル王家と、オロラド国が出張ってくる。まあ、今言っても仕方ないな。ええと、それで渡したいものはこれ」
切り替えの速さも見事。
ジョアンはジャケットの内側から、なにかの書付を取り出した。リボンで巻かれて、丸められている。
「さっき、オロラド国はきみたちが思うよりもきっと、ずっと酷くなっている、って話はしたと思う。北西部とかは、いつ暴動が起きてもおかしくない。それで、何かあったら。このデアーレ商会に来てくれ」
キリアンが受け取る。
「何か……例えば、俺たちが動かざるを得なくなった時に、っていうことか」
動かざるを得ない、時。
暴動が起きたら、私はどうするかな。
北西部の領主って、誰だっけ?
確かあいつだわ。
キリマンジャロみたいな名前の……ええと、キリマ・ジェーロ。ジェーロ辺境伯。ケイラド国から広がる瘴気の最終防衛ラインを担う、最後の砦。
「領主って今もキリマよね?暴動が起きたら、真っ先にあいつが狙われるってことなら、私は動かないわ」
私に子供を産めと急かしてきたうちのひとりだ。
恐らく、ほかの聖祈師にもそう迫っていた。多分、メイリンが追い込まれた理由のひとり。
それなら。
「彼は保身のあまり、聖祈師に子供を産めとずっと騒いでいた。聖祈師は、子供を産むための道具ではないし、そもそも他人に命じられることでもない。気持ちはわかるわよ?瘴気に唯一対抗できる聖祈師。聖祈師本部には、今世代一の聖力と言われた聖祈師もいた。彼はきっと、彼女に何人でも、何十人でも産んで欲しかったのでしょうね。ひとを家畜か何かとでも思ってるのかしら?他人頼りで、縋ることしか頭にないですって告白しているようなものなのに、恥ずかしくないのかしらね」
歯に衣着せぬ言い方に、ジョアンはびっくりしたらしい。目を見開く彼に、今度は私がにこりと微笑む。
「だから、私は北西部で暴動が起きても知らない。見て見ぬふりをして、前進するわ。キリアンがどうするかは分からない。キリアンが同情して匿うなり手助けするなりするのも、構わない。だけど私は手伝わないわ」
「そ、そっかぁ……。ああ、うん。分かりました。でも一応、念の為持っておいて。いいね?キリアン」
「分かった、万が一用だな。北西部の領主については、俺も一語一句同意だ。暴動が起きたとしても、自業自得でしかないし、正直時間の問題だったとも思う。あれは領主の器じゃない」
珍しく鋭く言うキリアンに、あら?と思う。
もしかしたら、キリアンも過去、彼と何かあったのかもしれない。
その後、ジョアンに見送られ、私たちは彼に見られない森の奥地へと向かった。エリュンに、転送してもらうためだ。
「ここら辺でいいかしら?」
尋ねると、それまで隠れていたエリュンがポンッも出てきた。いつもは、この獣型モードを解除して、空気に紛れているらしい。霊体って言うのかしら。
「うん!大丈夫だもん!ええと、向こうの生垣の先に飛ばせばいいもん?」
「人目は避けたいの。森の中だと助かるわ」
「分かったもーん!まずは妖精の森の入口を開くから、着いてくるもん?」
エリュンがふわふわと先導する。
その後を追って、私たちは妖精の森へと足を踏み入れた。




