第8章 サボり魔王子の大切なもの④
誰もいなくなった部屋は先程までの騒がしさが嘘のように、物音ひとつせず静まり返っていた。耳をすませば微かに聞こえるのは、ミルティアの浅い呼吸の音だけである。
「ミルティア……ミルティア……」
誰もいないことで緊張の糸が切れたショコライルは、ミルティアが見ているとわかっていても我慢することができず、声を出して大粒の涙を流し始めた。
弱々しくなっていくミルティアを目の当たりにして、ミルティアを失う瞬間が間近に迫っていることが突きつけられる。
ただ弱っていく姿を見ることしかできない状況が辛すぎて受け止められない。だが目を逸らすことなどできなかった。愛しい人の姿はいつまでも目に焼き付けておきたかったから。
ミルティアは意識が薄れつつある中で、ショコライルの悲痛な顔や声、そして人目を気にせず泣く姿を見ていた。
本当はこんな顔をさせたくはなかった。ただ笑って欲しい、ショコライルの側にずっといたいそう願っていただけなのに、現実はショコライルをこんなにも悲しませてしまった。
サマド公爵が言わなくても、ミルティアには別れが近いことは身をもって感じていた。呼吸は浅くなり息苦しくなりつつある。ショコライルの側にずっといて、2人で幸せになりたかった。……だがそれももう叶わない。
突きつけられる現実に胸が締め付けられる感覚がする。ミルティアは知らず知らずのうちに、涙を流していた。
ミルティアの閉じない瞳から涙がとめどなく溢れてきていることにショコライルは気がついた。
ミルティアはまだ生きている。言葉で話せなくても、必死に涙で感情を伝えてくれていた。
ミルティアは必死に生きようとしている。ショコライルは何か方法がないか必死に考えを巡らす。
未知の毒を無効にする方法などどんな本にも書いてない。どうしたらいい……気持ちばかりが焦るだけで考えが浮かばない。
ショコライルはもう一度ミルティアの顔を見た。綺麗な涙は今も尚止まることは知らず溢れ続けている。まるでミルティアの魔法みたいだ……そんなことを考えていた。
感情のコントロールは未だ出来ず、ショコライルの魔力は今にも溢れそうになっていた。この魔力をどうにか発散しなくては……そんなことばかり考えていたショコライルにある考えが浮かんだ。
上手くいくかはわからない。だが試すしかなかった。
ショコライルは涙を拭うと意を決してミルティアを抱き上げて見つめる。辛そうな顔なのに愛おしそうに見つめてくるショコライルの顔が間近に来たことで、視界が霞みつつあるミルティアにもショコライルの顔がよく見えた。
苦しいはずなのに大好きなショコライルの顔を最後に見れたことで、ミルティアは幸せな気持ちを確かに感じていた。最後に大好きな人の温もりに包まれて逝けるなら、こんな幸せなことはないかもしれない。薄れつつある意識の中でそんなことを考えていると、やがてミルティアの視界は暗くなり、ついに意識を手放す時がやってきた。
「ミルティアごめん……。」
意識を手放す寸前でショコライルの謝罪とその後すぐに伝わった触れるような温もりを感じて、ミルティアは意識を手放すのであった……。
――――――――――――――――――
「……ティア。ミルティア!」
遠くで呼ばれる自分の名前で意識が呼び戻される。声に反応するようにゆっくり瞼を開くと、目の前に人影が見える。やがて視線が定まると目の前にショコライルの顔があることに気がついた。
「ショコライル……様?」
はっきりとしない意識の中、呼んだのは愛しい人の名前。ショコライルは呼ばれたことが嬉しいのか、握っていた手に力を込めると目には涙を溜めていた。
「よかった……本当によかった。」
声を詰まらせながら伝えてくれる言葉は、心からのショコライルの気持ちが表れているようであった。
「どうして……わたくし……」
ミルティアはこの状況が理解できずにいた。サマド公爵の毒でもう2度とショコライルには会えないと思っていた。だが目の前には間違いなくショコライルがおり、温もりも感じられる。
動かなかった手や首は微かに動くことができるが、まだ上体を起こすこともできないため、サマド公爵の一件は夢ではなかったことも身体が証明してくれていた。
「俺の魔力を君に分けて、ミルティアの浄化の魔法を発動させたんだ。血液は水を含んでいる。だったらどんな水でも浄化できるミルティアの魔法なら、毒を浄化できると思ったんだ。」
「そうだったのですね……。ショコライル様……あ……ありがとう……ございます」
ミルティアはようやく自分が助かったことを理解し、安堵の涙を気付けば流していた。ショコライルはそんなミルティアを優しく抱き起こすと、強く抱きしめる。それはまるでショコライルがミルティアの側にいることを示してくれているようであった。
ミルティアはショコライルの温もり、匂いに包まれ、幸せを噛み締めていた。恐怖の涙はどこにもない。ショコライルの元に無事帰ってこれた喜びの涙であった。
「ミルティ……。」
ショコライルも愛しい名を噛み締めるように優しく呼びかける。ショコライルの抱きしめる腕の力強さからも、どれだけ無事であったことを喜んでくれているのかが伝わってきた。
「あの……わたくしはどれくらい眠っていたのですか?」
「5日だ……。」
「5日も?!」
「ああ……本当に目覚めてよかった。」
嬉しそうに呟くショコライルの顔はクマが酷く、目は泣き腫らしているのか赤かった。食事もあまり摂れていないのか少しだけ痩せた気もする……。ミルティアは思わずショコライルの胸元に顔を埋めた。
「ミルティ?」
ミルティアの突然の行動にショコライルは驚きつつも、片手でしっかりとミルティアを抱き止めて、もう片手で頭を優しく撫でてくれる。
「沢山心配かけてごめんなさい……。」
顔は埋めたまま返ってきた言葉は謝罪であった。ショコライルの胸元の服を弱々しく掴む仕草でいかに心を痛めているのか伝わってくる。
「ミルティが謝ることなんて一つもない。謝るのは俺の方だ。何回も何回も危険な目に合わせて……君を失いかけた……。」
「謝らないでください……。ショコライル様は来てくださいました。」
「だがもう少し早く駆けつけれていたら、ミルティアを傷つけることはなかった!」
「あの時……薄れつつある意識の中で真っ先に思ったことは、ショコライル様にもう一度会いたいでした……。ショコライル様はきてくださいました。それがどれほど嬉しかったか……。そして今もショコライル様のお側にいられます。こんな幸せなことはありません。」
「ありがとう……ミルティア。」
「こちらこそ助けていただきありがとうございます。」
2人はお互い見つめ合い、止まっていたはずの涙を再び流しながら微笑み合っていた。
どれくらいお互い見つめ合っていたのだろう。ショコライルは少しだけ名残惜しそうな顔をするとミルティアをベッドの上に寝かせた。
「医者を呼んでくるね。目覚めたことが嬉しくてすぐに呼びに行かなくてごめん。」
「ふふっ……わたくしも同じ気持ちでしたので、謝らないでください。」
少しバツが悪そうな顔をするショコライルが可愛くて、ミルティアはつい笑ってしまう。そんなミルティアの額に口付けを落とすと、ショコライルは急いで医師を呼びに寝室を出る。出てすぐ部屋の外が慌ただしくなる。どうやらミルティアの部屋の居間には何人かが待機しているようであった。
すぐにショコライルは人を連れて戻ってきた。
「ミルティア、今呼んだから少し待っててね。それと……彼女がどうしても会いたいと言うんだ。疲れてるとは思うが少しだけいいかな?」
ショコライルが申し訳なさそうに言う後ろに、目に涙を沢山溜めたアニスが控えていた。アニスは目を開けたミルティアを見て、途端に溜めていた涙が溢れ出していた。
「アニス!」
「ミルティア様……よくぞご無事で……。本当によかったです……。申し訳ありませんでした!」
アニスは人目を気にせず泣き出し、最後はとても深いお辞儀をして謝罪の意を伝えた。
アニスは今回の件で自分自身を酷く非難していた。ミルティアを危険に合わせたのは全て自分の責任だと背負い込み、この5日間どんな言葉をかけても彼女の気持ちを和らげることが出来ずにいた。
ミルティアのことを考えるなら今は安静にさせるのが1番で、明日以降アニスに会わせる方がいいはずであるが、アニスのことを考えると一刻も早く会わせる方がいいと判断し、ショコライルはアニスを連れてきたのだった。
「アニス、お願い顔を上げて。」
ミルティアはとても穏やかな声でアニスに語りかける。未だ顔を上げず俯いたままのアニスに、決してアニスのことは責めていないと気持ちが伝わってほしいと願を込めて。
「アニス、あなたは操られていた。あなたの意思などなかったわ。それに危険を知らせてくれた。わたくしは感謝しているのよ?」
「ですが……私が毒を……」
「操られていただけじゃない!でもあなたは自分でその術を解こうとしていたのよ……。アニス、無茶をしていたけど怪我はない?身体はもういいの?」
「はい……。大丈夫です。」
「よかった。あなたが助かって本当に嬉しいわ。」
「ミルティア様……私は……」
「アニス、何度でも同じことを言うわ。あなたは悪くない!そうね……もし罪を償いたいのなら……」
「もちろん償います!」
「ではあなたにはずっとわたくしの侍女でいること……それが償いよ。」
「えっ……?!」
「男爵家の娘で毎日お茶に付き合えという令嬢の侍女だなんて大変でしょうけど。」
ミルティアは少しだけ戯けてみせる。茶目っ気たっぷりの笑顔で楽しそうに笑うミルティアを見て、ショコライルはつい笑顔になってしまう。アニスはただ唖然としたように立ち尽くしていた。
「アニス……こんなことでわたくしとの関係が終わりだなんて言わないで。わたくしはあなたがいたから頑張ってこれたのよ。」
「ミルティア様……」
「それに……もう2度と生きることを諦めないで!どんな時でもまずはあなたの身体を1番大切にして。あなたが傷つけられそうなのを黙って見るのは、もう勘弁願いたいわ。それはきっとショコライル様達も同じ気持ちよ。」
ミルティアはショコライルに目線を映すと、いつの間にか側に来て、椅子に座っていたショコライルがミルティアの手を握り黙って頷いてくれた。
「アニス、言った通りだろう?だからお前はこれからもミルティアの侍女だよ。」
ショコライルはアニスに目配せをすると悪戯そうに笑う。ショコライルは酷く落ち込んでいたアニスから、ミルティアの侍女とショコライルの護衛を辞退したいと言われていた。だがショコライルもアレンも、アニスは大切な信頼できる仲間であること、そして何よりミルティアがアニスが離れることを許さないはずだと伝えていた。アニスはその際何度も否定していたが、正しかったのはショコライルの方であったのだ。
「本当ですね……。ミルティア様、誠心誠意お仕えさせていただきます!」
アニスは涙を拭うと、とても清々しい笑顔を浮かべていた。そこにはもう迷いなど一つもない。
「よろしくねアニス!もちろんあなたはわたくしの大切なお友達ということも忘れないでね!」
ミルティアとアニスは目に見えない硬い絆でさらに結ばれていた。2人の心からの笑顔に、ショコライルは平和が訪れたことを実感するのであった。
お読みいただきありがとうございます
続きは明日の11時に更新予定です
引き続きよろしくお願い致します




